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พจนานุกรม

รายละเอียดคำ

呂号第百十六潜水艦

判断した。0150、イングランドは686mの距離で潜航中の潜水艦をソナー探知。深度52mの位置にいる潜水艦は頻繁に舵をきり、推進器音で敵のソナーを惑わせようとした。2回ほど攻撃に失敗したが、イングランドはヘッジホッグ24発を投下。その結果、3回の爆発音が聞こえ、潜水艦を撃沈した。朝、部隊は潜水艦のも

คำที่เกี่ยวข้อง

呂号第百六潜水艦

第8艦隊第7潜水戦隊に編入。 3月31日 - 佐世保を出航。 4月12日 - ラバウル着 4月22日 - ラバウルを出航。ガダルカナル島東方で活動。 5月31日 - ラバウルを出航。ガダルカナル島東方で活動。 6月30日 - ラバウルを出航。レンドバ島方面で活動。 7月18日 - 南緯09度03分

呂号第六十六潜水艦

1928年12月10日 奥島章三郎 少佐:1928年12月10日 - 1930年4月22日 久米幾次 大尉:1930年4月22日 - 1931年4月1日 (兼)堤道三 大尉:1931年4月1日 - 1931年5月1日 鳥居威美 大尉:1931年5月1日 - 1931年11月2日 溝畠定一 少佐:1931年11月2日

呂号第六十潜水艦

呂号第六十潜水艦(ろごうだいろくじゅうせんすいかん)は、日本海軍の潜水艦。呂六十型潜水艦(L4型)の1番艦。竣工時の艦名は第五十九潜水艦。 1921年(大正10年)12月5日 - 三菱神戸造船所で起工。 1922年(大正11年)12月20日 - 進水 1923年(大正12年)9月17日 - 竣工。第五十九潜水艦と命名。

呂号第十六潜水艦

呂号第十六潜水艦(ろごうだいじゅうろくせんすいかん)は、日本海軍の潜水艦。呂十六型潜水艦(海中3型)の1番艦。竣工時の艦名は第三十七潜水艦。 1920年(大正9年)11月18日、呉海軍工廠で起工。1921年(大正10年)4月21日進水。1922年(大正11年)4月29日竣工。竣工時の艦名は第三十七潜

呂号第百十潜水艦

- 佐世保を出航。24日、ペナン着。 12月3日 - ペナンを出航。インド洋で活動。 12月14日 - 軍需品を積んでボンベイからコロンボへ航行中の英貨物船デーズイ・モラー(Daisy Moller、4,087トン)を雷撃により撃沈。 1944年(昭和19年)2月2日 - ペナンを出航。ベンガル湾方面で活動。

呂号第百潜水艦

クに到着。1943年(昭和18年)1月6日、トラックを出港したが機関故障により引き返した。修理の後2月3日にトラックを出港。6日、ラバウル北西沖で浮上航走中、零式水上偵察機から誤爆されるも、ダメージは軽微で済んだ。7日にラバウルに到着。8日にラバウルを出港し、ポートモレスビー沖で哨戒を行う。14日1

呂号第六十一潜水艦

地潜水部隊を編成。 7月24日 - 北方に派遣となり横須賀を出港。30日、幌筵島に到着。 8月1日 - 幌筵島を出航し、5日、キスカ島に到着。以後、同方面で活動。 8月28日、偵察機がアトカ島東部のナザン湾に敵軽巡洋艦1隻、駆逐艦1隻を発見したと報じられた。これを受けて基地潜

呂号第六十七潜水艦

呂号第六十七潜水艦(ろごうだいろくじゅうななせんすいかん)は、日本海軍の潜水艦。呂六十型潜水艦(L4型)の8番艦。 1925年(大正14年)3月5日 - 三菱神戸造船所で起工。 1926年(大正15年)3月18日 - 進水 12月15日 - 竣工。呂65と共に第27潜水隊を編成。 1927年(昭和2年)1月15日

呂号第六十五潜水艦

1929年9月20日 大竹寿雄 大尉:1929年9月20日 - 1929年11月30日 長井武夫 大尉:1929年11月30日 - 1931年4月1日 堤道三 大尉:1931年4月1日 - 12月1日 杉浦矩郎 少佐:1931年12月1日 - 1932年8月20日 浜野元一 少佐:1932年8月20日 -

呂号第六十八潜水艦

呂号第六十八潜水艦(ろごうだいろくじゅうはちせんすいかん)は、日本海軍の潜水艦。呂六十型潜水艦(L4型)の9番艦。 1924年(大正13年)2月6日 - 三菱神戸造船所で起工。 1925年(大正14年)2月23日 - 進水。 10月29日 - 竣工。第24潜水隊に編入。 12月1日 - 第一艦隊第1潜水戦隊に編入。

呂号第三十六潜水艦

12月4日から、呂36は特設潜水母艦平安丸(日本郵船、11,616トン)に横付けして補給を受ける。12月8日、トラックを出港し、エスピリトゥサント島周辺海域に進出して哨戒。1944年(昭和19年)1月8日、トラックに到着。19日からは平安丸に横付けして補給を受ける。 2月17日から18日にかけて、トラック島空

呂号第六十四潜水艦

呂号第六十四潜水艦(ろごうだいろくじゅうよんせんすいかん)は、日本海軍の潜水艦。呂六十型潜水艦(L4型)の5番艦。当初の艦名は第七十九潜水艦。 1923年(大正12年)10月15日 - 三菱神戸造船所で起工。当初の艦名は第七十九潜水艦。 1924年(大正13年)8月19日 - 進水 11月1日 - 呂号第六十四潜水艦に改名。

呂号第六十三潜水艦

トラック着。 2月18日 - トラック出航。マーシャル諸島方面で活動。 2月23日 - ポナペ着。 2月24日 - ポナペ出航。横舵が故障し、ビキニへ航行。 3月1日 - ビキニ出航。再び横舵が故障。 4月3日 - 舞鶴着。 6月5日 - 舞鶴出航。サイパン、トラック方面で活動。 7月4日 - 横須賀着。 7月14日

呂号第百十三潜水艦

呂号第百十三潜水艦(ろごうだいひゃくじゅうさんせんすいかん)は、日本海軍の潜水艦。呂百型潜水艦(小型)の14番艦。 1942年(昭和17年)の昭和17年度計画(マル急計画)により、1942年7月11日、川崎重工業泉州造船所で起工。1943年(昭和18年)4月24日進水。1943年10月12日、川崎重

呂号第百十一潜水艦

10月31日、第六艦隊第8潜水戦隊第30潜水隊、南西方面部隊潜水部隊に編入。 同日、呂111は呉を出港。11月16日にシンガポールに寄港した後、23日にペナンに到着。12月6日、ペナンを出港し、ベンガル湾に進出。。23日、北緯11度11分 東経80度11分 / 北緯11.183度 東経80

呂号第百十二潜水艦

アメリカ側記録によると、2月11日1915、ルソン海峡で米潜バットフィッシュ(USS Batfish, SS-310)はレーダーで船を探知。1時間後、潜水艦と思われる艦影を発見。しばらくすると潜航し、30分後に浮上した。バットフィッシュはレーダーを頼りに目標に接近し、2210に魚雷を4本発射。魚雷が命中した潜水艦は吹

伊号第百六十六潜水艦

伊号第百六十六潜水艦(いごうだいひゃくろくじゅうろくせんすいかん)は、日本海軍の潜水艦。伊百六十五型潜水艦(海大V型)の2番艦。竣工時の艦名は伊号第六十六潜水艦。 1929年(昭和4年)11月8日 - 佐世保海軍工廠で起工。 1931年(昭和6年)6月2日 - 進水 1932年(昭和7年)11月10日

呂号第百三潜水艦

礁する。これを受け、呂101が救援に向かうこととなった。呂103では消耗品と食糧、魚雷を投棄して艦を軽くしようとする。10日、南方を航行する駆逐艦を発見し、機密文書を海に捨てるよう命令が出されるが、駆逐艦は呂103を発見することなく去っていった。11日、呂103は燃料と真水の投棄を行った後離礁

呂号第百八潜水艦

ほどの爆発音を聴取。その後、連続した小爆発と潜水艦が沈んでいく音を聴取した。翌朝、現場海域には潜水艦のものと思われる破片と重油が漂っていた。部隊は木製甲板の破片、クロノメーターケースの破片、コルク栓2つ、多数の断熱材を回収した。これが呂108の最期の瞬間であり、艦長の小針寛一大尉以下乗員53名全員戦