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พจนานุกรม

รายละเอียดคำ

天保奴

住・太尉馬児哈咱領三千人来迎、又以闊闊帖木児人馬衆多、欲往依之、会天大雪、三日不得発。也速迭児遣大王火児忽答孫・王府官孛羅追襲之、獲脱古思帖木児、以弓絃縊殺之、並殺其太子天保奴。故捏怯来等恥事之、遂率其衆来降」 ^ 岡田2010,365-366頁 岡田英弘『モンゴル帝国から大清帝国へ』藤原書店、2010年

คำที่เกี่ยวข้อง

地保奴

等至京師。地保奴及后妃献金印・金牌、賜鈔二百錠。命有司給第宅、廩餼俾就居京師。既而有言玉私元主妃事、上怒曰『玉無礼如此。豈大将軍所為哉』。元主妃聞之、惶懼因自尽、地保奴由是有怨言。上聞之曰『朕初以元世祖君主中国時、有恩及民不可無嗣。嘗与儒臣議欲封地保奴、以尽待亡国之礼、彼乃如此。豈可以久居内地』。於是遣使護送、往居琉球仍厚遺資遣之」

天保

年号(1830.12.10-1844.12.2)。 文政の後, 弘化の前。 仁孝天皇の代。

保天

保天(ほてん)は、中国後大理国の段正厳の時代に使用された元号。1129年 - 年代不詳 。 プロジェクト 紀年法 ^ 「正嚴以宋徽宗大觀二年立,四十年,改元四,曰日新、永嘉、保天、廣運。避位為僧。傳子正興。死,偽諡憲宗。」s:zh:滇載記 ^ 「和譽,宋徽宗戊子大觀二年卽位。明年,改元日新。又改元

奴隷天国

の理由は明かされなかった。 全作詞・作曲:宮本浩次 全編曲:エレファントカシマシ 奴隷天国 (4:22) 7thシングル曲。 太陽の季節 (4:43) 絶交の歌 (4:37) おまえはどこだ (4:23) 日曜日(調子はどうだ) (3:40) 7thシングル「奴隷天国」のカップリング曲。 浮世の姿

天保山

天保山(てんぽうざん)は、大阪府大阪市港区の天保山公園にある、人工的に土を積み上げて造られた山(築山)。 標高4.53m(15尺)の築山。国土地理院発行の地形図に山名と共に掲載されており、山頂には二等三角点がある。大阪市ホームページ内では日本一低い山と記載があり、天保山

天保暦

明治6年(1873年)1月1日、グレゴリオ暦(太陽暦)に改暦されるも、明治42年(1909年)まで官暦(伊勢神宮から発行された本暦や略本暦)に記載されていた。 渋川景佑らが西洋天文学の成果を取り入れて完成させた暦で、実施された太陰太陽暦としてはそれまでで最も精密なものである。天文学

天久保

ビニエンスストアが3軒ある。戦後開拓によって設置されたかつての松美集落を含む。 カスミ筑波大学店 サザコーヒー筑波大学アリアンサ店 セブン-イレブンつくば平塚店 ローソン天久保三丁目店 ミニストップ天久保店 かつてはトレモントホテルという宿泊施設があった。(現在は取り壊されマンションが建っている)

奴

〔「そやつ」の転。 武士詞〕 三人称。 人をののしっていう語。 あいつ。 きゃつ。 「~ここへ引きよせよ/平家2」

奴

召し使い。 しもべ。 「いたづらなる妻子の~となし, 妻子のもちあそびにまかせて/正法眼蔵」

奴

〔「やつこ(奴)」の略という〕 ※一※ (名) (1)人や動物を軽蔑していう語。 「逃げた~をつかまえろ」 (2)物をさしていう俗な言い方。 「大きい~で一杯くれ」 (3)形式名詞「こと」に相当する俗な言い方。 「聞かれたくないという~だ」 ※二※ (代) 三人称。 他人を卑しめたり同輩以下の者を親しみをもって言ったりするのに用いる。 あいつ。 「~にはどうせわかるまい」

奴

〔「家(ヤ)つ子」の意〕 ※一※ (名) (1)古代の賤民のうち, もっとも下級の奴隷。 また, 身分の卑しい者。 「住吉の小田を刈らす児~かもなき~あれど妹がみためと私田刈る/万葉 1275」 (2)家来。 下僕。 「其の家に一人の~あり/今昔2」 (3)ある物事に執着して心身の自由を奪われることをたとえていう。 とりこ。 「ますらをの聡き心も今はなし恋の~に我(アレ)は死ぬべし/万葉2907」 (4)人や物をののしっていう語。 やつ。 「面忘れだにもえすやと手(タ)握りて打てども懲りず恋といふ~/万葉2574」 ※二※ (代) 一人称。 自分をへりくだっていう語。 やつがれ。 「対へて曰さく, ~は是国神なり/日本書紀(神武訓)」

奴

〔「ら」「ま」はともに接尾語〕 主君に仕える人。 下僕。 「市辺の天皇が御足末(ミアナスエ)~/播磨風土記」

奴

名詞・代名詞または人名に付く。 (1)人や動物などをののしったり, 見下したりするとき用いる。 「あいつ~」「うそつきの太郎~」 (2)自分や自分に関することを卑下していうときに用いる。 「あわれなわたくし~をお許し下さい」「わたしの家内~にございます」

天保丁銀

天保丁銀(てんぽうちょうぎん)とは、天保8年11月7日(1837年12月4日)から鋳造が始まり、同12月18日(1838年1月13日)より通用開始された丁銀の一種で秤量貨幣である。保字丁銀(ほうじちょうぎん/ほじちょうぎん)とも呼ばれる。また天保丁銀および天保豆板銀を総称して天保銀(てんぽうぎん

天保騒動

で、国中でも八代郡夏目原村(笛吹市御坂町)の百姓夏目家の日記では冷夏の影響を「五十年以来無覚之凶作」とし、天保騒動で打ちこわしの対象となる山梨郡万力筋熊野堂村の奥右衛門家ではこの頃既に打ちこわしの空気が発生しており、甲府町方でも世情不安が伝わり動揺が生じている。

久保天随

『議論文鑑 作文資料』博文館 1912 『三体新書翰』積善館 1912 『書翰文鑑 作文資料』博文館 1912 『新式大辞林 読書作文』編 博文館 1912 『抒情文鑑 作文資料』博文館 1912 『青年新書簡』積善館 1913 『大正式書翰文 文体一新』光盛館書店 1913 『中等書翰文』鍾美堂書店

天保大判

天保大判(てんぽうおおばん)とは天保9年6月24日(1838年)より発行された大判である。吹替えによるものではなく、享保大判と同形式であり金品位も近く、吹増大判(ふきましおおばん)あるいは吹継大判(ふきつぎおおばん)とも呼ばれる。 天保8年8月(1837年)から鋳造された五両判はもともと大判座の後藤四郎兵衛家十五代真乗が発案したも

天保通宝

天保6年(1835年)に創鋳された。貨幣価値は100文とされ、当百銭とも呼ばれたが、実際には80文で通用した。いずれにしても質量的に額面(寛永通宝一文銭100枚分)の価値は全くない貨幣で、経済に混乱を起こし偽造も相次いだという。明治維新後も流通したが、1891年(明治24年)12月31日を最後に正式に通用停止となり、1896年(明

川保天骨

川保 天骨(かわほ てんこつ、1970年 - )は、雑誌・書籍編集者、写真家、空手家、音楽・映像プロデューサー。株式会社オルタナエンターテイメント元代表取締役。福岡県立小倉東高等学校、大東文化大学卒業。 編集プロダクション・ラッシュの編集兼カメラマンを経て1999年独立。雑誌編集、音楽、映像コンテン