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พจนานุกรม

รายละเอียดคำ

官憲

[かんけん]
(1)役所・行政官庁, またはその任務に携わる役人・官吏。 特に, 警察関係についていうことが多い。
「~の手がまわる」
(2)政府・官公庁の規則。

คำที่เกี่ยวข้อง

官

(1)国家。 政府。 「~の手に成りしものなり/文明論之概略(諭吉)」 (2)国家の機関。 役所。 官庁。 また, そこに勤める人。 官吏。 「~を辞する」 (3)「太政官(ダイジヨウカン)」の略。 「~の司に定考(コウジヨウ)といふことすなる/枕草子 132」 (4)地位。 官位。 くらい。

官

(1)政務をつかさどる所。 役所。 官庁。 「かの~におはして見たまふに/竹取」 (2)政務をつかさどる者。 役人。 官吏。 「百(モモ)の~を従へ給へりしそのほど/増鏡(新島守)」 (3)つとめ。 役目。 官職。 「除目に~得ぬ人の家/枕草子 139」 (4)おもだったもの。 主要なもの。 「万調(ヨロズツキ)奉る~と作りたるその生業(ナリワイ)を/万葉 4122」 (5)主要人物。 かしら。 首長。 「即ち王辰爾を以て船の~とす/日本書紀(欽明訓)」

朝憲

(1)国家を治める根本の法規。 国憲。 (2)朝廷で定めたおきて。

合憲

(法律や命令などが)憲法の規定にかなっていること。 ⇔ 違憲

国憲

国の根本的な法則。 憲法。

憲法

⇒ 吉岡憲法

違憲

法律・命令・規則・処分などが憲法の規定に違反すること。 ⇔ 合憲

立憲

憲法を制定すること。

憲兵

軍隊内の秩序維持を主任務とする兵隊。 日本では1881年(明治14)憲兵条例により設置され犯罪捜査・軍紀維持・思想取り締まりにあたったが, 次第に権限を拡大し, 公安対策・思想弾圧・防諜などにも強い権力をふるった。

憲法

〔古くは「けんぼう」〕 ※一※ (名) (1)国家の基本的事項を定め, 他の法律や命令で変更することのできない, 国家最高の法規範。 → 大日本帝国憲法 → 日本国憲法 (2)物事の大原則となる約束事。 きまり。 おきて。 「わが家の~」「女にもかたさらずして遂にためしを立て給へる国司の~/十訓 10」 ※二※ (名・形動ナリ) 公正であること。 公平であること。 また, そのさま。 「賞罰ヲ~ニスル時ワ大将ノ威勢ガヨウアラワルル/天草本金句集」

家憲

家のおきて。 家訓。

憲政

憲法の定めるところに基づいて行う政治。 立憲政治。

護憲

立憲政治や憲法を擁護すること。

改憲

憲法を改めること。 「~論者」

黄憲

を見ると、前に仰ぎ見ていたかと思うと、突然後ろに現れるので、もとより測りがたいのです」と答えた。 陳蕃と周挙はいつもお互いに「しばらくのあいだ黄生に会わずにいると、けちくさい考えが心に芽生えてくる」といっていた。陳蕃が三公になると、朝廷に臨んで「叔度がもしいたら、わたしが先に印綬を帯びることはなかったろうに」と嘆いた。

竇憲

この北匈奴遠征により竇憲は大将軍に任じられる。大将軍となった竇憲は北匈奴を壊滅させるべく、2年後の永元3年(91年)、再度遠征に出発し、北匈奴の主力軍を粉砕、単于皇太后を捕虜とし、単于を倉皇逃亡させることに成功する。 このようにして確固たる地位を朝廷内に築いた竇憲は皇位簒奪を計画し、それを察知した和帝は中常侍鄭衆とともに竇憲の殺害を計画する。

李憲

と玄宗の間を裂こうとする讒言がなされることがあっても玄宗は全く信じようとはせず、李憲が臣下の礼を取ろうとするとこれを止めさせて、弟としての立場を終始崩すことがなかったという。 開元29年11月24日(742年1月5日)、63歳で病死。玄宗は深く悲しみ、諸臣の反対にもかかわらず、李憲に譲皇帝という諡を

裴憲

命を恭しく奉じ、ここに庶民を救ったのだ。束縛されていた人々はみな歓声を挙げ、道行く先々で喜び感謝した。二君(裴憲と荀綽)は威に驕る同悪であり、誠信が阻絶している。防風の戮(防風とは禹に誅殺された部族)が誰に帰そうとしているかが分からぬか」と責めた。裴憲は顔色を変えずに剛直に振る舞っていたが、涙を流す

憲宗

憲宗(けんそう)は、東アジアの君主の廟号の一つ。 唐の憲宗(李純、在位:805年 - 820年) 元の憲宗 - モンゴル帝国の第4代カアン・モンケ(在位:1251年 - 1259年) 明の憲宗成化帝(朱見深、在位:1464年 - 1487年) 高麗の憲宗忠宣王(王璋、在位:1298年および1308年