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พจนานุกรม

รายละเอียดคำ

小口城

小口城(おぐちじょう)は、愛知県丹羽郡大口町小口(尾張国丹羽郡小口)にあった日本の城(平城)。 長禄3年(1459年)、織田広近によって築城された。大久地城、箭筈城(やはずじょう)とも呼ばれている。東西約50間(約90m)・南北約58間(約105m)の曲輪に二重の堀と土塁が廻らされた形状であったとされる。

คำที่เกี่ยวข้อง

小口

(1)棒状のものを横に切った切り口。 (2)ものの端。 (3)物の数量や金額が小さいこと。 ⇔ 大口 「~の預金」「~の貸し付け」 (4)(ア)本の部分の名。 製本で, 本の背を除いた三方の断ち口。 特に本を開く側の断ち口の部分。 (イ)袋綴じの和装本で, 本文上下の切り口が見える部分。 特に下の方(下小口)のみをいい, 普通この部分に書名・巻数などを記す。 → 製本 (5)物事のほんのはじまり。 いとぐち。 はじめ。 「~のところを申しやせう/黄表紙・艶気樺焼」 (6)「小口袴」の略。 (7)「虎口(コグチ)」に同じ。

小口

(1)城郭・陣営の要所にある出入り口。 桝形(マスガタ)の仕切りをもち, その中を曲折して出入りする。 「~に立つてぞ待ちかけたる/謡曲・烏帽子折」 (2)きわめて危険なこと。 また, 危険な戦い。 ここう。 [日葡]

小城

〔「き」は城の意〕 土や石また柵(サク)などをめぐらしたとりで。 「此の村に土蜘蛛あり。 ~を造りて隠り/肥前風土記」

小城

佐賀県中央部, 小城郡の町。 近世, 鍋島支藩の城下町。 天山(テンザン)・彦岳(ヒコダケ), 久蘇(クシヨ)遺跡などがある。 小城羊羹(ヨウカン)を特産。

山口城

事堂公館公族諸邸学校役員官舎の順と定め、其の用材は萩城内其他及び桜田邸にて解除せるものを運送せしめんとせり。かく工事に古材を用ひんとせるは国内山林の濫伐流廃を防がんが為なり」「両公伝史料」(山口県文書館蔵) 禁門の変 大内氏館 - 同じく山口にあった室町時代の大内氏居館。高嶺城は同館の詰城として築かれた。

城口県

城口県(じょうこうけん)は中華人民共和国重慶市に位置する県。 清代に城口庁が設置、1913年に県に改編され現在に至る。 下部に2街道、10鎮、13郷を管轄する。 街道:葛城街道、復興街道 鎮:巴山鎮、坪壩鎮、廟壩鎮、明通鎮、修斉鎮、高観鎮、高燕鎮、東安鎮、咸宜鎮、高楠鎮

水口城

水口城(みなくちじょう)は、近江国甲賀郡水口村(現・滋賀県甲賀市水口町水口)にあった日本の城。城跡は県指定史跡である。 水口城は野洲川の中流域にあり、周辺はなだらかな水口丘陵である。北に東海道、南方に水口神社、そして野洲川が流れる。南部は野洲川の後背部で田が広がっていた。また、甲南部、杣谷を経て伊賀へと抜ける間道"伊賀街道"が通る。

小口忠

小口 忠(おぐち ただし、1878年12月1日 - 1942年5月24日)は、日本の映画監督、脚本家、実業家である。本名同じ。日本映画の初期において、吉沢商店、日活向島撮影所の脚本家、筆頭監督として数多くの作品を手がけ、横田商会・日活関西撮影所の牧野省三、帝国キネマ演芸の中川紫朗らとともに、初期量産

小城町

牛津町・芦刈町・三日月町と合併(新設合併)し市制施行、小城市となり消滅。 JR九州 唐津線 小城駅(三日月町) 小城町内には駅が存在しないため、最寄りの駅として小城駅がある。 小城駅は名称とは異なり三日月町にある。 国道203号 佐賀県道42号小城牛津線 佐賀県道44号小城富士線 佐賀県道48号佐賀外環状線 小学校

小林城

当初は三ツ山城(みつやまじょう)、もしくは三ノ山城(みのやまじょう)と呼ばれていたが、島津氏の城に帰すると 島津義弘により、人心一新のためと、北原氏が所有していたもう一つの三ツ山城(小林市・細野)との混同を避ける意味で、小林村にあったことから小林城と名を改められた。

小沢城

観応2年(1351年)、足利直義方の小沢城を足利基氏方の高麗経澄が攻め落とす。この時焼失した。 享禄3年(1530年)6月には、小沢城から出陣した北条氏康が、北条領に侵攻した上杉朝興を迎え討つ小沢原の戦いが起こり、氏康が上杉勢を退け初陣を飾る。 戦国時代以降は廃城となり放置されるが、江戸時代に入ると富士講が流行し、峰を

小金城

小金城は文禄2年(1593年)に廃城となった。 高城・小金城落城後、大谷口周辺は徳川幕府方旗本の土屋氏が圧政ではなく大熊家や八木原家などの有力者と相携えて村人と融和し両者対立することなく村の統治を行った。 昭和40年代頃までは森林の中に遺構がほぼ完存していたが、宅地開発により、多くが消失している。

小高城

、この小高城の狭さゆえであると思われる。 現在は本丸跡の平場に相馬氏の守護神である天之御中主神を祀る相馬小高神社が建っており、相馬野馬追祭りの時に、裸馬を素手で取り押さえ神社に奉納する「野馬懸け」の場所として知られている。 城跡は1958年(昭和33年)8月1日付けで福島県の史跡に指定された。

小城市

生涯学習センター「ドゥイング三日月」 小城市牛津会館 小城市牛津赤れんが館 小城市芦刈地域交流センター「あしぱる」 八丁グリーンカルチャーセンター 農家高齢者創作活動施設 永岡荘 小城市民図書館 小城館 三日月館 牛津分室 芦刈分室 唐津競艇場ボートピア三日月 小城体育センター 小城公園グラウンド 小城公園テニスコート

小城駅

村岡総本舗小城駅前店 小城公園 - 北西へ約300メートル 小城市民図書館小城館 小城市保健福祉センター 佐賀県立小城高等学校 小城市立小城中学校 小城市立桜岡小学校 ゆめぷらっと小城(旧小城町役場) - 旧小城町中心市街地国道203号沿い 昭和バス小城発着所 - 旧小城

小倉城

1866年(慶応2年)、第二次長州征討で小倉藩と長州藩の戦闘の際、小倉藩は長州藩の攻勢の前に小倉城撤退を決める。同年8月1日、小倉藩の付火により小倉城を焼却し、幼少の藩主は熊本藩に退避。家老以下の藩首脳は香春で指揮を執った。 1867年(慶応3年)、長州藩と小倉藩で和平が成立。しかし、小倉城を含む企救郡は長州

小城郡

小城町(単独町制。現・小城市) 三日月村 ← 三ヶ島ヶ里、長神田ヶ里、織島ヶ里、道辺ヶ里、堀江村、金田ヶ里、樋口ヶ里、久米ヶ里、石木ヶ里、甲柳原ヶ里(現・小城市) 牛津村 ← 牛津町、柿樋瀬村、勝ヶ里、乙柳ヶ里(現・小城市) 芦刈村 ← 三王崎村、浜枝川村、永田村、道免村、下古賀村、芦溝村(現・小城市) 砥川村 ←

小諸城

懐古園の入り口は、旧三の門を利用しており、徳川家達の筆による『懐古園』の扁額が掲げられている。この三の門は小諸市のシンボルとしてフジテレビのアニメーション『サザエさん』の旅行編やオープニングにも複数回登場している。 懐古園の敷地の多くは、懐古園

小浜城

小浜城 (おばまじょう) 福井県小浜市にある城。小浜城 (若狭国) 福島県二本松市にあった戦国時代の山城。小浜城 (陸奥国) (こばまじょう) 千葉県いすみ市にあった戦国時代の山城。小浜城 (上総国) このページは曖昧さ回避のためのページです。一つの語句が複数の意味・職能を有する場合の水先案内のため