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รายละเอียดคำ

小墾田皇女

小墾田皇女(おはりだのひめみこ、生没年不詳)は、飛鳥時代の皇族。敏達天皇の皇女で、母は推古天皇。名は小治田王(おはりだのおおきみ)と表記される。 同母の兄弟姉妹に菟道貝蛸皇女(聖徳太子妃)・竹田皇子・鸕鶿守皇女・尾張皇子(聖徳太子の妃橘大郎女の父)・田眼皇女(舒明天皇妃)・桜井弓張皇女(押坂彦人大兄皇子及び来目皇子の妃か)らがいる。

คำที่เกี่ยวข้อง

小墾田宮

小墾田宮(おはりだのみや)は、飛鳥時代の推古朝および奈良時代の淳仁朝・称徳朝の宮殿。「小治田宮」とも書く。近年の発掘調査から、奈良県明日香村の雷丘周辺にあった可能性が高くなっている。 日本書紀によると603年(推古11年)、豊浦宮(とゆらのみや)で即位した推古女帝は新宮として小墾

墾田

新たに開墾した田。 治田(チデン)。 こんでん。 「郡の北二里に山田の里あり, 多く~となれり/常陸風土記」

墾田

律令制下, 新たに開墾した田地。 723年の三世一身の法, 743年の墾田永年私財法以後増加の一途をたどり, 班田収授法崩壊・荘園成立の要因となった。 はりた。

墾田

〔「はる」は開墾の意〕 乾田のこと。 湿田をいう地方もある。

八田皇女

私地を献じて死を免れたという。 『古事記』でも概ね同様の所伝を記すが、菟道稚郎子の自殺や遺言の話はなく、大后(皇后)になったことも明記されてはいない。 八田皇女に関して、宮内庁による治定墓はない。ただし、奈良県奈良市法華寺町にある宮内庁の宇和奈辺陵墓参考地(うわなべりょうぼさんこうち、北緯34度41分51

田眼皇女

田眼皇女(ためのひめみこ、生没年不詳)は、飛鳥時代の皇族。敏達天皇の皇女で、母は推古天皇。舒明天皇の妃。 同母の兄弟姉妹に菟道貝蛸皇女(聖徳太子妃)・竹田皇子・小墾田皇女(押坂彦人大兄皇子妃)・鸕鶿守皇女・尾張皇子(橘大郎女父)・桜井弓張皇女(押坂彦人大兄皇子及び来目皇子の妃か)らがいる。

田形皇女

5日の文武天皇の崩御後とみられる。その後正四位上六人部王(身人部王)と結婚して笠縫女王を産んだ。神亀元年(724年)2月6日に二品に叙せられる。同5年(728年)3月5日に薨じた。 田形皇女自身の歌は伝わらないが、夫(巻一 68)と娘(巻八 1611)の歌がそれぞれ1首『万葉集』に採録されている。

大田皇女

大田皇女(おおたのひめみこ)は、天智天皇の皇女。母は蘇我倉山田石川麻呂の娘・遠智娘。同母妹に鸕野讚良皇女(持統天皇)。同母弟に建皇子がいる。 同母妹・鸕野讚良皇女とともに大海人皇子(天武天皇)の妃となり、大伯皇女・大津皇子を生むが、夫の即位前に薨去。薨去当時の大伯皇女は7歳、大津皇子は5歳で、母方の

皇女

天皇の娘。 内親王。 ⇔ 皇子

皇女

天皇の娘。 こうじょ。 ひめみこ。 ⇔ 皇子

皇女

(1)天皇の子供を敬っていう語。 皇子・皇女。 (2)(父である神に対して)キリストを敬っていう語。 「神の~」「救いの~」 (3)親王。 親王宣下を受けた天皇の皇子。 「仁和のみかど, ~におましましける時に/古今(春上)」 (4)他人を敬ってその子をいう語。 「主を殺さぬ事, ~の君ぞしらせ給へる/読本・春雨(捨石丸)」

新田部皇女

新田部皇女(にいたべのひめみこ)は、天智天皇の皇女。母は橘娘(父:阿倍内麻呂)。同母の姉に明日香皇女。699年に死亡した時、葬儀には皇族・臣下および百官の人々が参列するようにと勅があった。 父:天智天皇 母:阿倍橘娘(父:阿倍内麻呂) 姉:明日香皇女(忍壁皇子妃) 伯母:小足媛 従兄弟:有間皇子 夫:天武天皇

小金原開墾

『旧小金原開墾地払下願書』があり、大隈と土地の関係を示唆する。 1887年(明治20)年『京都府平民三井高福ニ金盃ヲ下賜シ千葉県平民西村郡司外一名ヘ藍授褒章授与ノ件』との文書もある。外一名とは元佐賀藩士深川亮蔵で、佐賀藩の関係者が利権を得ていた事を示す。 1894年(明治27)と翌年、開墾会社に対す

未墾

まだ開墾していないこと。 「~の大地」

開墾

山野を切り開いて新しく田畑にすること。 「荒れ地を~する」

新墾

新しく開墾すること。 また, その土地。 「湯種蒔く~の小田を求めむと/万葉 1110」

新墾

新たに土地を開墾すること。 「~地」

新墾

〔「にいはり」とも〕 新しく田を開墾すること。 また, 道などをつくること。 「~の今作る道さやかにも/万葉2855」

泉皇女

泉皇女(いずみのひめみこ)は、天智天皇の皇女。母は天智天皇の後宮の女官である宮人(めしをみな)、色夫古娘(しこぶこのいらつめ)で、同母兄姉に大江皇女と川島皇子がいる。伊勢斎王。 文武天皇5年(701年)2月16日に斎宮に卜定される。翌2年(702年)1月17日、新しく設けられた斎宮頭(斎宮寮の