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พจนานุกรม

รายละเอียดคำ

小錦下

入石や天武天皇10年(681年)に大使として使わされた采女竹羅がいる。同じ年には筑紫に来た新羅使金忠平をその地で饗応するために、小錦下の河辺子首が派遣された。天武天皇13年(684年)には、小錦下の高向麻呂が大使として新羅に遣わされた。 采女竹羅と同じ日に高麗に派遣された佐伯広足も小錦下で、彼は天武

คำที่เกี่ยวข้อง

大錦下

大錦下(たいきんげ)は、664年から685年まで日本で用いられた冠位である。26階中9位で上が大錦中、下が小錦上であった。 天智天皇3年(664年)2月9日の冠位26階の制で、大花上と大花下の2階を大錦上、大錦中、大錦下の3階に改めて設けられた。大化3年(647年)の制度には大錦

小錦上

小錦上(しょうきんじょう)は、664年から685年まで日本で用いられた冠位である。26階中10位で上が大錦下、下が小錦中であった。 天智天皇3年(664年)2月9日の冠位26階の制で、小花上と小花下の2階を小錦上、小錦中、小錦下の3階に改めて設けられた。大化3年(647年)の制度には小錦という冠位

小錦中

を命じられた中の忌部子首、天武天皇13年(684年)に広瀬王とともに畿内で都にふさわしい地を探してまわった大伴安麻呂がいる。 天武天皇9年(680年)に死んだ星川麻呂と、同じく11年(682年)に死んだ膳摩漏は、没時に小錦中であったが、壬申の乱の功臣であったため、死後大紫位を贈られた。

錦小路家

室町時代の丹波重直の子・錦小路幸基を祖とする。5代盛直の時に中絶するが、江戸時代前期の宮内大輔舟橋頼季の子・頼庸が入って再興する。家業は医道。江戸時代の家禄は御蔵米30石。 幕末の頼徳は尊皇攘夷派として活躍するが、八月十八日の政変で失脚して三条実美らと共に長州に下った七卿落ちの公家の一人。

錦小路通

高倉通と寺町通間の錦市場は京の台所とよばれ、青果店、鮮魚店、乾物店、惣菜店などが並ぶアーケード、石畳の狭い通り。 新京極通から烏丸通までが路上喫煙等禁止区域である。 錦天満宮 新京極通 新京極通 錦市場 寺町から高倉 大丸京都店 高倉から東洞院 京都市立堀川高等学校 堀川通 京都市交通局本局 壬生川通

錦

(1)種々の色糸を用いて華麗な模様を織り出した織物の総称。 模様を経(タテ)糸で表す経錦(タテニシキ)と, 緯(ヨコ)糸で表す緯錦(ヨコニシキ)がある。 唐織(カラオリ)・綴(ツヅレ)織・金襴など。 現在, 西陣が主産地。 「金銀珊瑚(キンギンサンゴ)綾(アヤ)~」 (2)色や模様の美しいもの。 「紅葉の~」「みわたせば柳桜をこきまぜて宮こぞ春の~なりける/古今(春上)」 <i>~を飾・る</i> 功を成し遂げて故郷に帰る。 「故郷に~を飾る」 <i>~を着て夜行くが如(ゴト)し</i> 〔漢書(項羽伝)〕 立身しても故郷に帰らないのは, 錦を着ても人に姿を見てもらわないのと同じで, 甲斐がないということ。

錦小路頼徳

錦小路 頼徳(にしきこうじ よりのり)は、江戸時代後期の公家。文章博士・唐橋在久の長男。錦小路頼易の養子。官位は従四位上・右馬頭、贈正四位。字は一貫。 豊岡治資、その後、錦小路頼易の養嗣子となる。嘉永4年(1851年)に叙爵を受け、2年後に大和権介に任じられる。安政5年(1858年)の廷臣八十八卿列

小城錦康年

した後(特に城錦康允が入門した2003年1月場所以降)は、兄と同じ小城の略称が使われたこともあった。 中立 康年(なかだち やすとし)2004年1月-2005年3月 中立 康照(なかだち やすてる)2005年3月- ベースボールマガジン社『大相撲名門列伝シリーズ(1) 出羽海部屋・春日野部屋 』(2017年、B・B・MOOK)

小花下

小花下(しょうけげ)は、649年から664年まで日本で用いられた冠位である。小華下とも書く。19階のうち上から数えて10番目で、小花上の下、大山上の上にあたる。 大化5年(649年)2月の冠位19階の制で設けられた。かつての小錦を小花上と小花下に分割したうちの一つである。天智天皇3年(664年)2

小野錦喜三郎

趣味は昆虫を飼う事で、特にコオロギやキリギリスが好きだったという。 中学校卒業後に角界入りした長男・清隆(きよたか、1957年12月20日生まれ)は、三保ヶ関部屋の元力士・芙蓉峰(ふようみね)である。1973年9月場所にて、15歳で初土俵を踏んだ。以後、1982年9月場所まで約9年現役に在ったが、関取にはなれずに終わってい

錦タワー

1993年(平成5年)、北海道南西沖地震が発生し、奥尻島は津波による大きな被害を受けた。1994年(平成6年)に谷口町長を始めとした紀勢町の視察団は奥尻島を訪問、当時の奥尻町長から「何が何でも高台に逃げることだ」との教訓を伝えられた。視察を元に紀勢町では199

錦地

〔風光明媚(メイビ)な美しい地の意〕 手紙などで, 相手を敬ってその居住地をいう語。 御地(オンチ)。 貴地。

錦繍

(1)錦(ニシキ)と刺繍(シシユウ)をした織物。 「~の帯」「綾羅(リヨウラ)~」 (2)美しい織物。 立派な衣服。 「身に~をまとう」 (3)美しい紅葉や花をたとえていう。 「秋の野山を~で彩る」 (4)うるわしい字句の詩文のたとえ。 <i>~の腸(ハラワタ)</i> 「錦心繍口(キンシンシユウコウ)」に同じ。

蜀錦

「蜀江(シヨツコウ)の錦(ニシキ)」に同じ。

錦秋

紅葉が錦(ニシキ)のように色鮮やかな秋。 「~の候」

錦上

錦(ニシキ)など, 美しいものの上。 <i>~に花を敷・く</i> 「錦上に花を添える」に同じ。 <i>~に花を添・える</i> 美しいものの上に, さらに美しいものを加える。 錦上に花を敷く。

錦綺

にしきとあやぎぬ。 あやにしき。

錦紗

(1)紗の地に金糸・箔(ハク)・絹の色糸などを織り込んで模様を表した絹織物。 夏の袈裟(ケサ)などにする。 (2)「金紗縮緬(チリメン)」「金紗御召(オメシ)」の略。

錦旗

天子の旗。 官軍であることを証する旗。 明治維新の際には, 赤地の錦に日月紋, または菊花紋を描いた二種のものが用いられた。 にしきのみはた。