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รายละเอียดคำ

息長真手王

息長真手王(おきながのまてのおおきみ、生没年不詳)は5世紀から6世紀頃の日本の皇族。王女に麻績郎女・広姫。麻績郎女は継体天皇の妃として荳角皇女を産み、広姫は敏達天皇の皇后として押坂彦人大兄皇子・逆登皇女・菟道磯津貝皇女を産んだ。 王女2人が天皇の妃となった以外、さしたる事蹟の記述はない。意富富杼王の

คำที่เกี่ยวข้อง

息長宿禰王

息長宿禰王(おきながのすくねのみこ、生没年不詳)は、日本の皇族。第9代開化天皇玄孫で、迦邇米雷王の王子。母は丹波之遠津臣の女・高材比売。神功皇后の父王として知られる。気長宿禰王とも。 王は河俣稲依毘売との間に大多牟坂王、葛城之高額比売との間に息長帯比売命(おきながたらしひめのみこと)、虚空津比売命(

息長氏

息長氏(おきながうじ)は、「息長」を氏の名とする氏族である。 『古事記』における「息長」の文字の初出は、息長水依比賣である。父は天之御影神の六世孫・国忍富命、夫は日子坐王(第9代開化天皇の子)とされる。次は、開化天皇皇子の日子坐王の子である迦邇米雷王を父とする息

王手

(1)将棋で, 相手の王将に直接攻めかける手。 (2)もう一歩で自分の勝利が決まるという最終段階。 「優勝へ~をかける」 <i>~をか・ける</i> (1)「王手{(1)}」の状態にする。 (2)成功・成就が目前の状態になる。

息

(1)口や鼻から吐く呼気や吸う吸気。 「~を吐く」 (2)呼吸運動。 「~が絶える」「~がとまる」 (3)元気。 活気。 勢い。 「~を吹き返す」 (4)組になって仕事をするときの, 仕事をうまく運ぶための調子やリズム。 「~が合わない」 (5)茶などのかおり。 (6)いのち。 「人妻児ろを~に我がする/万葉 3539」 <i>~が合・う</i> ともに事をする二人以上の間で気分がぴったりと合う。 「よく~・ったバッテリー」 <i>~が掛か・る</i> 強い者の庇護(ヒゴ)・影響の下にある。 「会長の~・った社員」 <i>~が通・う</i> (1)生きている。 息をしている。 (2)精神がこもって充実する。 「作者の~・った作品」 <i>~が切・れる</i> (1)呼吸が激しくなって苦しくなる。 あえぐ。 「走り続けて~・れる」 (2)物事を長く続けられなくなる。 (3)呼吸が止まる。 息が絶える。 死ぬ。 「とう皆深手に~・れた/阿部一族(鴎外)」 <i>~が続・く</i> 物事を長く続けることができる。 「遠大な計画でとても~・かない」 <i>~が詰ま・る</i> (1)呼吸が苦しくなる。 (2)息苦しいほどに緊張する。 「~・るような熱戦」「堅苦しい席で~・る」 <i>~が長・い</i> (1)活動期間や価値を保っている期間が長い。 「~・い出版物」 (2)一つの文の長さが長い。 <i>~白し</i> 寒さで, 吐く息が白い。 ﹝季﹞冬。 《駆け来る人馬もろともに~/宮原山水》 <i>~もつかせず</i> 途中で休まないで。 一気に。 <i>~を入・れる</i> ひと休みする。 休憩する。 一息入れる。 <i>~を凝(コ)ら・す</i> 呼吸をとめて緊張する。 息を詰める。 「事のなりゆきを~・して見守る」 <i>~を殺・す</i> 呼吸を抑えて静かにしている。 「物陰から~・して様子をうかがう」 <i>~(を)つ・く</i> (1)抑えていた息を大きく吐く。 (2)ひと休みする。 ほっとする。 「~・く暇もない」 <i>~を継・ぐ</i> (1)息つぎをする。 (2)ちょっと休息をとる。 <i>~を詰・める</i> 「息を凝らす」に同じ。 <i>~を抜・く</i> 途中でひと休みする。 休憩する。 <i>~を呑(ノ)・む</i> 驚いて, 息をとめる。 「美しさに~・む」 <i>~を弾(ハズ)ま・せる</i> はげしい息づかいをする。 <i>~を引き取・る</i> 息が絶える。 死ぬ。 <i>~を潜(ヒソ)・める</i> そこにいることを知られないように, 息の音も聞こえないようにじっとしている。 <i>~を吹き返・す</i> 生き返る。 もち直す。 「重篤から~・す」「お蔵(クラ)になっていた計画が~・す」

息

(1)子息。 むすこ。 「君の処の~もはやく洋学をまなばせなせえ/安愚楽鍋(魯文)」 (2)利子。 利息。 「年に三分三分半の~/公議所日誌」

真興王

真興王(しんこうおう、534年 - 576年)は、新羅の第24代の王(在位:540年 - 576年)であり、姓は金、諱は彡麦宗または深麦夫。『北斉書』には金真興として現れる。父は先代の法興王の弟の立宗葛文王金仇珍、母は法興王の娘の只召夫人。王妃は朴氏の思道夫人。540年7月に先王が死去し、彡麦宗が7

真平王

金庾信,王京人也。十二世祖首露,不知何許人也。以後漢建武十八年壬寅,登龜峯,望駕洛九村,遂至其地開國,號曰加耶,後改為金官國。其子孫相承,至九世孫仇充,或云仇次休,於庾信為曾祖。羅人自謂少昊金天氏之後,故姓金。庾信碑亦云:「軒轅之裔,少昊之胤。」則南加耶始祖首露與新羅,同姓也。 — 三国史記、巻四十一 中国語版ウィキソースに本記事に関連した原文があります。

真智王

真智王(しんちおう、生年不詳 - 579年8月24日(旧暦7月17日))は、新羅の第25代の王(在位:576年 - 579年)であり、姓は金、諱は舎輪または金輪。『三国遺事』紀異・桃花女鼻荊郎条には舎輪王とも記される。先代の真興王の次男であり、母は朴英失の娘の思道夫人、王妃は朴氏の知道夫人。真興王

尚真王

50年にわたった尚真王の最大の事跡は、中央集権体制を確立し、第二尚氏王統の権力基盤を安定させたことである。 そのために、各地に割拠して力を持っていた按司を首都の首里に集居させ、地方には代わりに按司掟という役人を派遣して領地を管理させた。首里に住む按司には領地に応じた収入を保証した。按司には位階が与えられ、身分に応じて

手長足長

足が長いほうが「足長」として表現される。 秋田では鳥海山に棲んでいたとされ、山から山に届くほど長い手足を持ち、旅人をさらって食べたり、日本海を行く船を襲うなどの悪事を働いていた。鳥海山の神である大物忌神はこれを見かね、霊鳥である三本足の鴉を遣わせ、手長足長

足長手長

王圻が編纂した中国の類書『三才図会』(1609年)および、その記述をもとに日本で江戸時代に編纂された『和漢三才図会』では、足長は長脚(ちょうきゃく)、手長は長臂(ちょうひ)とされ、それぞれ脚の長さが3丈、腕の長さが2丈とある。また、長脚人が長臂人を背負って海で魚を捕るということも記されており、日本ではこれを画題とした絵画が御所の中に設置

長澤真

JASON、J村名義でも活動している。アメリカン・コミックス執筆時のペンネームはShin”Jason”Nagasawa。 単行本化されている作品 『せどうか』(2004年 - 2008年、robot連載、ワニマガジン社、全1巻) 『瑪瑙之竜』(2009年 - 、Fellows!/ハルタ連載、エンターブレイン、全4巻)

長尾真

電子情報通信学会会長・情報処理学会会長などを歴任。1997年から2003年まで京都大学総長を務め、国立大学協会会長として国立大学法人化を行った。また、自ら機械翻訳国際連盟(下部組織の日本機械翻訳協会は現「アジア太平洋機械翻訳協会」)・言語処理学会を設立し、初代会長を務めた。 京都大学退官後、2004年に旧通信総合研

真長寺

名鉄岐阜のりば(名鉄岐阜駅西)より「三輪釈迦前」バス停下車。徒歩すぐ。 4番のりば 高美線「中濃庁舎」行き 加野団地線「三輪釈迦前」行き 三輪神社 (岐阜市) 大智寺 (岐阜市) 正門 杉苔枯山水 石庭 木造釈迦如来坐像 ^ “木造釈迦如来坐像”. 岐阜県. 2013年5月11日閲覧。 ^ “絹本著色文殊菩薩像”. 岐阜県. 2013年5月11日閲覧。

長屋王

和銅4年(711年)7月:諸司の怠慢により律令がなかなか施行することができない状態にあるため、律令に違反したにもかかわらず、官人の考第(考課の評定等級)を正しく取り扱わない場合処罰する。 和銅6年(713年)4月:式部省は官人の考課・選叙が任務でありその責任は他の省より重いとして、式部卿不在時に官人の勲績を議論することを禁止。

長寿王

長寿王(ちょうじゅおう、394年 - 491年)は、高句麗の第20代の国王(在位:413年 - 491年)。姓は高、諱は巨連。『魏書』などには「璉」の名で現れる。先代の好太王の長子であり、409年に太子に立てられ、413年に先王の死により後を継いで即位する。

真徳女王

(六部の一つで慶州市南山里から皇南里と考えられる)に埋葬された。唐の高宗は女王の死を悼んで永光門で挙哀の礼を行ない、開府儀同三司の追贈とともに綵(あやぎぬ)三百段を香典として賜った。女王には配偶者がいた形跡がなく、女王の死によって新羅の聖骨真興王系列の長男は断絶し、次男真骨武烈王が推戴されて王位を継

真聖女王

この女王の治世には国内で反乱が続発し、後三国時代の幕開けとなる。治世11年にして、女王は「盗賊蜂起、此れ孤の不徳なり」と宣言し、「太子」に譲位した。この年12月、女王は金城(慶州)の北宮で死去した。 真聖女王の後継となった孝恭王(在位:897年 - 912年)は実子ではなく、憲康王の庶子である。その孝恭王も子なくし

王徳真 (元)

。考諱資栄妣史氏。公生九歳而孤、太祖皇帝提兵南下、敗金軍於野狐嶺得公。喜其頭顱不凡、命宮掖撫養之。三年通蒙古語言訳説辯利太祖出入提携之。丁丑冬、太祖巡狩於図拉河、匠官史大使帥群工懇訴於公曰吾儕小人以絶食而殍者已十七八、存者亦将垂死微公其誰救之。公即言於上、凡所獲猟獣尽以給餓者、継賜以牛羊、又弛塔拉