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พจนานุกรม

รายละเอียดคำ

楊心流

流も楊心流から生まれた。現代武道で使用される急所名(水月、人中、村雨等)はほぼ楊心流のものが流用されている。これは現代武道の急所名が柔道経由で各武道に伝わったからである。 楊心流の流祖は、県立長崎図書館に所蔵の二代目大江千兵衛の直筆伝書と思われる『楊心流静間之巻』では、「秋山四郎兵衛義昌」となっている。

คำที่เกี่ยวข้อง

楊心古流

のである。自念力には限りがあるが、稽古の力は限りないのでよく工夫しなければならない。 歌に、形なき物かと見れば松風の枝も動かず音もこそすれ。 業前は思わないのが弱ることの糸口である。稽古の気が離れたらそれ限りである。年老ても辛抱が杖柱であれば油断なく工夫錬磨するべきである。

鞍馬楊心流

村上良順院 藤田仁兵衛 今井左次兵衛 中田彦衛門 座捕 手搦、四門、片羽、夢枕、腰巻、無刀、睾突 飛天膳越、片羽の打付、入腰、状渡、引立 立捕 襟引、車轉、追駈、試手、行合、行合の打付、羽交 肘突、大腰右、大腰左、巻落右、巻落左、身砕、不追 居合 竹鞭剣、胴払、逆抜、柄留、柄取 三尺棒

本體楊心流

り、昭和に入ってから派生した流派である。高木流は、明治以降もいくつかの分派を生じている。 高木流16代・角野八平太に入門し、皆伝を得た皆木三郎(号・虚舟)は、師の遺志を継ぎ、もともとの高木流の術技のうち、重要なものはそのまま残しつつ、技法の整理編纂に従事した。

普門楊心流

普門楊心流(ふもんようしんりゅう)とは、高木流柔術(本體楊心高木流)の実戦名人であった皆木三郎が昭和十年代に高木流柔術をもとに開いた柔術流派。現在は本體楊心流と称している。柔術、棒術、半棒術、小太刀術、居合からなる。 流名の由来は、流派創始の際、兵庫県の摩耶山中の普門の滝で参篭したことによる。 表示

楊心流薙刀術

流薙刀術を伝えた調琴乃助が記されており、むしろ星野家の系統から分かれたことを裏付けている。 また、他藩に嫁入りする可能性がある女性に教える流派が御留流になりえるのかも疑問がある。 柳のごとくたおやかにして肉を切らして骨を断つ ^ 日本古武道協会 編 『日本古武道総覧 平成九年度版』 島津書房 1989年

心鏡流

心鏡流 (しんきょうりゅう)は、山根由房が開いた槍術、薙刀術、鎖鎌術(当流では「草鎌」と称する)の流派。 1684年(天和4年)、山根由房(山根左五右衛門)が開いたとされる。山根由房は、高橋新五左衛門より風伝流槍術を学んだとされる。 彦根藩で伝承され、藩校の稽古館でも心鏡流槍術が教授されていた。彦根

玉心流

玉心流(ぎょくしんりゅう)とは、江戸時代の佐々木暉頼(佐々木五郎衛門)が開いた柔術の流派である。 養正館武道を開いた合気道家・柔道家の望月稔は、当流も学んで養正館武道を開いた。 なお、現在、初見良昭が宗家を称している玉心流骨法術は室町時代の佐々木貞安を開祖とする同名別流である。 増補版・武芸流派大辞典 綿谷雪 東京コピイ出版部 

揚心流

揚心流(ようしんりゅう)とは日本の武術の一派。 揚心古流のこと。正式には揚心流だが、下の楊心流と区別するためにこう呼ぶ。戸塚派揚心流とも呼ばれた。 楊心流のこと。楊の字の代わりに揚の使う場合も多い。 楊心流薙刀術のこと。元々は上の楊心流の一部で、同様に揚心流と表記されることがある。

以心流

小倉藩を中心に伝わった剣術と居合術の流派。 岡藩を中心に伝わった剣術、槍術の流派。 仙台藩を中心に伝わった剣術の流派。 流祖の鈴木兵左衛門吉定(兵太夫とも)は田宮自園入道(田宮長勝と見られている)に居合を学び、又三十七流の剣術を学んだ。その後、豊後の多福寺の賢岩禅師に参禅し、開悟して一流を開いた。小倉藩初代藩主の

止心流

一足手詰、浦風、鐺遍、高手搦、折廻、廻斬、雲上、四方詰、八方詰、影燈 止心入挌 36 柴遍、違落、富士之腰折、袖陰、梶落、弛船 碇引、瀉保波、夢戻、浪枕、諸手砕、山陰 両手詰、陰陽詰、天狗之見返、杳遍、唐糸戻、峯戻 大乱、枝技投、柄搦、紅葉重、逆刀、腹上剣 玉咄、大小捌、二刀詰、巖石落、谷廻、離剣 羽伏折、後帯剣、延羽戻、燕返、袖之露、輪抜

養心流

養心流(ようしんりゅう)は、岡山県南部に伝承・現存している古武道の流派。柔術・棒術、半棒術・捻(十手)・縄・居合・活法などからなる総合武術。演武会などでは棒術での演武が多い。 流祖は周防国の秋山伯耆守と伝わる。また稲垣帯刀を祖とする伝書も確認されている。 流祖

鏡心流

事変)では、光政は久世広周登城の警護に帯同していた。坂下門外の変に遭遇した際、実戦本意の剣術の必要性を実感したという。 維新以後は、住まいを境町に移し文筆活動を続けながら「演武館」を創設し、爾来その館主として大いに力を尽くし専ら後輩の育成に努めた。 明治36年(1903)5月6日を以て没する。享年

扱心流

心無手勝流居合)と並ぶ肥後柔術三道場の一つとされ、大いに栄えた。また、江口家から幕臣の窪田家の養子となった窪田鎮勝が江戸で扱心流を指導し、幕府の講武所の柔術師範役となった。 明治時代に警視庁で制定された警視流柔術に、扱心流からは捨身技のひとつである「陽ノ離レ」が採用された。 犬上左近将監永勝

至心流

至心流(ししんりゅう)とは、小泉利心斎が開いた柔術、捕手の流派である。 流祖は、竹内流を学んだ小泉利心斎である。 竹内藤一郎、竹内内記を経て関民子に竹内流が伝わり、その弟子の小泉利心斎が工夫を加えて寛文四年(1664年)に至心流と号して庄内に伝えた。 助川から至心流を学んだ岩瀬一心斎重周は、竹生島流棒術の免許皆伝でもある。

天心流

現在は失伝しており、内容に関しては不明である。 時沢弥兵衛は柳生宗矩に新陰流を学び、後に天心流を編みだす。 時沢弥兵衛は時沢弥平と称し撃剣叢談などの一部史料にはそちらの名前で書いてある。 三日月藩、福本藩にも伝わり、三日月藩では藩校・廣業館にて指導されていた。

貫心流

貫心流(かんしんりゅう)は、宍戸司箭家俊が開いた日本の古武道の流派。剣術・居合・長刀(薙刀術)・柔術などが伝わっていた。「司箭流」とも呼ばれ、特に薙刀術は司箭流の流名を用いている場合が多い。 宍戸司箭以前は、源義経を遠祖とし、義経の家来・由利忠太正之の子孫が室町時代末期に安芸国広島へ伝えたと伝承されている。

天神真楊流

みなもとの まさたり)で、伊勢国松坂の人。楊心流(秋山楊心流)とその分流である真之神道流を修めた。 磯又右衛門は一柳織部から楊心流を本間丈右衛門から真之神道流を学んだ。その後、修行して諸国を廻り京都で修業中に真之神道流を立てれば一柳に義理立たず、楊心流を立てれば本間へ義理立たずと思い北野天満宮へ内

和新心流

和新心流(やわらしんしんりゅう)は、関口流とも呼ばれ、関口弥伍右衛門氏成(せきぐちやごえもんうじなり)を流祖とする居合の流派である。江戸時代の伝書などには、柔新心流と表記する文献もある。 江戸時代には、彦根藩・津藩・尾張藩・郡上藩・桑名藩・松代藩・西尾藩・岩村藩などに広まった。幕末においては、その

心形刀流

横満子残(よこまんじのこし) 刀合切(とうごうせつ) 相捲(そうまくり) 清眼破(せいがんやぶり) 柳雪刀(りゅうせつとう) 鷹の羽(たかのは) 水月刀(すいげつとう) 三心刀(さんしんとう) 無拍子(むびょうし) 右押之甲手切(みぎおしのこてぎり) 左押之甲手切(ひだりおしのこてぎり) 脾尻突(ももしりつき)