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รายละเอียดคำ

波号第八潜水艦

号第八潜水艦に改称。1929年(昭和4年)4月1日に除籍。 ※艦長等は『日本海軍史』第9巻・第10巻の「将官履歴」及び『官報』に基づく。 艇長 吉山百重 少佐:不詳 - 1917年2月7日 艦長 寺垣敬三 大尉:1920年12月1日 - 1921年3月15日 吉富説三 大尉:1921年3月15日 -

คำที่เกี่ยวข้อง

波号第百八潜水艦

艦と命名されて波百一型潜水艦の8番艦に定められ、本籍を呉鎮守府と仮定。11月28日、艤装員事務所を川崎神戸造船所内に設置し事務を開始。12月28日、進水。進水後の艤装は川崎重工業本社艦船工場で行う。 1945年5月6日竣工し、艤装員事務所を撤去。本籍を呉鎮守府に、役務を呉鎮守府練習兼警備潜水艦にそ

波号第二百八潜水艦

波号第二百八潜水艦(はごうだいにひゃくはちせんすいかん)は、日本海軍の潜水艦。波二百一型潜水艦の8番艦。太平洋戦争末期に竣工したが外海に出撃することなく、戦後に海没処分された。 マル戦計画の潜水艦小、第4911号艦型の8番艦、仮称艦名第4918号艦として計画。 1945年5月1日、波号第二百八潜水艦と命名されて

波号第六潜水艦

1912年(明治45年)7月18日 進水 1912年(大正元年)9月30日 竣工。潜水艇に類別。艦名は第十三潜水艇 1916年(大正5年)8月4日 二等潜水艇に類別 1919年(大正8年)4月1日 三等潜水艦に類別、艦名を第十三潜水艦に改称 1923年(大正12年)6月15日 波号第六潜水艦に改称 1929年(昭和4年)12月1日

波号第三潜水艦

波号第三潜水艦(はごうだいさんせんすいかん)は、日本海軍の潜水艦。波三型潜水艦(C2型)の1番艦。 1910年(明治43年)8月1日、呉海軍工廠で起工。船体と兵器は国産で、イギリスから機関、潜望鏡、ジャイロコンパスを輸入して建造された。1911年(明治44年)3月4日進水。同年8月21日竣工。第十潜

波号第十潜水艦

波号第十潜水艦(はごうだいじゅうせんすいかん、旧字体:波號第十潜水艦)は、日本海軍の潜水艦。波九型潜水艦(S型)の2番艦。 1913年(大正2年)11月20日、フランスのシュナイダー社で起工。1914年(大正3年)4月7日進水。1915年(大正4年)3月19日、第十

伊号第八潜水艦

全火器で水平射撃を開始した。伊号潜水艦の上部構造物は吹き飛び、気泡を噴出した。ストックトンは片舷用爆雷投射機3基で攻撃した。伊8は30分以上もローリング・ピッチングしながら集中砲火を浴びた。船体は命中弾を受けて穴があき、全甲

波号第二百十八潜水艦

7月2日進水し、波号第二百十八潜水艦と命名されて波二百一型潜水艦の18番艦に定められ、本籍を佐世保鎮守府に定められる。7日、艤装員事務所を佐世保海軍工廠内に設置し事務を開始。 終戦時未成。8月17日、工事中止が発令され工程90%で工事中止。のち悪天候のため浸水し、佐世保港内で着底した。 1946年10月から12月にかけて、佐世保船舶工業で解体された。

波号第百四潜水艦

波号第百四潜水艦(はごうだいひゃくよんせんすいかん)は、日本海軍の潜水艦。波百一型潜水艦の4番艦。太平洋戦争を生き延び、戦後海没処分された。 マル戦計画の輸送潜水艦小型、第4601号艦型の4番艦、仮称艦名第4604号艦として計画。1944年7月1日、三菱重工業神戸造船所で建造番号749番船として仮称

波号第百一潜水艦

波号第百一潜水艦(はごうだいひゃくいちせんすいかん)は、日本海軍の潜水艦。波百一型潜水艦の1番艦。太平洋戦争を生き延び、戦後海没処分された。 マル戦計画の輸送潜水艦小型、第4601号艦型の1番艦、仮称艦名第4601号艦として計画。1944年6月8日、川崎重工業泉州工場で仮称艦名第4602号艦と同時

波号第百三潜水艦

潜水艦と命名されて波百一型潜水艦の3番艦に定められ、本籍を呉鎮守府と仮定。10月10日、艤装員事務所を神戸川崎造船所内に設置し事務を開始。21日、進水。進水後の艤装は川崎重工業本社艦船工場で行う。 1945年2月3日竣工し、艤装員事務所を撤去。本籍を呉鎮守府に定められ、第六艦隊第十一潜水戦隊に編入。

波号第百九潜水艦

月1日、波号第百九潜水艦と命名されて波百一型潜水艦の8番艦に定められ、本籍を呉鎮守府と仮定。12月11日、艤装員事務所を三菱神戸造船所内に設置し事務を開始。 1945年1月10日、進水。3月10日竣工し、艤装員事務所を撤去。本籍を呉鎮守府に定められ、第六艦隊第十一潜水戦隊に編入。同日、呉へ向け神戸

波号第百六潜水艦

。8月25日、波号第百六潜水艦と命名されて波百一型潜水艦の6番艦に定められ、本籍を呉鎮守府と仮定。10月21日、艤装員事務所を三菱神戸造船所内に設置し事務を開始。30日、進水。 12月15日竣工し、艤装員事務所を撤去。本籍を呉鎮守府に定められ、第六艦隊第十一潜水戦隊に編入。同日、伊予灘へ向け神戸発

波号第百七潜水艦

。9月1日、波号第百七潜水艦と命名されて波百一型潜水艦の7番艦に定められ、本籍を呉鎮守府と仮定。12月4日、艤装員事務所を三菱神戸造船所内に設置し事務を開始。20日、進水。 1945年2月7日竣工し、艤装員事務所を撤去。本籍を呉鎮守府に定められ、第六艦隊第十一潜水戦隊に編入。同日呉へ向け神戸発。14日から伊予灘で訓練に従事。

波号第百五潜水艦

水艦と命名されて波百一型潜水艦の5番艦に定められ、本籍を呉鎮守府と仮定。10月20日、艤装員事務所を神戸川崎造船所内に設置し事務を開始。31日、進水。進水後の艤装は川崎重工業本社艦船工場で行う。 1945年2月19日竣工し、艤装員事務所を撤去。本籍を呉鎮守府に定められ、第六艦隊第十一潜水戦隊に編入

波号第百二潜水艦

波号第百二潜水艦(はごうだいひゃくにせんすいかん)は、日本海軍の潜水艦。波百一型潜水艦の2番艦。太平洋戦争を生き延び、戦後海没処分された。 マル戦計画の輸送潜水艦小型、第4601号艦型の2番艦、仮称艦名第4602号艦として計画。1944年6月8日、川崎重工業泉州工場で仮称艦名第4601号艦と同時に起

波号第百十潜水艦

昭和20年8月31日付 大阪警備府『大阪警備府管下艦艇(未成艦ヲ含ム)目録』。 昭和20年8月31日付 大阪警備府『大阪警備府管下艦艇船体兵器機関艤装品目録』。 昭和20年8月31日付 近畿海軍監督部『大阪方面所在艤装艦艇船体兵器機関艤装品目録』。 世界の艦船 No. 469 増刊第37集 『日本潜水艦史』、海人社、1993年。

伊号第十八潜水艦

日本の軍艦 第12巻 潜水艦』より。 ^ #海軍制度沿革(巻8、1940)p.70『昭和十三年九月二十日(内令八〇五)艦艇類別等級別表中左ノ通改正ス 驅逐艦一等ノ部中陽炎型ノ項中黒潮ノ下ニ「、親潮、夏潮、初風」ヲ加フ|潜水艦一等ノ部伊一六型ノ項中伊號第十六ノ下ニ「、伊號第十八、伊號第

呂号第十八潜水艦

1922年12月1日 堀江吉正 少佐:1922年12月1日 - 1923年12月15日 (心得)三戸寿 大尉:1923年12月1日 - 1924年12月1日 春日末章 少佐:1924年12月1日 - 1925年12月1日 山崎重暉 少佐:1925年12月1日 - 1926年8月20日 篠田清彦 大尉:1926年8月20日

呂号第百八潜水艦

ほどの爆発音を聴取。その後、連続した小爆発と潜水艦が沈んでいく音を聴取した。翌朝、現場海域には潜水艦のものと思われる破片と重油が漂っていた。部隊は木製甲板の破片、クロノメーターケースの破片、コルク栓2つ、多数の断熱材を回収した。これが呂108の最期の瞬間であり、艦長の小針寛一大尉以下乗員53名全員戦