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พจนานุกรม

รายละเอียดคำ

津軽弁

ろう」などにあたる形はなく(代わりに「行ぐべ」のように「べ」を使う)、四段活用である。また「買う」「習う」などのワ行四段動詞が、「かる」「ならる」のように、ラ行四段活用やラ行変格活用となることがある。一段動詞の命令形は、「起ぎろ」、「開げろ」のよう

คำที่เกี่ยวข้อง

会津弁

がおる → (体の)具合が悪い かすぐっちる → へそ曲がり →「すったぐっちる」に似る かせる → (漆に)かぶれる かたす → 片付ける かっつちゃぐ・かっちゃぐ(西部地域のみ)・かっつぁぐ → ひっかく がなる → 大声で言う かまがす・かんまがす → かきまぜる かめる (かめっこ) → 人見知りする

魚津弁

例:こられんちゃ=「きたらだめだって」、されん=「したらだめ」) れ 「しろ」→「すれ」 ろ 「でしょ」、「だろ」 例:えらかったろ=しんどかったでしょ、あったろ=あったでしょ、あろぉ=あるでしょ、したろ=したでしょ ちゃよ、わよ、つが 「○○だって」、「○○ってばぁ」、「○○っつーの」

津軽線

津軽二股駅が新幹線奥津軽いまべつ駅への連絡駅となった。しかし、特急の廃止後も普通列車の運行本数は殆ど変わらず、蟹田駅 - 三厩駅間の増発もされず、津軽二股駅と奥津軽いまべつ駅との接続も改善されていない。そのため、特急停車駅であった蟹田駅を含め、津軽線沿線と北海道方面の利便性は大きく低下した。

津軽鉱

津軽鉱(つがるこう、Tsugaruite)は、1998年に発表された日本産新鉱物で、富山大学の鉱床学者清水正明などにより、青森県平川市の湯ノ沢鉱山で発見された。化学組成はPb4As2S7とされていたが、塩素が必須と判明して2019年にPb28As15S50Clと再定義された。斜方晶系で、放射状の集合体で産出する。

津軽ラーメン

ューム満点なところである。それを、ひらこ、片口鰯だけで取った、あっさりした出汁である。 原食堂(青森市):町の食堂として半世紀にわたり営業している。店主である葛原竜治は2代目。中華そばのほか、そば、カレー、丼ものなどメニューが豊富である。中華そばは、片口鰯の煮干し、昆布、トンコツ、鶏ガラで炊き出し

津軽犬

狩らせることによって田畑を荒らされるのを防ぐだけでなく、厳寒の冬場の貴重な食料調達も同時に行う役目も担っていた。 しかし、戦後に経済状況がよくなると、仕事が減ってしまう。一時的な日本犬ブームによって知名度が向上したものの、多くの犬が即席ブリーダーに高値で売却されて都会に持ち去ら

津軽ダム

濁水については、渇水時に水位が低下した際に河岸段丘部が削り取られ、濁水が長期化することが推測されたため複数の方法で濁水の長期化を回避する対策を採った。まず取水塔に選択取水設備を設け、貯水池上層の比較的清澄な水を下流に放流することで濁水

津軽氏

津軽信敏 03代 - 津軽政兕 04代 - 津軽寿世 05代 - 津軽著高 06代 - 津軽寧親 07代 - 津軽典暁 08代 - 津軽親足 09代 - 津軽順徳 10代 - 津軽承保 11代 - 津軽承叙 12代 - 津軽類橘 13代 - 津軽益男 津軽氏系図 凡例 1) 太字は当主、実線は実子、点線(縦)は養子。

津軽焼

画像提供依頼:焼き物の画像提供をお願いします。(2019年9月) 津軽焼(つがるやき)は、青森県弘前市で焼かれる陶器。 津軽焼の源流は、津軽藩四代藩主信政によって集められた陶工たちが焼いた平清水焼・大沢焼・下川原焼・悪土焼である。1691年(元禄4年)に平清水三右衛門、瀬戸助、久兵衛らによって築窯

津軽サービスエリア

ファミリーマート(2016年12月21日) ^ “E4東北自動車道 津軽サービスエリア(下り線) E46秋田自動車道 西仙北サービスエリア(上り線) 24時間営業の「セブン-イレブン」が出店します! 〜令和3年7月29日(木)午前7時オープン〜” (PDF). 東日本高速道路株式会社・ネクセリア東日本株式会社 (2021年7月8日)

津軽薫

いで紺屋町九十番戸に屋敷をもらい、そこで果樹栽培をおこなう。 リンゴ、ブドウ、スグリ、ハタンキョウ(アーモンド)を栽培し、また、除虫菊を栽培してのみ取粉を製造・販売していたこともあるといわれている。津軽承昭は薫の精励ぶりを評価して綴玉園と命名したものの、明治30年代初期の害虫の蔓延で被害をうけ屋敷を

津軽鉄道

津軽鉄道株式会社(つがるてつどう)は、青森県津軽地方に鉄道路線を持つ鉄道事業者である。津鉄(つてつ)とも呼ばれる。本社所在地は五所川原市字大町39(津軽五所川原駅前)。地元農協や沿線住民が株主となっている。 営業キロ20.7kmの津軽鉄道線を経営する。また、増収策副業として弁当、どら焼き、ポテトチ

津軽石川

、自分は零落したが後藤又兵衛だと名乗り、死んでも遺恨を忘れず、この川にサケが上らないようにしてやると告げた。その後、サケが上らなくなったので、漁師は怨魂を祀ると再びサケが上るようになった。これ以後、サケ漁を始める前に必ず又兵衛を祀ることにした。別伝では、この村には3年続きの飢饉があり、食料が尽き果て

津軽順承

津軽 順承(つがる ゆきつぐ)は、江戸時代後期の大名。陸奥黒石藩2代藩主。のち陸奥弘前藩11代藩主。官位は従四位下・左近将監、大隅守。 三河国吉田藩主・松平信明の五男。幼名は新之助。初名は信寛。 文政4年(1821年)6月5日、黒石藩の津軽親足の養子となった。養子入りに伴い、邦足

津軽尚徳

なおのり)は、江戸時代中期から後期にかけての弘前藩士。 書に優れ、津軽三筆と称された。明和7年(1770年)、家督を相続した。その後、書院番頭などを経て、安永7年(1778年)に用人兼務となった。天明4年(1784年)に家老手伝、同5年(1785年)からは家老を務めた。 「青森県人名大事典」1969年、東奥日報社

津軽信建

関ヶ原の戦い後に蟄居しそのまま病死した、とされることが多いが、戦後も徳川家康と面会したり、御所に参内して官位を授けられたり、国入りして藩政を父に代わって直裁するなど、内外共に認める為信の正式な後継者としての行動が確認できる。西軍の敗北後、三成の次男・重成らを若狭国からの蝦夷貿易ルートで津軽へ逃し、信建本

津軽信順

文政10年(1827年)、将軍徳川家斉の太政大臣任命の日に信順(越中守)が轅輿に乗り、1370人もの家臣を伴い江戸城に登城したことを咎められて、70日間の逼塞処分となった。これは先に高直しにより10万石格式になった津軽家は、10万石格式の「轅輿の使用」を幕府に対して許可申請していたが、許可が下りないままにな

東津軽郡

^ 「旧領急高取調帳」には記載なし。 ^ この時点では安方町、新安方町、米町、大町、浜町、新浜町、新町、柳町、寺町、鍛冶町、大工町、松森町、博労町、堤町、塩町、莨町、蜆貝町、新蜆貝町、栄町が存在。 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典』 2

津軽信義

治績においては、強力な主導権を発揮し、治水工事、津軽新田の開発、尾太鉱山の開鉱、牧場の開設など多くの功績を挙げている。また、和歌を愛好し、疋田甫庵を師として自ら歌集「愚詠和歌集」を執筆するなど一級の教養人でもあった。 その反面、強情で気性が荒く奇行・乱行が目に余ったため、家臣領民に「じょっぱり殿様」の異名で呼ばれた。