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พจนานุกรม

รายละเอียดคำ

源氏長者

の後、嵯峨源氏を外祖父とする重明親王及び源高明(醍醐源氏)が源氏長者に任じられた。以後は源高明に代表される醍醐源氏と源雅信に代表される宇多源氏がかわるがわる補任された。 やがて村上源氏の源師房(関白藤原頼通養子)が源氏長者となり、以後は村上源氏のなかでも師房子孫の嫡流とされた源雅定の子孫に継承され、

คำที่เกี่ยวข้อง

氏長者

頭中将中山慶親が上卿柳原敦光に伝えた天皇のおことばを、敦光がさらにみなに伝える。「天皇のおことばを承るに『関白豊臣秀吉を氏長者とすべし』との仰せである」。このご命令は、天正13年7月11日、官務壬生朝芳が承ってここに記したものである。 [脚注の使い方] ^ 樋口健太郎「藤氏長者宣旨の再検討」(初出:『古代文化』

藤氏長者

「諸家ニ於テ神社執奏ヲ止メ自今神祇事務局ニ於テ管轄処理ス但神宮及加茂伝奏ハ旧ニ仍ラシム」 アジア歴史資料センター Ref.A15070139100  ^ 芻を量る秤は殿下渡領である楠葉牧の象徴であるとともに、摂関家の軍事力の象徴であり、交通手段や天皇や他の公卿・貴族への贈答品としても重要視された(中込律子「摂関家と馬」(初出:服藤早苗

源氏

(1)源(ミナモト)姓の氏族の称。 814年嵯峨天皇が皇子に賜って臣下としたのに始まる。 特に, 清和源氏・村上源氏・宇多源氏・花山源氏が著名。 源家。 (2)「源氏物語」の略。 また, その主人公。 → 源氏物語 (3)〔源氏・平氏の旗色から〕 紅白の意を表す。

源氏パイ

ミニサイズ ミニ源氏パイ 通常の源氏パイをひとくちサイズにしたもの。 ミニ源氏パイ<チョコ> ひとくちサイズのパイにチョコレートをコーティング。秋冬商品。 平家パイ 平家パイ 源氏パイの姉妹商品。名称が武士の源氏・平家を連想させる。幾層にも折り重ねたパイ生地に洋酒漬けのレーズンをトッピングして焼き上げたもの。

源氏絵

り混ぜるなどのかたちで残されている。 また源氏絵は扇に描く絵の題材にもなった。現在大阪四天王寺をはじめとする諸所に蔵される扇面法華経冊子(12世紀ごろ)のなかには、源氏絵を描いたものがあるのではないかといわれているが、明確な記録や作例としては中世以降のものがある。上で取り

源氏釈

との近親性が注目されたが、近年になって『源氏釈』の一伝本であることが明らかにされた。 書陵部新出本 『源氏物語注釈』なる書物に所収されている「源氏或抄物」と題されている写本。近年になって伊井春樹によって見いだされた。 冷泉家本(冷泉家時雨亭文庫蔵本) 「源氏物語釈」と題されている。冷泉家時雨亭文庫の

光源氏

文の存在しない「雲隠」が源氏の死を暗示するのみであるとも、また本文は失われたとも言われる。 現世の繁栄を享受しながら常に仏道を思い、にもかかわらず女性遍歴を繰り返すという人物造形は、次の世代の薫と匂宮にそれぞれ分割して受け継がれる。また、しばらく後に書かれた『狭衣物語』の主人公である狭衣大将にも影響を与えている。

素源氏

ポータル 文学 素源氏(すげんじ)とは、源氏物語の版本のうち、注釈や挿絵を含まず源氏物語の本文だけを内容とするものをいう。 平安時代中期に成立した源氏物語は、長く写本のみによって人々に伝えられてきたが、江戸時代に入ってから版本による源氏物語の出版が始まり、それによってそれまでとは比べものにならない数

源氏名

源氏名とは、『源氏物語』にちなんで女性に付けられた(あるいは女性が名乗った)名前のことである。源氏名を歴史的に見ると、元来は『源氏物語』の巻名で、最初は名歌の題材や投扇興の点数の名称に使ったり、後に女官や遊女が自らの出世、輝かしい未来を願い、源氏のように勝負に勝ちたいと本名を隠し源氏名を名乗ったことがことの始まりで

源氏香

源氏香(げんじこう) 香道における聞香の遊びの一種。→香道の項参照。 文様・家紋の一種。上記の源氏香より出たもので、和服などにひろく用いられる日本固有の意匠である。→香の図の項参照。 このページは曖昧さ回避のためのページです。一つの語句が複数の意味・職能を有する場合の水先案内のために、異なる用法を一

長氏

長氏(ちょうし)は、武家・士族・華族だった日本の氏族のひとつ。能登の国人領主。畠山七人衆であるとともに加賀八家の一つ。維新後士族を経て華族の男爵家に列する。 氏は「長谷部」。鎌倉時代、鎌倉幕府の御家人となった長谷部信連より始まる。信連は幕府から能登国大屋荘を与えられて領主化した。その子孫が「長」姓に

湯浅氏 (源氏)

清和源氏の足利義兼の子桃井義胤が桃井氏の祖となり、義胤四世桃井尚義の孫の桃井義盛の弟、河内守桃井貞職が母方の湯浅姓を名乗ったという(『湯浅家系図』)。山子田御堀に中世の館跡があり、本家はこの一角に居を構え、今でも御掘の家といわれる。 代々名主で榛名山中腹のに仕え、吾妻山の吾妻神社を奉祀、祭祀も司る。一族からは、1868年(明治元年)、

長者

(1)〔「ちょうしゃ」とも〕 年上の人。 目上の人。 年長者。 (2)〔「ちょうしゃ」とも〕 徳のすぐれた人。 おだやかな人柄の人。 「彼を敬愛に価する~として認めてゐた/硝子戸の中(漱石)」 (3)金持ち。 富豪。 「億万~」 (4)長老。 芸道などの最高の地位を示す称号として用いた。 「五条の三位入道は此道の~にています/無名抄」 (5)氏(ウジ)の長として一族を統率する人。 氏の長者。 うじのかみ。 「南京(=奈良)は例なくて罪なき~を配流せらる/平家 4」 (6)宿場の遊女宿の女主人。 「彼宿の~ゆやがむすめ, 侍従がもとに其夜は宿せられけり/平家 10」 (7)宿駅の長。 うまやのおさ。 「これは青墓の~にて候/謡曲・朝長」 (8)教王護国寺の最高位の僧。 勅任で定められた。 <i>~の脛(ハギ)に味噌(ミソ)を塗る</i> あり余ったところに, さらに付け加えるたとえ。 <i>~の万灯(マントウ)より貧者の一灯</i> 〔阿闍世(アジヤセ)王が釈迦を請じて供養をし, 宮殿から祇園精舎への釈迦の帰り道に万灯をともした時, 貧乏な一老女も灯明をかかげようと思い, わずかの銭を都合して一灯をともしたところ, 王のあげた灯明は消えたり油が尽きたりしたが, 老女の灯明は終夜消えなかったという, 「阿闍世王授決経」の故事から〕 貧しい人の誠意のこもったわずかなささげ物は, 金持ちの世間体を飾った多くのささげ物よりまさっている。 真心の尊さをいうたとえ。 貧者の一灯。

長源院

916年(大正5年)8月8日没、享年70 江目金太郎 - 高八十石、御家人、静岡学問所五等教授、1871年(明治4年)9月17日没、享年25 小笠原鎚太郎 - 四百石の旗本、大御番、1895年(明治28年)12月19日没、享年69 小野忠義 - 高二百俵、旗本、大御番、慶応3年狙撃隊、相良勤番組二

源長季

に尽くし、盗賊の捕縛などの記録のある人物で、在世中に良吏であると名を馳せたという。 藤原頼通と親密であったとする逸話がある。 『尊卑分脈』から 父:源守隆 母:不詳 妻:不詳 男子:源盛長(?-?) 男子:源長俊(?-?) 男子:源守俊 男子:源盛雅(?-?) 男子:寛厳 男子:仁厳 ^ 『古事談』

源経長

正月30日:和泉守を兼ぬ(蔵人巡)。 10月16日:右中弁に転ず。 長元9年(1036年) 正月7日:従四位下に叙す。 2月27日:従四位上に叙す(去年中宮行啓斎院賞追申之)。 4月18日:斎院長官を止む。 長暦2年(1038年) 6月25日:権左中弁に転じ、和泉守を辞す。 12月21日(1039年1月18日):正四位下に叙す(行幸春日社行事賞)。

源朝長

が悪化してどうにも進めなくなり、やむなく青墓宿へ引き返した。義朝は「情けない奴だ。頼朝ならば年若くてもこうではあるまい」と怒ったと書かれているが、古態本『平治物語』には朝長が信濃へ行こうとして引き返した話は一切出てこない。また小説家の海音寺潮五郎は『武将列伝』(文春文庫)で「仮にも息子に対してこん

源政長

寛徳2年(1045年)後冷泉天皇の即位後まもなく昇殿を聴される。康平4年(1061年)頃に近衛少将に任ぜられるが、康平7年(1064年)に左少将を止められて民部権大輔に遷る。 のち、後三条朝末まで10年ほど民部権大輔を務め、延久5年(1073年)後三条天皇の四天王寺・住吉神社行幸の折に笙を吹いている。

源元長

源 元長(みなもと の もとなが)は、平安時代前期の皇族・貴族。光孝天皇の皇子で、光孝第一源氏。官位は従四位上・下野権守。 清和朝の貞観5年(863年)二世王の蔭位により无位から従四位下に直叙される。貞観12年(870年)2月に同じ時康親王の子息である兄弟の兼善王・是忠王・是貞王らと共に合わせて14