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พจนานุกรม

รายละเอียดคำ

源顕仲

男子:顕玄 女子:散位重通妾(顕仲卿女) 女子:待賢門院堀河 女子:大夫典侍 女子:上西門院兵衛(?-1183頃) ^ 竹鼻[1984: 178] ^ 『鳳笙師伝相承』 ^ 『体源抄』 ^ 竹鼻[1984: 179] ^ a b c 『水左記』 ^ 12月26日藤原顕季任(『公卿補任』) ^ 『朝野群載』第28天永中主計寮勘文

คำที่เกี่ยวข้อง

源顕房

男子:源顕雅(1074-1136) 男子:源信雅 (1079-1135) 男子:覚樹(1079-1139) - 東大寺権少僧都 妻:藤原惟子 - 因幡守藤原惟綱娘 男子:源雅兼(1079-1143) 妻:石清水八幡宮別当清円娘 男子:清覚(1083-1119) - 延暦寺法眼 男子:源雅光(1089-1127)

源顕通

され、天永2年(1111年)右衛門督を務める。永久3年(1115年)中納言、保安3年(1122年)1月23日、権大納言に任ぜられたが、同年4月8日、胸病により薨去。享年42。 ※以下、『公卿補任』の記載に従う。 寛治5年(1091年)正月7日:元服、同月:従五位下(無品媞子内親王御給) 寛治6年(1092年)11月:侍従

源顕基

長元9年(1036年)に後一条天皇が29歳で崩御すると、それに伴って出家した。永承2年(1047年)9月、48歳で薨去した。 『十訓抄』には、後一条天皇が崩御した際に顕基は、「忠臣二君に仕えず」として出家してしまったという逸話がある。また、『徒然草』によれば顕基は無罪ながら流罪にされたという。 ※以下、『公卿補任』の記載に従う。

源顕定

後一条朝初頭の長和5年(1016年)2月に姪の嫥子女王が斎宮に立てられると、顕定は斎宮別当に任ぜられるが、7月に妄りに故障を申し立てたことを理由に、藤原兼綱・源親方と共に恐懼に処された。寛仁元年(1017年)敦明親王に代わりに、敦良親王(のち後朱雀天皇)が立太子されると、顕定は東宮昇殿を聴されている。

源仲綱

平氏政権下における仲綱の動向としては、仁安3年(1168年)に伊豆守であった仲綱が国内の不作によって朝廷に献じる五節舞の舞姫の費用を弁じることができない旨の請文が現存しており、頼政・仲綱父子の動向を知る数少ない史料となっている。そのほか大内守護の任にある仲綱は頼政とともに

源満仲

陸奥国などの受領を歴任し、左馬権頭・治部大輔を経て鎮守府将軍に至る。こうした官職に就くことによって莫大な富を得た満仲は他の武士からの嫉妬を受けたらしく、天延元年(973年)には武装した集団に左京一条にあった自邸を襲撃、放火されるという事件が起きている。この事件による火災は周辺の建物300軒から500

仲源寺

- 本尊の「目やみ地蔵」を祀る。 観音堂 - 木造千手観音坐像(重要文化財)を祀る。洛陽三十三所観音霊場第16番札所。 地蔵堂 庫裏 山門 木造千手観音坐像 - 平安時代作。 洛陽三十三所観音霊場 15 六波羅蜜寺 - 16 仲源寺  - 17 妙法院三十三間堂 通称寺の会(めやみ地蔵)

源義仲

7月27日、後白河法皇は義仲に同心した山本義経の子、錦部冠者義高に守護されて都に戻る。『平家物語』では、「この20余年見られなかった源氏の白旗が、今日はじめて都に入る」とその感慨を書いている。義仲は翌日28日に入京、行家とともに蓮華王院に参上し、平氏追討を命じられる。2人は相並んで

源仲政

男子:源頼行 - 子孫は小国氏 生母不明の子女 男子:源泰政 - 紀奉貞(池田蔵人大夫)の養子となり池田氏を相続 男子:良智 - 延暦寺僧 男子:乗智 - 延暦寺僧 女子:法性寺殿三河 - 関白藤原忠通家女房。歌人 女子:皇后宮美濃 - 令子内親王家女房。歌人 女子:藤原経定室 養子 男子:源光重

源仲章

役として松明を振っていた仲章は義時と勘違いされて殺されたとしている。 宇多天皇-敦実親王-源雅信-源時方-源仲舒-源仲頼-源仲棟-源仲親-源光遠-源仲章 父:源光遠 母:不明 妻:不明 男子:源遠章 男子:源親章 女子:平範輔室 [脚注の使い方] ^ 実朝暗殺について御家人共謀黒幕説を唱える五味文

源仲家

治承4年(1180年)5月、以仁王と養父・頼政による挙兵計画が露見して、仁和寺にこもった際に、嫡男の仲光と馳せ参じた。のち以仁王らと奈良へ向かったが、5月17日、宇治平等院のあたりで平家の追討軍に追いつかれて仲光ともども戦死した。 父:源義賢 母:藤原宗季女 養父:源頼政 妻:不詳 嫡男:源仲光 男子:源仲賢 源義賢 源頼政 源義仲

源頼仲

義朝のもとに降参する。義朝によって助命嘆願されるも叶わず、義朝の手によって船岡山(京都市北区)において、父や兄弟らと共に斬首された。この時頼仲は、「兄上(義朝)は心狭く、自分一人生き残ろうとしている。万が一の事があれば後悔するであろう」と高笑いしていたという。

源顕雅母

『金葉和歌集』(二度本・歌番号589)に和歌が1首入集する勅撰歌人。篤子内親王(堀河天皇中宮)に仕えた女官だったらしい。顕房の妻となって源信雅・権大納言源顕雅・東大寺権少僧都覚樹の母となった(但し、信雅の母については異説がある)。嘉承2年(1107年)9月21日、篤子内親王が出家したのと同じ日に出家した(『中右記』より)。

仲宗根源和

増大を要求して軍政府に対して人民の直訴を勧めたこともあった。 金網が張りめぐらされている基地の入り口に貼られている「沖縄人入るべからず」という札を指して、「アメリカ人出るべからずと張り替えようではないか」と演説し、実際に張り替えられたこともあった。 民主同盟時代は盛んに沖縄民政府を批判したが、実際

顕

あらわすこと。 あらわれること。 また, あきらかであること。 「~にして晦(カイ), 肯定にして否定とは/侏儒の言葉(竜之介)」

顕

平常では外から見えないものや内部にひそんでいるものが表面に現れているさま。 (1)むき出しなさま。 多く, 人間の肉体についていう。 「肌を~にする」 (2)気持ちや意見を隠さないさま。 露骨。 「不快を~にする」「~にいやな顔をする」 (3)はっきり分かるようになるさま。 公になるさま。 「真相が~になる」「矛盾が~になる」 (4)はっきりと感じ取られるさま。 歴然。 顕著。 「運命の末になる事, ~なりしかば/平家 6」

仲

〔「中」と同源〕 人と人との間柄。 「~がよい」「男女の~」「~をとりもつ」 <i>~を裂(サ)・く</i> 親しい者どうしを引き離す。 <i>~を取り持・つ</i> 二者の仲立ちをする。 <i>~を直・す</i> 仲直りする。

顕出

あらわれ出ること。 「僅かに紫門竹籬を認むるの一茅屋を~す/情海波瀾(欽堂)」

顕界

この世。 現世。 ⇔ 幽界