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พจนานุกรม

รายละเอียดคำ

甲鉄艦

甲鉄艦(こうてつかん) 鉄ないし鋼の装甲を有する軍艦の艦種呼称で、明治・大正期に用いられた語彙。装甲艦と同義。 日本初の装甲軍艦「東艦」の、命名以前(無名艦であった頃)の通称。 当時日本国内で唯一の甲鉄艦であったため、艦種名の「甲鉄艦」をそのまま個艦の呼称として慣用した。

คำที่เกี่ยวข้อง

扶桑 (甲鉄艦)

扶桑(ふそう)は、日本海軍の中央砲郭式装甲艦。 艦名は「東海中にある大きな神木のこと。転じて東方日出ずる場所にある神仙国、日本国の異称」。 1872年(明治5年)の海軍省設立時点で海上警備に使用できる艦艇は「日進」の1隻のみであり、残りの10隻余りは主に練習艦として使用されていた。1874年(明治7

鉄甲

鉄製の鎧(ヨロイ)・兜(カブト)。 鉄製の甲冑(カツチユウ)。 「三枚重ねの~の磐石の如くなるを打破り/応仁記」

装甲艦

非対称に2基の砲塔を積んだものもあり、中央砲塔艦(清国海軍 定遠など)と呼ばれる。沿岸用の装甲艦では、砲塔艦の特殊な類型として、帆走を廃止して極端な低乾舷としたモニター艦が出現した。装甲艦同士のハンプトン・ローズ海戦で互いに装甲を貫通できなかったことは、装甲を打ち破るために巨砲搭載が進むきっかけとな

鉄艦

鋼鉄で装甲した軍艦。 甲鉄艦。

鉄甲船

しかし、これを直接的に示している同時代の史料は『多門院日記』しかなく、その『多聞院日記』も「鉄の船なり。鉄砲通らぬ用意、事々敷儀なり」という伝聞の記述である。第二次木津川口の戦いについて詳細に記載しているオルガンチノの報告書では、「王国(ポルトガル)の船にも似ており、このような船が日本で造られていることは驚

バージニア (装甲艦)

および船尾楼甲板は、半潜水状態となるよう設計され、2層からなる4インチ(10cm)の鉄板で覆われた。砲郭部は数層からなる合計24インチ(61cm)の樫材および松材を基部として、それを2インチ(51mm)の鉄板2層で覆った(1層は縦向き、もう1層は横向きに鉄板を装着した)。また、砲郭には敵の砲弾を滑

ウォーリア (装甲艦)

ムズ鉄工造船所が契約を獲得した。契約では進水を契約の11ヵ月後と取り決めていたが、それはあまりにも楽観的な日程だった。 ウォーリアの進水は1860年12月29日に行われたが、その年の冬は50年に一度という記録的な寒波に見舞われており、ウォーリアの船体は滑走台に凍りついてしまったため、6隻の曳船によ

インフレキシブル (装甲艦)

Elder)社により製造された。横置きされた低圧シリンダーと高圧シリンダーをクランクシャフトで接合した、二段膨脹式レシプロ機関2基2軸推進であった。 機関の補助としてブリッグ型の帆走マストが2本あったが、艦の推進の役に立たず、専ら水兵の訓練用にしかならなかった

オーディン (装甲艦)

75メートル、吃水4.9メートルであった。1898年から1899年の近代化改装後には排水量3181トン、吃水5.0メートルとなっている。 砲廓には計8か所の砲眼孔があり、内部にはアームストロング14.5口径120ポンド10インチ376ctr前装施条砲が各隅に1門ずつ、計4門搭載された。砲の射程は4500メート

ドイッチュラント (装甲艦)

艦名は、ドイツ語でまさに「ドイツ」のこと。ヴァイマル共和政が、ヴェルサイユ条約の軍備制限条項を順守して建造したドイッチュラント級装甲艦の1番艦。 イギリスや大日本帝国では「ポケット戦艦」、あるいは「豆戦艦」として紹介された。 第二次世界大戦が始まると、ヒトラーは(ドイツ語でドイツ

ミズーリ (装甲艦)

2 kn)であった。 ミズーリの装甲板は鉄道用のT型レール(平底レール)を交互に上下を逆にして並べたもので、23-インチ (580 mm)厚の松材に打ち付けられていたが、それぞれの間には隙間があり、完全に一体化した装甲とまではいえなかった。砲郭の側面は、装甲レールは斜めに取り付けられていたが、前後部分では垂

ワスカル (装甲艦)

ワスカル(Huáscar。ウアスカル)は、ペルー海軍の装甲艦。太平洋戦争でチリ海軍が鹵獲して編入し、現在も記念艦として保存している。 1864年にペルーが、イギリスのレアード・ブラザース(Laird Brothers、現在のキャメル・レアード(Cammell

ルイジアナ (装甲艦)

い水流の中で、舵の役割をすることが期待されていた。蒸気機関は蒸気船インゴマール(Ingomar)から取り外したものであったが、移設には2ヶ月を要した。砲郭部は前後25フィートを除いて艦のほぼ全長に及んでいた。装甲は平底レールから作成した鉄板を2層にしたものであり、上部4フィートは薄鋼板で覆われていた。

ベンボウ (装甲艦)

ベンボウ (英語: HMS Benbow) は、イギリス海軍の草創期の装甲艦で艦形的に低乾舷に巨砲を持つブレストワーク・モニターの系譜である。本艦は仮想敵国フランス海軍が増強し続ける装甲艦勢への対抗艦として新型の41.3cm砲を搭載された艦である。 本艦はロドネー級の改良型として設計・建造された。本

アルベマール (装甲艦)

艦で近代式衝角を有していた。アルベマールは、ノースカロライナ州の町および湾の名前だが、それらはカロライナ植民地の所有者の一人であった初代アルベマール公ジョージ・マンクに由来している。 1862年3月6日-3月9日に行われたハンプトン・ローズ海戦において、南軍の装甲艦CSS バージニアは、木造艦

ノースカロライナ (装甲艦)

郭型装甲艦。 ノースカロライナは、1863年にノースカロライナ州ウィルミントンのベリー・アンド・ブラザーズが、建造費$76,000で建造を開始した。水面上の船体は内側に傾斜しており、バージニア2と同様に鉄道レールを使って装甲されていた。砲郭

ジョージア (装甲艦)

沈没後100年以上の間、ジョージアの沈没場所は忘れ去られていたが、1968年に浚渫作業が行われた際に、沈没場所が判明した。その後浚渫作業は沈没場所を避けて行われたが、浚渫機材および沈没場所を示すための碇が、船体を誤って傷つけた。現在残っているのは前部および後部の砲郭、ボイラ

チコーラ (装甲艦)

得た。チコーラの装甲は厚さ4インチで、装甲の下には22インチ厚のオーク材と松材の基部があり、また後部の装甲は2インチであった。1862年3月に竜骨が据付けられ、11月には就役した。ジョン・タッカー(John Randolph Tucker)中佐が初代の艦長となった。 夜明け前の濃い霧の中、1863年1月31日、チコーラと装甲艦CSS

ミシシッピ (装甲艦)

国海軍(北部海軍)にニューオーリンスが占領されると、アーサー・シンクレア(Arthur Sinclair)大佐は鹵獲を避けるためにミシシッピを直ちに進水させ焼却するよう命令した。このため、家の建築手法を採用するという方法が実際的であったかは不明である。建造の遅れにより未完におわり、また訓練もなされて