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รายละเอียดคำ

第五号型掃海艇

第五号型掃海艇(だいごごうがたそうかいてい)は日本海軍の掃海艇。同型艇2隻。海軍省が定めた艦艇類別等級別表では、本型の2隻とも第一号型に含まれる。 1920年(大正9年)の八八艦隊案では第一型掃海艇6隻の建造が予定されていたがワシントン軍縮条約締結の影響でうち3隻が起工が遅れた。それにより最後の2隻

คำที่เกี่ยวข้อง

第五号掃海艇

第五号掃海艇(だいごごうそうかいてい)は、日本海軍の掃海艇。第五号型掃海艇の1番艦。海軍省が定めた艦艇類別等級別表では第一号型に含まれる。 1928年(昭和3年)3月25日、三井物産造船部玉工場で起工。同年10月30日進水。1929年(昭和4年)2月25日に竣工。第五号掃海艇と命名され、掃海艇に類別。

第一号型掃海艇

1923年6月30日竣工(播磨造船所)。竣工時艇名は「第一掃海艇」。1924年4月24日、「第一号掃海艇」に改称。1945年8月10日航空機の攻撃を受け沈没(岩手県山田港沖)。 1923年6月30日竣工(三井造船)。竣工時艇名は「第二掃海艇」。1924年4月24日、「第二号

第十五号掃海艇

945年(昭和20年)3月5日、那覇から鹿児島へ向かう船団の護衛中、南西諸島北方でアメリカ海軍潜水艦「タイルフィッシュ」の雷撃を受け諏訪之瀬島西岸に擱座した。同年5月10日に除籍。 ※艦長等は『日本海軍史』第9巻・第10巻の「将官履歴」及び『官報』に基づく。 艤装員長 原田耕作 大尉:1934年4月1日

掃海艇1号型

船側フレームはケヤキの単材、外板はスギの2層矢羽根張りとされ、キールはベイマツ、チャイン材はケヤキの積層材とされた。基本的に掃海母艇の支援下での活動を前提としており、艇内には居住施設はなく陸上施設または母艇で居住し、給食も母艇に依存していた。またレーダーも持たず、コーナーキューブ・リフレ

第十九号型掃海艇

第十九号型掃海艇 (だいじゅうきゅうごうがたそうかいてい)は大日本帝国海軍の掃海艇。同型艇17隻。 ④計画で6隻とマル急計画で28隻、更に改⑤計画では36隻が計画された。艦型は先の第七号型と大きく違わないが、主砲は12cmM型砲3門に変更された。他国の掃海艇と比べて砲戦能力が大きく、そのため沿岸哨

第十三号型掃海艇

第十三号型掃海艇(だいじゅうさんごうがたそうかいてい)は日本海軍の掃海艇。同型艇4隻。海軍省が定めた艦艇類別等級別表では、第十三号から第十八号までの6隻を「第十三号型」としている。 なお第13号、第14号を第十三号型、第15号、第16号を第十五号型と分ける文献もあるが、ここでは一括して扱う。

第十七号型掃海艇

隻。船体は若干小さくなり艦首形状はダブルカーブ型に戻された。機関は当初はレシプロを予定していたがタービンに変更された。ボイラーは前型同様に重油・石炭混焼缶2基を搭載している。 太平洋戦争には2隻とも参加、第18号は船団護衛中に敵機の攻撃を受け沈没、第17号は終戦時残存していたが触雷により損傷していた

第百一号型掃海艇

丸」として完成させ、哨戒任務に使用している。 第百一号掃海艇 1943年(昭和18年)2~3月に進水 1944年(昭和19年)4月10日竣工。日本海軍籍に編入、横須賀鎮守府籍。第2南遣艦隊第21特別根拠地隊に編入する。 主に南西方面での船団護衛に従事。 1945年(昭和20年)1月12日、仏印南部で

第六号掃海艇

作戦に参加。1940年(昭和15年)10月11日、横浜港沖で行われた紀元二千六百年特別観艦式に参加。 1941年(昭和16年)12月26日、ボルネオ攻略作戦において同島クチン泊地でオランダ軍機の爆撃をうけ沈没。この時「第六号掃海艇」は「第二雲洋丸」に横付けしており、「第二雲洋丸」も炎上後沈没した。こ

第四号掃海艇

第四号掃海艇(だいよんごうそうかいてい)は、日本海軍の掃海艇。第一号型掃海艇の4番艦。 1923年(大正12年)12月1日、佐世保海軍工廠で起工。1924年(大正13年)4月24日進水。1925年(大正14年)4月29日に竣工。竣工時艇名は第四掃海艇、掃海艇に類別。1924年(大正13年)4月24日、第四号掃海艇に改称。

第一号掃海艇

第一号掃海艇(だいいちごうそうかいてい)は、日本海軍の掃海艇。第一号型掃海艇の1番艦。 1922年(大正11年)5月10日、播磨造船所で起工。1923年(大正12年)3月6日進水。同年6月30日に竣工。竣工時艇名は第一掃海艇、掃海艇に類別。1924年(大正13年)4月24日、第一号掃海艇に改称。

リバー型掃海艇

単能艇として設計されたことから、磁性についての条件が緩和されたことによるものであった。 対機雷戦装備として、BAJ-ヴィッカーズ社製の深深度用係維掃海具Mk.9(Extra Deep Armed Team Sweeping, EDATS)を搭載する。これは基本的には対艇式であるが、単艇での運用も可能である。

潮型掃海艇

潮、夕立、夕暮、神風、初霜、如月、響、子日、朝風、若葉、春風、初雪が除籍され、残された6隻は浦波型の艇型名となり、さらに6月20日の内令をもって8月1日より第七号型(初代)の艇型名に改正された。 以下、「潮型」時代の艦艇類別等級別表の登載順に従い記述する。 潮 元神風型駆逐艦「潮

ハント型掃海艇

ラスチック(FRP)が注目されるようになり、1972年には、世界初のFRP掃海艇としてトン型の設計を元にした掃討艇として「ウィルトン(英語版)」を進水させた。そして同艇の実績を踏まえて、装備面でも刷新した掃海・掃討両用艇として開発されたのが本級である。 上記の通り、本級の設計の大きな特徴が、建材と

トン型掃海艇

装置の高知能化・目標追尾機雷の出現は、従来の曳航式後方掃海における触雷のリスク・掃海の不確実さを増大させることになり、爆発物処理の手法により機雷を一個一個確実に無力化していくという、機雷掃討に注目が集まった。 イギリス海軍では、1947年よりバースにおいて、次世代掃海艇の検討チームを設置して研究開発

第一号型掃海特務艇

装備されていた。「あ号作戦後の兵装増備の状況調査」によると1944年8月20日付けの報告で「第6号」が船橋前に機銃台を設けて25mm単装機銃を1挺、煙突直前の上部構造物上の左右舷に機銃台を設けて1挺ずつ、上部構造物上の後端、後部マストの直後に1挺、合計25mm単装機銃4挺を装備していた。また「JAPANESE

第七号型掃海艇 (3代)

1946年7月10日 シンガポールケッペル湾外で海没処分。 第九号掃海艇 (3代) 1939年2月15日 舞鶴工廠で竣工 1942年2月2日 モルッカ諸島アンボンで掃海中に触雷して沈没。 第十号掃海艇 (3代) 1939年2月15日 石川島造船で竣工 1941年12月10日 フィリピンビカン湾でアメリカ軍機の銃撃により搭載爆雷が誘爆して沈没。

第二十号掃海艇

1944年3月5日、横須賀鎮守府作戦指揮下に編入され、7日横須賀着。9日、木更津で東松二号船団(10隻)に合流。12日、木更津を発し、19日サイパン着。20日、陸軍輸送船玉鉾丸を護衛してグアムへ向かい、同日着。22日、玉鉾丸を特設掃海艇第五利丸と護衛してサイパンへ向かい、23日着。28日、特設運送船慶洋丸(元東松一号甲船

第十七号掃海艇

第十七号掃海艇(だいじゅうななごうそうかいてい)は、日本海軍の掃海艇。第十七号型掃海艇の1番艦。 1935年(昭和10年)1月28日、大阪鉄工所桜島工場で起工。同年8月3日進水。1936年(昭和11年)1月15日に竣工。第十七号掃海艇と命名され、掃海艇に類別。