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พจนานุกรม

รายละเอียดคำ

粛宗

粛宗(しゅくそう)は、東アジア世界の王朝における君主の廟号の一つ。 以下の人物に贈られた。 後漢の粛宗孝章皇帝(劉炟、在位:75年 - 88年) 東晋の粛宗明皇帝(司馬紹、在位:322年 - 325年) 北魏の粛宗孝明皇帝(元詡、在位:515年 - 528年) 北斉の粛宗孝昭皇帝(高演、在位:560年

คำที่เกี่ยวข้อง

粛宗 (唐)

粛宗(しゅくそう)は、唐朝の第10代皇帝。当初の諱は嗣昇(ししょう)であったが、後に浚(しゅん)、璵(よ)と次々と改名を繰り返し、即位時は亨(きょう)であった。生母の楊氏は楊達の玄孫娘。 玄宗の三男として生まれる。長兄の李琮が早世し、皇太子である次兄の李瑛が開元25年(737年)に武恵妃らにより廃位

粛宗 (朝鮮王)

^ 「藥房都提調許積, 以承傳色口傳啓曰, 卽伏聞中宮殿, 頭部微疼, 胸膈亦有煩悶之候云. 此雖産後例症, 不爲大段, 而亦不可只用芎歸湯, 增損四物湯一貼, 卽爲煎入.」承政院日記 273本(脱草本14本)粛宗5年10月23日甲申14/18記事 ^ “인경왕후 仁敬王后,1661~1680”

粛宗 (高麗王)

に西京(現在の平壌)にある東明聖王(高句麗の初代王)の墓地を参拝して開京に戻る途中、車の中で死んだ。粛宗の墓は開京(現在の開城)にある英陵である。 明懿王后柳氏 睿宗 上党侯 王佖 円明国師 帯方公 王俌 大原公 王侾 斉安公 王偦 通義侯 王僑 大寧宮主 興寿宮主 安寿宮主 福寧宮主 表示 編集

上元 (唐粛宗)

上元(じょうげん)は中国唐代、粛宗の治世で使用された元号。760年閏4月 - 761年9月。 なお、上元は高宗の治世にも元号に用いられたことがある。 プロジェクト 紀年法 元年:史思明軍が洛陽を占領する。 2年:史思明が息子史朝義に殺害される。 元号一覧 (中国) 他王朝の上元

厳粛

(1)おごそかで, 心が引き締まるさま。 「会場は~な雰囲気につつまれた」「式は~にとりおこなわれた」 (2)きびしくゆるがせにできないさま。 「~な事実」 ﹛派生﹜~さ(名)

粛清

厳しく取り締まって, 不正な者を除くこと。 特に独裁政党などにおいて, 反対派を追放すること。 「血の~」「反対分子を~する」

粛党

政党内部を粛正すること。

甘粛

中国, 黄河の上流域を占める省。 草原地帯で羊・牛などの牧畜が盛ん。 シルクロードが通り, 古く西域への交通路として重要な役割を果たした。 敦煌・玉門などの古都がある。 省都, 蘭州。 別名, 隴(ロウ)。 カンスー。

振粛

衰えたものをふるい起こし, ゆるんだものを引き締めること。 「全校の風紀を~しなければなりません/坊っちゃん(漱石)」

静粛

静かに慎んでいる・こと(さま)。 「~に願います」「~な聴衆」 ﹛派生﹜~ さ(名)

粛啓

手紙の初めに書く語。 つつしんで申し上げる意。 謹啓。 粛白。 拝啓。

粛正

※一※ (名) 厳しく取り締まって, 不正を取り除くこと。 「綱紀を~する」 ※二※ (形動) つつしみ深いさま。 「容貌端厳(タンゲン)~にして/慨世士伝(逍遥)」

粛殺

秋の気が草木を枯らすこと。

粛白

手紙文の初めに書く語。 つつしんで申しあげるの意。 敬白。

粛然

(1)静まりかえっているさま。 また, かしこまり静まるさま。 「恩師の前に~と控える」「此満堂~として鎮静し/経国美談(竜渓)」 (2)礼儀正しく, おちついたさま。 また, おごそかなさま。 「彼等は…火の気のない室(ヘヤ)に~と坐つてゐた/門(漱石)」

粛王

粛王(しゅくおう)は、中国戦国時代の楚の王。姓は羋、氏は熊。諱は臧。悼王の子。 悼王21年(紀元前381年)、悼王が薨去すると、後を嗣いで楚王となった。即位直後、呉起を殺害して悼王の遺体を傷つけた貴族70家あまりを逮捕して三族まで処刑した。 粛王4年(紀元前377年)、蜀の攻撃を受けて、茲方を奪わ

粛順

処分を主張し、斬刑に処した(戊午科場案)。また、貨幣改鋳にまつわる不正事件で多数の官僚を処罰する一方、別の一派から賄賂を受け取り見逃したこともあり(鈔票案)、2大事件を通して官僚組織を牛耳った。 咸豊10年(1860年)、アロー戦争で英仏連合軍が北京を襲撃すると、咸豊帝の「北狩」に随行、熱河の行宮で

趙粛

用の供給を途絶えさせなかった。宇文泰が「趙粛は洛陽の主人というべきなり」と評した。541年、別駕のまま鎮南将軍・金紫光禄大夫・都督の位を加えられた。義徒の軍を率いて、大塢に拠って守備した。また行台左丞を兼ねて、東道を慰撫した。543年、行華山郡事をつとめた。 547年、廷尉少卿に任ぜられた。548年

粛慎

粛慎(しゅくしん、みしはせ、あしはせ)とは、以下の2つを指す。 1.しゅくしん(拼音:Sùshèn):中国の文献中にみられ、紀元前に中国東北地方及びロシア・沿海地方(旧満洲)に住んでいたとされ、後代の挹婁・勿吉・靺鞨・女真・満洲族の祖先に比定される狩猟民族。ツングース系の満洲語群に比定される。