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พจนานุกรม

รายละเอียดคำ

菱海村

掛淵川 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制の施行により、伊上村(いがみそん)(い)・河原村(かわらそん)(か)・新別名村(しんべつみょうそん)(し)・久富村(ひさどみそん)(ひ)の区域をもって発足。 1954年(昭和29年)5月1日 - 宇津賀村・向津具村および日置村の一部(大字蔵小田の一部)

คำที่เกี่ยวข้อง

菱潟村

菱潟村(ひしがたむら)は、かつて新潟県中蒲原郡にあった村。1902年4月1日の編入合併によって消滅し、現在は新潟市南区の一部となっている。 以下の記述は合併直前当時の旧菱潟村に関しての記述であり、現在では名称等が異なる場合がある。なお、ここに記述されていない内容に関しては新潟市などの記事を参照。 1889年(明治22年)4月1日

菱里村

菱里村(ひしざとむら)は、かつて新潟県東頸城郡にあった村。 1901年(明治34年)11月1日 - 東頸城郡船倉村、豊坂村、真荻平村、須川村が合併し、菱里村が発足。 1955年(昭和30年)3月31日 - 東頸城郡安塚村(一部)、小黒村と合併し、安塚村を新設して消滅。 『市町村名変遷辞典』東京堂出版、1990年。

川村花菱

大震災印象記』、挿画山村耕花、報知新聞社出版部、1924年 『国定忠次』、文興院、1924年 『端唄の家』『誓願の日』『老』『残んの雪』『医者の家』『国定忠次』を収録。 『日本戯曲全集 現代篇 第7輯』、春陽堂、1929年 『上演用脚本集』、清水書房、1943年 『兵隊の宿』を収録。 『母三人』、北光書房、1949年 『随筆・松井須磨子』、青蛙房、1968年

菱

(1)ヒシ科の一年生水草。 各地の沼や池に群生。 茎は水中を伸びて各節に細根を生じる。 葉は菱形で, 葉柄はふくれて空気を含み, 水面に浮く。 夏, 白色四弁の花が咲く。 果実はかたい殻でおおわれ両側に鋭いとげがある。 食用となる。 〔「菱の花」は ﹝季﹞夏。 「菱の実」は ﹝季﹞秋〕 (2)家紋の一。 菱形を組み合わせたもの。 松皮菱・割菱(武田菱)・三階菱など。 (3)武器の一。 鉄製で菱の実形に作り, 先端をとがらせたもので, 地上や河中に立てたり, まいたりして敵の進入を妨げる。 車菱(クルマビシ)。

北海村

後尾村が合併し、北海村が発足。 1896年(明治29年)4月1日 - 郡の統合により佐渡郡に所属。 1901年(明治34年)11月1日 - 村域を二分割し、次のように隣接自治体と合併して消滅。 大字戸地・戸中 → 佐渡郡金泉村(一部)と合併し金泉村を新設。 大字南片辺・北片辺・石花・後尾 → 佐渡郡高千村と合併し高千村を新設。

海東村

海東村(かいとうむら)は、熊本県中部に位置していた村。 現在の熊本県宇城市の海東地区(小川町東海東、小川町西海東、小川町南海東、小川町北海東)にあたる。元寇を描いた蒙古襲来絵詞で有名な、鎌倉時代の御家人 竹崎季長の領地として知られる。 1958年(昭和33年)3月31日、小川町・益南村と合併し(新)

東海村

石神城春草(いしがみじょうしゅんそう) 石神城址公園 4.白方溜螢影(しらかたためけいえい) 白方公園 5.久慈川河口緑波(くじかわかこうりょくは) 久慈川河口周辺 6.細浦青畝(ほそうらせいほ) 細浦周辺 7.願船寺晩鐘(がんせんじばんしょう) 願船寺 8.冨士社晩霞(ふじしゃばんか) 富士神社 9.如意輪寺秋月(にょいりんじしゅうげつ)

富海村

富海村(とのみそん)は、かつて山口県佐波郡に存在した村である。 1954年4月1日に防府市に編入合併して消滅した。「富海」の名は現在も防府市の地域名として名前が残り、山陽本線富海駅、山陽自動車道富海PAなどがある(富海駅は合併前の1898年、富海PAは防府市合併後の2004年に設置)。

太海村

れ、現在の大字では太海(ふとみ)・太海浜(ふとみはま)・天面(あまつら)・江見太夫崎(えみたゆうざき)・江見吉浦(えみよしうら)・西山(にしやま)・太海西(ふとみにし)が含まれる。東南に太平洋に面しており、沿岸部には浜波太(はまなぶと)・天面・太夫崎といった漁村が展開する。また、変化に富む海岸線は

内海村

可能性としては、由良半島が南北で分かれているが、水道は共同であるため、半島の北側の津島町の一部地域が合流するか、またはその逆くらいのものであった。実際には、平成の合併成就まで期間的な問題、津島町側で別の問題で紛糾し時間が徒に経過したこともあって、分村(分町)に至るほどのエネルギーは生じなかった。

糟海村

糟海村(かすみむら)は、かつて愛知県碧海郡にあった村である。 現在の岡崎市の南西部(上和田町・宮地町・井内町・赤渋町・牧御堂町・法性寺町など)に該当する。 1878年(明治11年) - 上土井村と下土井村が合併し、土井村となる。 1889年(明治22年)10月1日 -

浅海村

浅海村(あさなみむら)は、愛媛県風早郡のち温泉郡にあった村である。 1955年に北条町、浅海村、粟井村、立岩村、河野村の1町4村の合併により、北条町となり、自治体としては消滅した。その後1958年に市制施行し、「北条市」となり、さらに平成の合併により北条市は松山市に編入されて現在に至っている。

樹海村

することになっており、妊娠していた子供を流産してしまった。 身の回りで続けて起こった不幸が“箱”のせいだと考えた5人は、真二郎の父である寺の住職にお祓いを依頼し、その晩は寺に一泊することになる。眠れない響が寺の中を歩いていると、住職が“箱”に向かって経を唱え続けている様子に出くわすが、その様子は芳しくなかった。

石海村

現在で言うと石海小学校区に相当する太子町南西部に位置していた。 現在の太子町の内、南西部の地域(福地、塚森、老原、常全、宮本、船代、岩見構、吉福、米田、沖代、竹広、糸井、蓮常寺、立岡)に相当する。 1889年(明治22年)4月1日 町村制施行に伴い揖東郡石海村発足。 1896年(明治29年)4月1日

中海村

中海村(なかうみむら)は、石川県能美郡に存在した村。 合併した村のうち、中と軽海の名を合成して村名とした。 現在の小松市の東部、村の西を梯川が流れる。村の東側は滓上(かすかみ)川を中心とする谷。 かつては銅を産出していた。涌泉寺温泉、赤穂谷温泉がある。 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制の施行により、荒木田村、軽海村、中

花菱

(1)模様の名。 割り菱を構成する各片を花弁状にしたもの。 (2)家紋の一。 {(1)}を図案化したもの。 武田氏の紋。 唐花菱。

菱形

⇒ ひしがた(菱形)

菱形

(1)四つの辺の長さが等しい四辺形。 一般的には特に, 四つの角が直角でないものをいう場合が多い。 斜方形。 りょうけい。 (2)菱の実の形。

菱脳

脊椎動物の脳の発生途上, 神経管上端部に生ずる三個の膨大部の最後部。 やがて前後に後脳と髄脳とに分化する。 → 後脳