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พจนานุกรม

รายละเอียดคำ

葦敷重頼

党等の菩提を弔うために安食荘内に聖徳寺を創建した。晩年出家し、常観坊隆憲を称す。聖徳寺に伝わる文書によれば官位は従六位下、右衛門少尉1176年(安元2年)2月21日に没した。また同荘内には葦敷・山田一族の菩提寺で重頼の法名にちなんだ常観寺があった。 父:源重遠または源重実 母:不詳 妻:不詳 男子:葦敷重助

คำที่เกี่ยวข้อง

葦敷重隆

葦敷 重隆(あじき しげたか)は、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての武将・御家人。葦敷重頼の次男。源重隆とも記される。 葦敷氏は尾張国を地盤とした豪族山田氏の一族であり、同国春日井郡安食荘を本拠とした。山田氏一族は治承・寿永の乱でその当初から一門を挙げて反平家勢力に加わっており、重隆は寿永2年

堀頼重

同伴しその道案内を務め、さらに義経を下総の自領に迎え入れ一年ほど匿ったとされる。また、『尊卑分脈』の義経の項目にも「鞍馬寺において、東国旅人諸陵助重頼(頼重)を相語らい、約諾せしめ」と『平治物語』とほぼ同様の記載がある。 父:源光重 母:不詳 妻:不詳 男子:源頼時 男子:源重胤 深栖氏 表示 編集

葦

〔「あし」が「悪し」に通ずるのを忌んで言い換えた語〕 植物アシのこと。 ﹝季﹞秋。 <i>~の=髄(ズイ)(=管(クダ))から天井(テンジヨウ)を覗(ノゾ)く</i> 葦の茎の管を通して天井を見ても全体が見えないように, 狭い見識に基づいて物事を判断することのたとえ。

葦

イネ科の多年草。 温帯および暖帯に広く分布し, 水辺に自生する。 地下の長い根茎から高さ2メートル以上に達する稈(カン)(茎)を出し, 群生する。 葉は二列に互生し, ササの葉に似る。 秋, ススキに似た大きな穂を出す。 稈は簾(スダレ)やよしずにする。 「あし」が「悪し」に通ずるのを忌んで, 「よし」ともいう。 ハマオギ。 ﹝季﹞秋。 <i>~をふくむ雁(カリ)</i> 海を越える時, 海上で休むのに用いるため, 葦の葉を口にくわえていくという雁。 → 雁風呂

松平頼重

している。 高松藩士が記した『盛衰記』によれば、「英公節公御代迄は諸大名衆江戸屋敷にて公儀の死罪之者を壱人宛御申請生袈裟被成候其時代之風儀に御座候」とあり、英公(頼重)と節公(2代藩主松平頼常)の時代までは、諸大名が公儀の死罪人を一人ずつ申し

北村重頼

弘化2年(1845年)、土佐藩士(馬廻役、知行は200石)・北村五平の子息として高知城下潮江に生まれる。 剛毅果断で沈勇の人物で知られており、明治元年(1868年)の鳥羽・伏見の戦いの際は砲隊長であったが、山田平左衛門や吉松速之助、山地元治ら参戦論者とともに藩命を無視

長井頼重

長井氏一族は、嫡流である長井泰秀の系統が関東に住したのに対し、庶流であった泰秀の弟・泰重の系統は京都に住して六波羅探題の下で評定衆を務めるなど重要な地位を占めた。また、この系統は備後国守護職を世襲しており、頼重も六波羅評定衆や同国守護、そして父と同じく因幡守になったと伝わる。

金森重頼

した。また、自らの襲封に際して、父可重の遺品の茶壺の銘品「雲山肩衝」を将軍秀忠に献上しているが、同3年(1617年)に「天下の名物であるから自家に秘蔵するように」として返された。 元和4年(1618年)3月5日に、改易処分となり蟄居していた松平忠輝が重頼に預けられることとなり、忠輝が飛騨にやってきた

三木重頼

尋尊『大乗院寺社雑事記』12月 ^ 谷口研語『飛騨三木一族』p.40-p.45 ^ a b 『飛州志』第6巻 古城部 三木氏略図 ^ 『木曽考』 ^ 『木曽考続貂』 ^ 『明叔記』 尋尊 著「国立国会図書館デジタルコレクション 文正9年」、岡村利平 編『大乗院寺社雑事記 第6巻』三教書院、1931年(原著1477年)。https://dl

内藤重頼

万治3年(1660年)の定火消を皮切りに、書院番頭、大番頭、御側衆を歴任した。寛文2年(1662年)には従五位下若狭守に叙任した。延宝4年(1676年)、所領を安房国長狭郡から下野国内に移封される。 延宝8年(1680年)、徳川綱吉の長男徳松の傅役に就任し

細川頼重

細川 頼重(ほそかわ よりしげ)は、南北朝時代から室町時代の守護大名。備中国守護。細川備中守護家2代当主。細川満久、基之の兄。 細川備中守護家当主・細川満之の長男として誕生。 [脚注の使い方] ^ 『史料綜覧 巻7』p.367 ^ 『寛政重脩諸家譜 第1輯』p.606 三宅克広 「備中国守護細川頼重について」

松江重頼

堺に移し、1645年(寛永21年)には『毛吹草』を刊行した。 1660年(万治3年)の撰集『懐子』(ふところご)以降、和歌や漢詩や謡曲などの本歌をもじる手法を徹底して推し進め、その傾向は『佐夜中山集』(1664年(寛文4年))『時勢粧』(1668年(寛文8年))『大井川』『武蔵野』『名取川』と終生変わらなかった。

河越重頼

落合義明『中世東国の「都市的な場」と武士』山川出版社、2005年。  木村茂光「河越重頼の妻と妹―鎌倉初期の河越氏をめぐる一齣」『帝京史学』第30号、帝京大学文学部史学科、2015年、83-100頁。  新・平家物語 静と義経(1956年、大映) - 演:葛木香一 源義経(1966年、NHK大河ドラマ)

葦簾

「よしず」に同じ。 ﹝季﹞夏。

葦簾

(1)葦の茎を編んだすだれ。 よしず。 (2)鈍色(ニビイロ)のへりをつけた, 葦のすだれ。 中古, 諒闇(リヨウアン)の時, 天皇のこもる倚廬(イロ)に掛けた。

葦毛

馬の毛色の名。 体の一部や全体に白い毛が混生し, 年齢とともにしだいに白くなる。 はじめは栗毛や鹿毛にみえることが多い。 原毛色の残り方から赤芦毛・連銭芦毛など種々ある。

葦鴨

〔葦辺に群れているところから〕 鴨。 「渚には~騒き/万葉 3993」

葦鴨

カモ目カモ科の水鳥。 全長約46センチメートル。 雄は頭部の金属光沢のある黒色の羽毛と翼の三列風切羽が長くのびて美しい。 雌は地味な褐色。 アジア東北部に分布。 日本では北海道で繁殖。 冬は本州以南の各地や台湾に渡る。 ミノガモ。 ミノヨシ。

葦原

葦が生い茂っている原。 あしわら。