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พจนานุกรม

รายละเอียดคำ

蘊奥

[うんおう]
〔連声で「うんのう」とも〕
学問・技芸などの奥深いところ。 奥義。 極意。
「学問の~を究める」

蘊奥

[うんのう]
「うんおう」の連声。

คำที่เกี่ยวข้อง

海蘊

(1)褐藻類ナガマツモ目の海藻。 北海道南部以南の沿岸に分布。 ホンダワラ類にからまり, 春から初夏にかけよく育つ。 体はきわめて細く, 密に分枝し, 粘質で柔らかい。 食用。 モゾコ。 モクズ。 ﹝季﹞春。 (2){(1)}に似た, 食用としている褐藻類の総称。

五蘊

〔仏〕 〔「蘊」は梵語 skandha の訳で, 集まったものの意〕 諸存在を構成する物質的・精神的五つの要素。 色(シキ)・受・想・行・識の総称。 色は物質的存在, 受は事物を感受する心の働き, 想は事物を思い描く心の働き, 行は心の意志的働き, 識は識別・判断する心の働き。 五陰(ゴオン)。 五衆(ゴシユ)。

秘蘊

学問・芸術などの最も奥深いところ。 奥義。

森蘊

森 蘊(もり おさむ、1905年8月8日 - 1988年12月14日)は、日本庭園の研究者、作庭家。庭園研究家。『作庭記』など古文献の研究と、桂離宮や修学院離宮など多くの日本庭園における実地測量や発掘調査を組み合わせて、研究や庭園の復元整備に取り組んだ。旧大乗院庭園にかかる朱塗りの反橋、日本最古の

劫蘊寺

“宇宙寺院「劫蘊寺」2023年離陸へ。ご本尊は大日如来と曼荼羅、IoT衛星機能も”. ライブドアニュース. 2023年6月17日閲覧。 ^ “宇宙寺院 劫蘊寺とは - 宇宙寺院 劫蘊寺”. 宇宙寺院 劫蘊寺 - (2022年6月8日). 2023年6月17日閲覧。 宇宙寺院 浄天院劫蘊寺 宇宙寺院 劫蘊寺 -

范蘊若

范蘊若(はん うんじゃく、范蕴若、1996年1月7日 - 2020年7月2日)は、中国の囲碁棋士。上海市出身、中国囲棋協会に所属、五段。威孚房開杯棋王戦準優勝、三星火災杯世界囲碁マスターズベスト4など。范廷鈺、羋昱廷とともに上海若手棋士の「二飯一米」とも呼ばれる。

蘊相応

全10経 Khajjanīya-vaggo --- 全10経 Thera-vaggo --- 全10経 Puppha-vaggo --- 全10経 Anta-vaggo --- 全10経 Dhammakathika-vaggo --- 全13経 Avijjā-vaggo --- 全10経 Kukkuḷa-vaggo

李公蘊

号は太祖(タイ・ト、ベトナム語:Thái Tổ / 太祖)、諡号は神武皇帝(ベトナム語:Thần Vũ Hoàng Đế / 神武皇帝)、尊号は奉天至理応運自在聖明龍見睿文英武崇仁広孝天下太平欽明光宅章昭万邦顕応符感威震藩蛮睿謀神功聖治則天道政皇帝(ベトナム語:Phụng Thiên Chí Lý Ứng

彭蘊章

1862年)は、清末の官僚。字は詠莪。 蘇州府長洲県の出身。1835年に進士となり、軍機章京、鴻臚寺少卿、光禄寺少卿、順天府府丞、兵部侍郎、礼部侍郎、工部尚書、協弁大学士、文淵閣大学士、武英殿大学士、国史館総裁を歴任した。 1832年には科挙を首席で合格するなどの偉業を成し遂げた

苦蘊大経

中部 (パーリ) > 苦蘊大経 『苦蘊大経』(くうんだいきょう、巴: Mahādukkhakkhandha-sutta, マハードゥッカッカンダ・スッタ)とは、パーリ仏典経蔵中部に収録されている第13経。『大苦蘊経』(だいくうんきょう)とも。 類似の伝統漢訳経典としては、『中

平田玉蘊

雪行抱孤図』(文化4年(1807年)頃)を残している。これは画の常盤御前と玉蘊を重ねて父を失った玉蘊を励ますような詩と解釈されており、これ以降も茶山は玉蘊を気にかけ便宜を図っている。なおこの常盤御前の画には更に後に梁川星巌も賛詩『常盤雪行』を残しており、その詩は星巌の代表作として知られている。

王蘊 (東晋)

にあたり、ようやく任命を受けて、京口に駐屯した。ほどなく建康に召還されて、左将軍のまま尚書左僕射に任じられ、丹陽尹に転じ、散騎常侍の位を加えられた。外戚として朝廷の顕位にあることを望まず、外任を求めて、都督浙江東五郡・鎮軍将軍・会稽国内史として出向した。 王蘊は酒をたしなみ、晩年にはさらに酒量を増や

蘊謙戒琬

若くして出家し、17歳の時、木庵性瑫の居る開元寺に入寺した。 1649年(慶安2年)、長崎に住む泉州出身の華僑らの招請によって、来日して当時は無住となっていた福済寺の住持に就任した。 1656年(明暦2年)に木庵が来日すると、寺の住持の座を譲り、蘊謙自身は寺の監寺の任を担った。 1660年(万治3年)、木庵が摂津国の普門寺に去ると、住持に復帰した。

苦蘊小経

(パーリ) > 苦蘊小経 『苦蘊小経』(くうんしょうきょう、巴: Cūḷadukkhakkhandha-sutta, チューラドゥッカッカンダ・スッタ)とは、パーリ仏典経蔵中部に収録されている第14経。『小苦蘊経』(しょうくうんきょう)とも。 類似の伝統漢訳経典としては、『中

奥

姓氏の一。

奥

(1)中へ深く入った所。 (ア)入り口から遠い所。 「引き出しの~」「路地の~の家」(イ)建物の表口から遠い所。 日々, 生活している所。 「客を~へ通す」(ウ)特に江戸時代, 将軍や大名・旗本などの屋敷で, 主人の日常生活の場所。 夫人や奥女中などが住み, 主人以外の男性が立ち入ることはできない。 将軍家の場合は大奥ともいう。 (2)表面に表れない部分。 容易にはうかがい知れない部分。 「心の~」「~の深い理論」 (3)主として身分の高い人が自分の妻をいう語。 また, 身分の高い人の妻に対する敬称。 「~はどこにぞお客が有る/浄瑠璃・忠臣蔵」 (4)文書・手紙などの終わりの部分。 「~書」 (5)将来。 行く末。 遠い先。 「伊香保ろの岨(ソイ)の榛原(ハリハラ)ねもころに~をなかねそまさかしよかば/万葉 3410」 (6)都から遠い所。 特に, 奥州。 みちのおく。 「風流の初や~の田植うた/奥の細道」 <i>~=聞こう(=聞かん)より口聞け</i> 人の心の底は深く問いただすまでもなく, 言葉の端々でわかる。

奥アンツーカ

奥アンツーカ株式会社(おくアンツーカ)は、日本の建設会社、スポーツ施設を専門に手がける。陸上競技場、サッカー場、野球場、庭球場など。 1928年、運動場工事の専門会社「奥商会」として創業。創業者の奥庚子彦がフランスからアンツーカ土を紹介し国産化、1960年代には国産アンツーカ

深奥

(1)奥深く, 容易にはかり知れない・こと(さま)。 深遠。 「外形に拘泥して~な自然の味に触れ得ない/文芸上の自然主義(抱月)」 (2)おくそこ。 おく。 「~をきわめる」