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พจนานุกรม

รายละเอียดคำ

軍記

[ぐんき]
(1)戦争や合戦の模様を記した書物。 戦記。 軍書。
(2)「軍記物語」「軍記物」の略。

คำที่เกี่ยวข้อง

軍記物

戦場記:舟岡山軍記/久米田合戦 通史・年代記:永享記/鎌倉大草紙/関東合戦記/相州兵乱記〔北条記〕/鎌倉管領九代記 家記・武将記:松陰私語*/喜連川判鑑*/道灌状* 通史・年代記:奥羽永慶軍記/新編東国記/秋田古戦記/志和軍戦記/東奥軍記/田村兵軍記/藤葉栄衰記/天正南部軍記/最上記追加/檜原軍物語/老士雑談*/奥羽軍談

従軍記者

従軍記者(じゅうぐんきしゃ、英語: War Correspondent)とは、戦争中に軍隊と行動を共にする記者のこと。 軍隊と行動を共にすることで、その戦争に関するより詳しい記事やリポートをすることができる一方、その従軍している軍隊寄りの記事になる傾向があるのが難点である(イラク戦争におけるエンベ

備前軍記

『備前軍記』(びぜんぐんき)は、江戸時代後期に岡山藩士の土肥経平が編纂した軍記物。本文5巻と付録から成る。 備前を核に、隣接する播磨、備中、美作などで繰り広げられた武家の興亡を叙述する。主に赤松満祐が嘉吉の乱で滅んだ後から、山名氏、尼子氏、浦上氏、宇喜多氏などの興亡を経て、江戸時代初期の小早川秀秋の没落と池田家の入封までを扱う。

軍記物語

『将門記』は平将門の、伯父の平国香や源護らとの争い(935年(承平5年))から死去までを、合戦の記録としての年代記に記述しながら、表情豊かな文体によって『竹取物語』などの系譜の物語としての構成も備え、英雄的な人物像を描く軍記物語の先駆け的存在となった。藤原純友の乱を題材とした『純友追討記

勢州軍記

寛永15年(1638年)に「勢州軍記」の抄録『勢州兵乱記』を紀州藩主(徳川頼宣)に献上。 『勢州軍記』は『続群書類従』合戦部所収、『勢州兵乱記』は『(改定)史籍集覧』25所収。 ^ a b c d e 平松 1997. 近藤瓶城 編「勢州兵乱記」『史籍集覧』 25巻(再)、近藤出版部、1907年、585–601頁。doi:10

従軍記章

^ 実際の授与は1877年(明治10年)以降に開始したが西南戦争の影響により遅延し、また従軍者のうちで西郷隆盛方(薩軍)に加わった者には与えられなかった。 ^ 勲章制度について打ち合わせていた1874年(明治7年)の段階では、飾版の字案には「台湾」のほか、同年

明智軍記

いわけではないとする。桐野作人は著書『だれが信長を殺したのか』の中で、光秀の重臣・斎藤利三に「としかず」とのルビがあるのを取り上げ、「『明智軍記』は俗書ながら、明智家中の末裔らしき事情通が編纂に関与している形跡がある」と述べている。 二木謙一校注『明智軍記』新人物往来社、1995年/KADOKAWA、2019年。ISBN

軍記読み

軍記読み(ぐんきよみ)は、江戸時代から流行した大衆演芸の1つ。それまでの軍記物を通俗的に講釈した講談や、文字に起こした小説、さらにはそれを行った芸人(辻講釈や講談師)のことである。軍書読み(ぐんしょよみ)、軍談読み(ぐんだんよみ)ともいう。 中国における『三国志演義』『水滸伝』のような講釈・講談の一分野であり、太平記読みなどがよく知られ

佐久間軍記

大坂乱 「序」には以下のとおり記述されている。 夫佐久間氏、柴田氏者、英于近代。 織田信長公之世、武功冠諸将。 以其十之一、雖載信長記、虚説相接、漏脱亦多。 寔可為遺憾。 予聞其古老少有識胸中者。 仍今合書於斯。備将来之遺失者也。 (現代訳) 佐久間氏と柴田氏とは近年における英傑である。織田信長公

一谷嫩軍記

じつは、後白河院の落胤だったのである。しかし平家の命運は尽き、いずれこのままでは敦盛も一門とともに命を落とすことになるであろう。そうなるまえに藤の方と玉織姫を連れてすぐさまここを立ち退き、都に上って身を隠しいずれ院を頼るようにと経盛は敦盛に言い聞かせる。敦盛はい

破軍星戦記

『破軍星戦記』(はぐんせいせんき)は、CLAMPによる日本の漫画作品。 『KID'S』(ふゅーじょんぷろだくと)のVol.6~8、Vol.10に4回だけ連載された。Vol.5に予告、Vol.9に総集編が掲載。雑誌自体が廃刊している上、未完成作品なので単行本化されていない。キャラクターの設定、名称等は

陸軍記念日

10日が第1回陸軍記念日である。これに対して同じ日露戦争の日本海海戦で帝国海軍が勝利した5月27日が海軍記念日と定められていた。 1945年(昭和20年)3月10日の東京大空襲は、この陸軍記念日を狙って実施されたという説がある。当時の日本で、この記念日にアメリカの大規模な攻撃があるとの噂が流布してお

海軍記念日

海軍記念日(かいぐんきねんび)は、海軍を祝う記念日。 日本では、第二次世界大戦以前に5月27日を海軍記念日としていた。1905年(明治38年)5月27日に行われた日本海海戦を記念して制定された。1945年(昭和20年)を最後に、日本の太平洋戦争敗戦により廃止された。 日

海軍記念館

土・日・祝日の午前10時~午後3時 駐車場 なし。(近隣の市営駐車場を利用) 舞鶴赤レンガ倉庫群(12棟の煉瓦倉庫群) 赤れんが博物館 舞鶴市政記念館 まいづる智恵蔵 夕潮台公園 赤れんがフェスタ(10月) 舞鶴引揚記念館 日露戦争 日本海海戦 海上自衛隊 海軍記念館 - ウェイバックマシン(2013年6月17日アーカイブ分)

アメリカ従軍記章

トが大統領令9265号によって制定したアメリカ軍の勲章。この勲章は第二次世界大戦に軍務に就いた軍人を表彰するものであった。 1941年にはアメリカ防衛従軍記章という同様の勲章が、第二次世界大戦の真珠湾攻撃までの現役兵に授与されていた。 アメリカ従軍記章は1942年11月6日、フランクリン・D・ルーズ

雲陽軍実記

河本隆政(静楽軒)著; 井原大之助編. 松江: 松陽新報社, 1911.11. 雲陽軍實記 / 河本静楽軒著. 松江: 島根郷土資料刊行会, 1973.4. 尼子毛利合戦雲陽軍実記 / 河本静楽軒著; 勝田勝年校注. 東京: 新人物往来社, 1978.12. 近代デジタルライブラリー - 雲陽軍実記 表示 編集

奥羽永慶軍記

ポータル 文学 『奥羽永慶軍記』(おううえいけいぐんき)は、江戸時代に秋田の戸部正直によって記された軍記物語。 久保田藩領出羽国雄勝郡横堀村(現・秋田県湯沢市)の医師である戸部正直が記した。元禄11年(1698年)に成立。 天文3年(1534年)から元和8年(1622年)にかけての奥羽地方の群雄争乱を題材にしている。

セイロン軍発足記章

セイロン軍発足記章(セイロンぐんほっそくきしょう、英語: Ceylon Armed Services Inauguration Medal)は、自治領セイロンの勲章。セイロン軍の設立期である1949年から51年にかけて勤務した者に授与された。 ^ a b "No. 56878". The London

アメリカ防衛従軍記章

アメリカ防衛従軍記章(American Defense Service Medal)は1941年6月28日にフランクリン・ルーズベルトが大統領令8808号によって制定したアメリカ軍の勲章。この勲章は1939年9月8日から1941年12月7日までの間に軍務に就いた軍人を表彰するものであった。