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รายละเอียดคำ

長寛勘文

抵抗を斥けて、牓示を撤去し、年貢を強奪したばかりか、在家追捕、神人の監禁・傷害といった濫行を起こした。 これに対し、熊野山はただちに朝廷に提訴し、翌長寛元年(1163年)、朝廷は明法博士の中原業倫に勘申させた。業倫は、八代荘設立の経緯と「熊野権現垂迹縁起」の記述とを根拠として、忠重らの狼藉を、院庁下

คำที่เกี่ยวข้อง

勘文

例等の必要な情報を調査して報告(勘申)を行った文章のこと。 主に外記や神祇官・検非違使などの官人、大学寮や陰陽寮に属する諸道の学者などが行った。 特に、諸道の学者による勘文を諸道勘文ともいう。 国家の重大事などに際して専門家である官僚や学者に勘申を行わせて、太政官の陣定や院評定などの参考とした。先

寛文

年号(1661.4.25-1673.9.21)。 万治の後, 延宝の前。 後西(ゴサイ)・霊元天皇の代。

長寛

年号(1163.3.29-1165.6.5)。 応保の後, 永万の前。 二条天皇の代。

寛文長崎大火

寛文3年(1663年)3月8日の巳の刻に、筑後町で火災が発生。その火は北風に煽られ、周囲の町へと広がっていき、長崎市中のほとんどを焼き尽くす大火災となった。 この火災は筑後町に居住する浪人・樋口惣右衛門による放火が原因だった。日頃から鬱々としていた惣右衛門が発狂して自宅の2階の障子に火をつけ、隣家の

明法勘文

れている)。また、後には勅撰の律令注釈書である『律集解』・『令集解』本文からも引用も同様の書式で行われている。その後に「勘決」と呼ばれる勘申者の見解・結論が記された。 こうした勘文は陣定・院評定などの会議資料として用いられた他、『法曹類林』や『政事要略』以下多くの明法家の著書に採録され、後には公家

長文

長い文章。 長い文。 ⇔ 短文

勘

(1)物事を直感的に感じ取る能力。 第六感。 「~がいい」「~が狂う」「~に頼る」「~がはたらく」 (2)よく調べて考えること。 罪を調べただすこと。 「御~なる, 昨日の事なり/御湯殿上(大永八)」

寛永文化

となった大坂を中心とした元禄文化が花開く事になる。 フランスの美術史家ネリ・ドゥレ(Nelly Delay)によれば、17世紀初頭は新しい芸術がつぎつぎに生まれた日本文化の一大転換期である。狩野派や土佐派の伝統的な絵師に加えて岩佐又兵衛のような画家が登場し、彼らは祭りや享楽的な都市生活をテーマとす

寛文印知

寛文印知(かんぶんいんち)は、寛文4年4月5日(1664年4月30日)に江戸幕府が日本全国の大名に対して一斉に領知判物・領知朱印状・領知目録を交付した法律。また、翌寛文5年(1665年)には、公家・門跡・寺社などに対しても同様の措置が取られ、江戸幕府の大名領知権と日本全国の土地支配権を名実ともに確立

相良長寛

。同年4月28日、藩主として初めてお国入りの許可を得る。同年5月4日に江戸を出発し、6月16日に人吉城に入った。お国入りにあたって、板倉勝興の三男・至親を仮養子に指名した。明和7年(1770年)12月16日、従五位下壱岐守に叙任された。安永3年(1774年)11月15日、長泰(ながやす、政長から改名

寛文美人図

が形成されつつあった。掛軸に美人図を描く形式は肉筆浮世絵の基本スタイルとして後に受け継がれていくが、そのような考えられているものが「縁先美人図」である。この作品は縁先という場を特定する背景が描かれ、『伊勢物語』の「河内越(かわちごえ)」を元にしたことが指摘されている。寛文美人図から浮世絵の祖とされ

堀長文

堀 長文(ほり ながふみ、1936年4月29日 - 2015年11月7日)は、日本の元演出家・プロデューサー。元東映東京撮影所所属。香川県出身。早稲田大学卒業。企画会社堀屋ほり長の社長としてドキュメンタリー番組の制作に携わっていた。おいはファニメーション社長のゲン・フクナガ。

崔長文

崔 長文(さい ちょうぶん、456年頃 - 534年頃)は、北魏の官僚。字は景翰。東清河郡鄃県の出身。本貫は清河郡東武城県。 崔光の従祖弟にあたる。慕容白曜が山東を平定すると、長文は若くして平城に連行された。聡明俊敏で学識があった。太和年間、奉朝請に任じられた。洛陽遷都にあたって、長文は司空参軍事

長文クイズ

長文クイズ(ちょうぶんクイズ)は、1990年代前半に発生した、クイズの中でも比較的問題文が長いものである。短文クイズに、「正解に関する深い知識」を挿入して作成されるケースが多い。 最近では、アマチュアが主催するクイズ大会での早押しクイズのような、「一問一答」のケースで出題されることがある。

勘事

勘事(かんじ/こうじ)とは、上官の譴責を受けて出仕の差し止めなどの処分を受けること。勘当とも称した。天皇からの勘事の場合は、特に勅勘(ちょっかん)と称した。 本来は罪を勘える(=判断する)という意味で、罪を犯したとされた官人の処分を決定することを指したが、後には処分そのものや処分を受けた人を

勘当

(1)江戸時代, 親が子の所業をこらしめるために親子の縁を絶ったこと。 武士は管轄の奉行所, 町人は町奉行所で登録した。 この登録のないものは内証勘当といった。 追い出し久離(キユウリ)。 また, 主従・師弟関係を絶つことにもいった。 「夜遊びが過ぎて~される」 → 久離 (2)罪を法に当ててかんがえること。 「きやつ, たしかにめしこめて~せよ/宇治拾遺 3」 (3)こらしめ, しかること。 「玉の取りがたかりし事を知り給へればなむ~あらじとて/竹取」 〔(2)が原義〕 <i>~切(キ)・る</i> 勘当して, 親子の縁を切る。 「~・らるる事などかまはぬ顔つきの若い者/浮世草子・胸算用 3」

勘弁

〔(2)が原義〕 (1)過ちや不都合などを許すこと。 堪忍。 「もう~ならない」「堅苦しい挨拶(アイサツ)は~してください」 (2)十分に考えること。 事の善悪・当否などをよく考え, わきまえること。 「後先の~なしでござります/滑稽本・浮世風呂 3」 (3)やりくりが上手なこと。 また, 計算に明るいこと。 「助兵衛は…所務の~上手の人なれば/甲陽軍鑑(品三二)」

勅勘

天皇からのとがめ。 勅命による勘当。 「~をこうむる」

勘進

(1)考え調べて, 申し上げること。 (2)「勘申(カンジン)」に同じ。