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พจนานุกรม

รายละเอียดคำ

長禄寺

窓明潭で、開山を同じくする新潟県の観音寺や、付近の長松院などの本寺である。創建された年号にちなんで命名された。 室町時代の長禄元年、須賀川城主の二階堂為氏が、二階堂氏一族の菩提寺として開基となり建立した。為氏は、鎌倉に住していた曹洞宗の僧侶、月窓明潭を招いて開山初代とした。月窓明

คำที่เกี่ยวข้อง

長禄

年号(1457.9.28-1460.12.21)。 康正の後, 寛正の前。 後花園天皇の代。

光禄寺

秦代の郎中令を起源とする。漢・魏・晋代には光禄勲と称された官署であるが、当初は宮殿門戸などを管掌した。北斉のときに光禄寺が置かれ、膳食・帳幕器物・宮殿門戸を管掌した。唐代には、光禄寺の長官は光禄寺卿といい、その官位は従三品とされた。次官は光禄寺少卿といい、その官位は従四品上とされた。その

長禄の変

の赤松政則)を家督として赤松家の再興を認めるという後花園天皇の綸旨と足利義政の御内書を得ていたとされる。そうした消息を伝えるのが「堀秀世上月満吉連署注進状」と呼ばれる史料で、事件に関った赤松家遺臣の一人である上月左近将監満吉が事件後20余年を経た文明10年(1478年)に事件の顚末

禄

(1)官に仕える者に支給される手当。 俸禄。 (2)当座の賞与。 かずけもの。 「力を尽くしたること少なからず。 しかるに~いまだ給はらず/竹取」 <i>~を盗(ヌス)・む</i> 高禄を受けながら働きが伴わない。 <i>~を食(ハ)・む</i> 禄を受けて生活する。 主君に仕える。

長禄江戸図

『長禄江戸図』(ちょうろくえどず)は、室町時代・長禄年間(1457年 - 1460年)の江戸を描いたとされる古地図。 地図は同時代に描かれたものではなく、江戸時代に描かれたものと見られる。写本の形で流布したが、原図の制作者・制作年は不明。『長禄年中江戸絵図』、『長禄年中江戸図』、『長禄江戸之絵図

文禄・慶長の役

』、李舜臣の『乱中日記』では沙船十九隻、號船二十餘隻)が浅瀬に座礁する。これを日本軍が炎上させた。明兵に死傷及び捕虜となるものが甚だ多く出て、生還した者は百四十余名に過ぎなかった。翌4日も明・朝鮮の水軍による攻撃は継続されたが、城の守りは堅く撃退された。 このように3日、4日と水軍は海上からの攻撃を

長楽寺

長楽寺(ちょうらくじ) 長楽寺 (男鹿市) - 秋田県男鹿市にある山岳信仰で栄えた寺院。 長楽寺 (福島市) - 福島県福島市にある曹洞宗の寺院。萬年山。本庄氏ゆかりの寺。本庄繁長の廟所。 長楽寺 (宇都宮市) - 栃木県宇都宮市にかつて存在した時宗一向派の寺院。明治2年(1869年)に廃寺となっ

長尾寺

興された極楽寺とともに東讃僧徒の学問所で談義所、歴代朝廷の勅願所として栄えた。本尊は伝弘法大師作・千手観音。重文の木造薬師如来坐像(桧の一木造り、素地、144.5cm、藤原時代作、明治34年3月27日指定)がある。さぬき三十三観音霊場第四番札所。 所在地:香川県さぬき市鴨部 (長福寺)

長谷寺

に参詣し、それぞれの宿坊に泊まる修行を1000日以上続ける、「隔夜参り」の信仰対象となった。この修行をする者を隔夜僧、あるいは隔夜聖などと称したが、隔夜僧達が泊まる奈良側の宿坊は高畑の隔夜堂であり、長谷寺側の宿坊は石打不動尊の上あたりに

建長寺

博に陳列されたパキスタンのラホールにあるラホール中央博物館(英語版)所蔵の釈迦苦行像のレプリカが愛知万博終了後にパキスタンより寄贈され、安置された。 法堂 鎌倉に住んでいた日本画家小泉淳作の筆による「雲龍図」(法堂天井画) 「釈迦苦行像」 重要文化財で方丈入口の門。仏殿と同じく、芝の徳川秀忠夫人崇

長保寺

提寺と定めたことに伴い、頼宣が建立したと伝えられる仏殿は、頼宣の没後に位牌堂に充てられた。この位牌堂が御霊屋である。桁行7間、梁間8間、寄棟造、本瓦葺で、南東に玄関が付く。西側の2室に厨子を置き、歴代藩主および正室・側室等の位牌が祀られている。 廟門 福蔵院 - 塔頭。 大門(仁王門、国宝) -

長瀧寺

絹本著色泰澄大師像 南北朝時代 絹本著色阿弥陀如来像 鎌倉時代後期 絹本著色涅槃図 鎌倉時代後期 絹本著色二尊観音像 李朝時代(室町時代中期) 絹本著色十三尊仏像 室町時代後期 絹本著色道雅法印像 室町時代後期 絹本著色弘法大師像 南北朝時代 絹本著色青不動像 鎌倉時代後期 絹本著色不動明王像 室町時代

長岳寺

模な建造物である。中央の心柱の上部に四仏の種子を表し、心柱を大日如来に見立て、全体で五智如来を表す。その形状から「傘堂」、四方どちらの面も正面に見えることから真面堂(まめんどう)の別称がある。 大門 楼門(重要文化財) 拝堂 旧地蔵院(庫裏、重要文化財) 五智堂(重要文化財) 大石棺佛 十三重塔 古い石垣が残る

海長寺

852年(仁寿2年) - 有渡山八ツ原に、円仁を開基とし村松山峨岳寺として創建される。 1011年(寛弘8年) - 山津浪で崩壊し現在地へ移る。 1274年(文永9年) - 中老僧日位が当地を布教し、当時の寺主慈証を帰伏し山寺号も龍水山海上寺となる。

長命寺

屋寺のみが残っている。 麓にはかつての鎮守社である日吉神社がある。 長命寺本堂へは、湖岸から808段の石段の参道を登る。登りには約20分を要するが、現在は本堂近くまで自動車道が整備されている。主要堂宇は屋根を瓦葺きでなく檜皮葺きまたはこけら葺き

長寶寺

くも)をつかむと青蜘蛛は舎利に変わったという。嘉吉2年(1442年)、慶心坊尼が逆修供養を営んだ際に、客僧が来訪し、閻魔王の木像を刻んで姿を消した。その客僧が閻魔王であったという。 「青蜘蛛の舎利」、「閻魔大王木像」、「閻魔大王実判」は現在も、長寳寺に伝わっている。 慶心坊尼が、この出来事を

長徳寺

長徳寺(ちょうとくじ)は、日本の各地にある仏教寺院。 不退山長徳寺 - 一関市藤沢町保呂羽にある時宗の寺院。長徳寺蘇民祭で知られる。 長徳寺 (川口市) - 埼玉県川口市。 長徳寺 (入間市) 長徳寺 (千葉市) - 千葉県千葉市。 長徳寺 (匝瑳市) - 千葉県匝瑳市。真言宗智山派。 長徳寺 (品川区)

光長寺

眼(かいげん)の後、少しお気に召さぬところがあり鑿〈のみ〉を当てたところ清血が流れた。一たび御開眼の後はただの木像ではない、「生きておられる」と驚き疎漏を悔いられた。これを伝え「血流れの祖師」と云う。」 宝物集(ほうぶつしゅう)巻第一 1287年(弘安10年)日春の書写。宮内庁書陵部本と並ぶ『宝物集』の最古写本。

妙長寺

神奈川県鎌倉市にある寺院。泉鏡花が明治24年(1891年)に滞在、その体験を明治31年「みだれ橋」(「星あかり」に改題)という作品で発表した。鎌倉時代の1299年、舟守弥三郎の子日実の創建という。 妙長寺 (河内長野市) - 大阪府河内長野市にある日蓮宗の寺院。河内長野の妙見さんとして知られる。 妙長寺 (徳島市)