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รายละเอียดคำ

陳祖徳

1964、1966、1974年 海天杯囲棋国手元老戦 1997年 浙江電信通訊杯囲棋名手快棋招待戦 1999年 大老板杯元老戦 2003年 商業杯囲棋元老招待戦 2008年 世界アマチュア囲碁選手権戦 2位 1979年 新体育杯戦 準優勝 1979年(決勝で聶衛平に0-2で敗れる) 百年楽元老杯囲棋戦 準優勝 1992年

คำที่เกี่ยวข้อง

陳耀祖

1942年(民国31年)6月、陳耀祖は広州市市長も兼ね、広東省の全権を一手に掌握した。翌年1月、省政府主席から省長へと改組される。同年中にフランス専管租界接収委員、新国民運動促進委員会広東省主任委員も務めている。 1944年(民国33年)4月4日、陳耀祖は広州で暗殺された。享年53。 ^ 劉傑『漢奸裁判』、135頁。

至徳 (陳)

至徳(しとく)は、南北朝時代の南朝陳において後主陳叔宝の治世に使用された元号。583年正月 - 586年12月。 プロジェクト 紀年法 元号一覧 (中国) 他王朝の至徳(曖昧さ回避)

陳徳銘

Deming、チャン・ドゥミン、1949年3月 - )は、中華人民共和国の政治家。商務部長、海峡両岸関係協会会長を務めた。 1949年3月:上海市に誕生する。 1985年5月 - 1993年6月:江蘇省商業庁副庁長 1993年6月 - 1997年12月:江蘇省人民政府副秘書長 1997年12月 -

陳炳徳

陳 炳徳(ちん へいとく、1941年7月 - )は中華人民共和国の軍人。中国共産党中央委員会委員、党中央軍事委員会委員、国家中央軍事委員会委員、中国人民解放軍総参謀長。最終階級は上将。 1961年4月、中国人民解放軍に入隊する。1962年3月、中国共産党に入党。1964年8月、小隊長に任官。その後、軍司令部作訓処参謀を務める。

徳大寺実祖

)に後桜町上皇の院御厩別当となる。安永5年(1776年)には踏歌節会外弁を務める。 安永8年(1779年)に権大納言就任。天明6年(1786年)に大歌所別当となる。寛政6年(1794年)に光格天皇の中宮欣子内親王の中宮大夫に就任。寛政9年(1797年)には右近衛大将・右馬寮御監に転じた。寛政10年

陳

(1)中国, 西周・春秋時代の諸侯国の一((前1027?-前478))。 今の河南省辺の一部を支配した小国で, 楚に滅ぼされた。 (2)中国, 南北朝時代の南朝最後の王朝(557-589)。 梁の武将であった陳覇先(武帝)が建国。 都は建康。 隋の文帝に滅ぼされた。

陳

(1)古くなること。 また, そのもの。 (2)古くなった穀物や野菜。 特に, 一年以上前にとれた穀物。 《陳》「~米」「~しょうが」 (3)老熟していること。 ませていること。 また, その人。 (4)おくての稲。 晩稲。 [和名抄(一〇巻本)]

祖

(1)子を生んだ人, または, 他人の子を自分の子として養い育てる人。 実父母・養父母の総称。 《親》「生みの~より育ての~」「養い~」 (2)子をもっている生物。 《親》「~鳥」 (3)他の物を生ずるもととなるもの。 《親》「~芋」 (4)物事の中心になるもの。 《親》「~会社」 (5)同種のもののうち, 大きなもの。 《親》「~指」 (6)勝負事の際, 札配りなど競技の中心的な役割にあたる人。 また, その役。 《親》 (7)無尽・入札などの際の発起人。 《親》{(1)~(7)} ⇔ 子 (8)もののはじめ。 元祖。 《祖》「物語の出できはじめの~なる竹取の翁に/源氏(絵合)」 (9)祖先。 《祖》「人の子は~の名絶たず/万葉 4094」「遠つみ~」 <i>~思う心にまさる親心</i> 〔吉田松陰の歌「親思ふ心にまさる親心今日のおとづれ何と聞くらん」による〕 子が親を思う心以上に, 親の子を思う心は深い。 <i>~に似ぬ子は鬼子(オニゴ)((オニツコ))</i> 親に似ない子は人の子ではなく鬼の子である。 子は親に似るのが普通である, の意。 <i>~の因果(インガ)が子に報(ムク)う</i> 親のした悪業の報いが罪もない子に現れる。 親の罰(バチ)は子にあたる。 <i>~の顔が見たい</i> しつけの悪いよその子の言動に, 驚きあきれて言う語。 <i>~の心子知らず</i> 子を思う親の心を子は察しないで勝手な振る舞いをする。 <i>~の臑(スネ)を噛(カジ)る</i> 子が経済的に自立できないで, 親の扶養を受ける。 <i>~の光は七光(ナナヒカリ)</i> 〔「七」は大きな数としていう〕 子の出世や評価に大きく貢献する, 親の高い社会的地位や名声などの威光。 親の光は七とこ照らす。 親の七光。 <i>~の欲目(ヨクメ)</i> 親が愛情から自分の子を実際以上によいと思うこと。 <i>~は無くとも子は育つ</i> 親がいなくなっても, 子供はなんとか育っていくものである。 世の中のことはさほど心配したものではないというたとえ。

祖

(1)その血統。 一家系の最初の人。 「清和天皇を~とする」 (2)一つの教え・流派, 物事などを始めた人。 元祖。 「細菌学の~」

西祖谷山村善徳

西祖谷山村善徳(にしいややまむらぜんとく)は、徳島県三好市の町名。郵便番号は778-0102。 三好市の南部に位置。南は西祖谷山村今久保・西祖谷山村重末・西祖谷山村冥地、西は西祖谷山村一宇・西祖谷山村田ノ内、北は池田町松尾、東は西祖谷山村下名・東祖谷小島・東祖谷高野・東祖谷今井・西祖谷山村閑定とそれぞれ接する。

陳登

時期は不明だが、まだ広陵太守であったころ、陳登は魚の膾を食し、それゆえ胃に寄生虫が湧いてしまったことがあった。このときは華佗の投薬によって一度は治癒したが、華佗は3年後にこの病気が再発することを予言し、良い医者を側におくよう忠告した。それから3年後、果たして病気が再発したが、そのとき既に華佗が不在であったため、陳登は病死してしまったという(「方技伝」)。

陳選

ことを自らに期していた。1460年(天順4年)、進士に及第した。1463年(天順7年)、監察御史に任じられた。江西巡按をつとめて、貪婪凶暴な官吏を全員降格させた。当時の人は「前に韓雍あり、後に陳選あり」と評した。反乱軍が贛州府に流入すると、陳選はそのことを奏聞して、返答を待たずに、兵を派遣して反乱を平定した。

陳祗

蜀の旧臣の陳寿は、「劉禅が亡き董允を事追うごとに疎ましく思うようになった一因は、陳祗と黄皓にあった」と評し、また「陳祗の政治は帝にへつらい、宦官におもねるものであった」という評価を下している。 ただ、後主伝によると、黄皓がはじめて政治的な権限を手中にしたのは、陳祗の死後である景耀元年(258年)からだとある。

開陳

自分の意見や考えなどを述べること。 「見解を~する」

陳情

その問題についての決定権をもっている上位の者に実情を説明すること。 特に, 議会や関係官庁に実情を述べて, 善処を要請すること。 「~団」「~書」「国会に~する」

陳謝

わび言を述べてあやまること。 「非礼を~する」

陳説

(1)述べ説くこと。 (2)陳腐な説。

陳摶

种放は穆修(ぼくしゅう)に伝えた。种放はまた河図洛書を伝え、穆修は太極図を周敦頤に伝えたという。 『仏祖統紀』によると、陳摶は麻衣道者に易を学び、正易心法四十二章に注をつけ、3×3の魔方陣としての河図洛書を示した。 『風鑑』は観相術の書で、『直斎書録解題』に「希夷先生風鑑」(『文献通考』経籍考47

陳祚

陳 祚(チェン・ズオ、1982年1月19日 - )は、中華人民共和国の男子競泳選手。北京市出身。 2002年に釜山で開催されたアジア競技大会に出場し、100m自由形と4×100m自由形リレーで金メダルを獲得した。2006年のドーハ大会では100m自由形で金メダルを獲得した。