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陸軍兵器廠

署・支署を廃止し陸軍兵器廠が創設された。陸軍大臣隷下の本廠を東京、大阪、門司、台湾の4箇所に設置し、各管区内の師団司令部・台湾守備混成旅団司令部・要塞などの所在地に支廠を置き統括した。 1903年(明治36年)5月、四つの兵器本廠を東京の兵器本廠に統合し、支廠を師団司令部所在地、門司・台北に置き、要

คำที่เกี่ยวข้อง

陸軍造兵廠

前身は、1879年(明治12年)10月に設置された砲兵工廠で、砲兵工廠提理が統括した。本廠である東京砲兵工廠と、支廠たる大阪砲兵工廠の二つが在った。 1923年(大正12年)3月29日に陸軍造兵廠に改編され、長を長官と改めた。本廠は兵器の考案・設計、長官直轄製造所の管理、所掌事務を行い、東京・大阪・名古

広島陸軍兵器補給廠

広島陸軍兵器補給廠(ひろしまりくぐんへいきほきゅうしょう)は、現在の広島市南区霞町に存在していた日本陸軍の施設(1940年以前の名称は「広島陸軍兵器支廠」)。帝国陸軍の武器弾薬の集積・補給を行っており、近隣には陸軍要塞砲兵連隊(のち電信第2連隊 / 比治山本町)・広島陸軍被服支廠(出汐町)・演習砲台などの陸軍施設があった。

レッドストーン兵器廠

レッドストーン兵器廠(レッドストーンへいきしょう、英: Redstone Arsenal)はアメリカ合衆国アラバマ州マディソン郡ハンツビルの南西に位置するアメリカ陸軍駐屯地である。第二次世界大戦期におけるアメリカ陸軍の化学兵器や各種弾薬の製造に始まり、戦後は各種ミサイルやロケット砲の研究開発、試験、

小倉陸軍造兵廠

小倉陸軍造兵廠(こくらりくぐんぞうへいしょう)は、福岡県小倉市(現・北九州市小倉北区)にあった日本陸軍の兵器工廠である。 東西に最大735m、南北に最大1325m、総面積582,717m2(約176,000坪)もの敷地を誇った工廠で、小型戦車、小銃、機関銃、高射機関砲、砲弾、風船爆弾、化学兵器などを製造していた。

陸軍兵器本部

陸軍兵器本部(りくぐんへいきほんぶ)は、日本陸軍の兵器製造と補給を統括する機関で、陸軍省の外局である。 日中戦争に伴う補給と軍備充実のための兵器需要の増大が、兵器行政の効率化を促した。そのため、1940年(昭和15年)4月1日、陸軍兵器廠と陸軍造兵廠を統合し新組織の陸軍兵器廠とした。新兵器廠

陸軍兵器学校

Georges Lebon)大尉が東京都の小石川(旧水戸藩邸)で、伝諸工集所が開設された。1885年(明治18年)、砲兵工廠生徒学舎が設置され、1896年(明治29年)4月7日、陸軍砲兵工科学校となった。さらに、1920年(大正9年)8月、陸軍工科学校となり、1938年(昭和13年)10月に神奈川県高

名古屋陸軍造兵廠

熱田公園には名古屋陸軍造兵廠記念碑が建つ。 また、春日井市にあった名古屋陸軍造兵廠鷹来製造所旧本館は名城大学農学部農場事務棟となっている。 春日井市総合体育館の近隣には旧名古屋陸軍造兵廠鷹来製造所跡碑も建立されている。 名古屋陸軍造兵廠史が製作されている。 1941年(昭和16年)6月1日 - 名古屋陸軍造兵廠高蔵製造所鷹来分工場が発足。

東京第二陸軍造兵廠

終戦によりアメリカ軍が駐留を開始、1946年11月には接収され、アメリカ空軍多摩弾薬庫が置かれた。また旧男子工員寮は外地からの引揚者のための東京都外地引揚者定着寮として用いられた。現在は、在日米軍多摩サービス補助施設として使用されている。 戦局悪化に伴い、板橋工場の疎開先として1年で

東京第一陸軍造兵廠

て発足した。跡地の西側は上野台団地(現在は建替えられてコンフォール上野台)、東側はイオンタウンふじみ野、新日本無線株式会社川越製作所となっている。境界壁は工場の塀として現存。ふじみ野市立上福岡歴史民俗資料館には工場の模型が設置されている。 ^ 外山、森松 1987, 420頁. ^ 外山、森松 1987

陸軍被服本廠

陸軍被服本廠(りくぐんひふくほんしょう)は、東京都王子区(現・北区)にあった大日本帝国陸軍の被服廠。本所区から移転している。陸軍大臣直属。支廠として大阪陸軍被服支廠や広島陸軍被服支廠などが存在した。 1890年(明治23年)3月に制定した陸軍被服廠條例によって被服廠を本所区に設置。1903年(明治3

造兵廠

日本陸軍における造兵廠の前身は、明治12年10月に設置された砲兵工廠で、本廠である東京砲兵工廠と、支廠である大阪砲兵工廠の2つが在った。これらは、大正12年3月29日に陸軍造兵廠に改編され、昭和15年4月に従来の陸軍兵器廠と統合された。新たな造兵廠は、この兵器廠の下に支廠

ペーネミュンデ陸軍兵器実験場

航空弾道学・数学研究所 風洞 材料研究所 飛行・誘導・遠隔制御装置(BSM) 開発・製造研究所 試験研究所 将来計画オフィス 調達オフィス 測定グループは、BSMの一部であり、その他に製造計画や人事オフィス等の部門もあった。 V2ロケットやヴァッサーファル等を含む第二次世界大戦でドイツ軍によって使われた誘導

アメリカ陸軍兵器博物館

性能試験場 (APG) にある武器・弾薬の博物館である。免税非営利法人である兵器博物館財団が運営している。日本ではアバディーン戦車博物館とも呼ばれる。 1919年に設置され、捕獲した敵軍の装備及び軍需品を展示するために1924年に市民に公式に公開された。開館当初はアバディーン性能試験

陸軍兵器行政本部

名古屋陸軍造兵廠 熱田製造所(小口径砲) 鳥居松製造所(銃器) 鷹来製造所(銃弾) 高藪製造所(弾丸) 千種製造所(機砲) 駿河製造所(機砲) 楠製造所(機砲) 柳津製造所(機砲) 大阪陸軍造兵廠 枚方製造所(弾薬) 白浜製造所(舟艇) 石見製造所(薬莢) 播磨製造所(素材) 第1製造所(砲) 第4製造所(素材)

東京兵器補給廠

東京兵器補給廠(とうきょうへいきほきゅうしょう)、TOD(ティーオーディー、英語: Tokyo Ordnance Depot)は、東京都北区・板橋区に所在する日本の旧軍用地。 東京都北部(北区・板橋区)の板橋・十条・王子・赤羽近辺に所在する。東京兵器補給廠地区と東京造兵廠地区の2地区に大別され、そ

ゼントラーディ軍の兵器

ャー4基他、大型のビーム砲を機体左右にマウントしている。リガードやグラージ系のデザインからは外れた、大きく翼を広げたようなシルエットが特徴的。やはり空間戦闘特化型で機動性を高めるべく強力な推進器を装備している。 ヌージャデル・ガーと同系列のバトルスーツ。細部が異なる。 元ゼントラーディ

陸軍恤兵部

陸軍恤兵部(りくぐんじゅっぺいぶ)は陸軍省内の部署の一つ。長は恤兵監。 戦地への慰問、或は慰問で送られるものを「恤兵」と呼ぶが、この部署では主にその恤兵の管理などを行っていた。また『陣中倶楽部』など、兵士向けの慰問雑誌の発行業務も行っていたほか、招集された映画監督(伊賀山正光など)による映画班も編

陸軍船舶兵

帝国陸軍兵器一覧#船舶)、このうち大型の揚陸艦の操船に関しては民間海運会社からの派遣船員(軍属)が中心となっており、船舶兵は自衛武装や搭載舟艇、対潜哨戒機(「あきつ丸」)の運用を担当していた。なお、機動艇以下の中小型艇や上陸用舟艇等は船舶兵自身が操船を行っている。そのため、船舶兵は手旗信号など通常

兵器

航空機・火器・通信機材・車両など, 戦闘用のすべての資材。 狭義には, 敵を殺傷・破壊する器材をいう。 武器。 「核~」「化学~」「~庫」