アーチェリー 古川高晴 引退 五輪6大会連続出場 3つメダル獲得

射箭古川贵晴退役连续六届奥运会斩获3枚奖牌

射箭古川贵晴退役连续六届奥运会斩获3枚奖牌
夏のオリンピックで日本選手最多に並ぶ6大会連続の出場を果たし、3つのメダルを獲得したアーチェリーの古川高晴選手が現役を引退することを発表し、「25年間、手を抜かずに努力し、成長し続けられたことが私の誇りだ」と、向上心を持ち続けた現役生活を振り返りました

弓箭手古川隆晴是日本运动员中连续参加六届夏季奥运会最多比赛并获得三枚奖牌的人,他宣布从现役体育界退役,他说:“25年来,我一直在努力工作,没有偷工减料。”我为自己能够继续成长而感到自豪,”他在回顾自己活跃的职业生涯时说道,他一直渴望进步。

弓箭手古川隆晴是日本运动员中连续参加六届夏季奥运会最多比赛并获得三枚奖牌的人,他宣布从现役体育界退役,他说:“25年来,我一直在努力工作,没有偷工减料。”我为自己能够继续成长而感到自豪,”他在回顾自己活跃的职业生涯时说道,他一直渴望进步。
アーチェリーの古川選手は青森県出身の40歳で、母校の近畿大学の職員として働きながら競技を続けてきました

古川弓箭 (Archer Furukawa) 是一位来自青森县的 40 岁男子,他在母校近畿大学工作期间一直坚持参加比赛。

古川弓箭 (Archer Furukawa) 是一位来自青森县的 40 岁男子,他在母校近畿大学工作期间一直坚持参加比赛。
オリンピックでは2004年のアテネ大会からこの夏のパリ大会まで日本選手最多に並ぶ6大会連続で出場を果たし、個人と団体で銀メダル1つ、銅メダル2つを獲得しました

从2004年雅典奥运会到今年夏天的巴黎奥运会,他已连续六届参加奥运会,是日本运动员参加奥运会最多的一次,在个人和团体项目上获得了一枚银牌和两枚铜牌。

从2004年雅典奥运会到今年夏天的巴黎奥运会,他已连续六届参加奥运会,是日本运动员参加奥运会最多的一次,在个人和团体项目上获得了一枚银牌和两枚铜牌。
21日、古川選手は東大阪市の大学で記者会見し、「自分が代表にいるよりも若い選手に譲ってもっと強くなってもらいたいと思った」と話し、今月下旬の全日本選手権を最後に現役を引退することを明らかにしました

21日,古川在东大阪市的一所大学举行记者招待会,他表示:“我不想进入国家队,而是希望将权力交给年轻球员,让他们变得更强。”他希望参加本月晚些时候的全日本锦标赛,并宣布退役。

21日,古川在东大阪市的一所大学举行记者招待会,他表示:“我不想进入国家队,而是希望将权力交给年轻球员,让他们变得更强。”他希望参加本月晚些时候的全日本锦标赛,并宣布退役。
そのうえで、「25年間、手を抜かずに努力し成長し続けられたことが私の誇りだ

他补充道:“我感到自豪的是,25 年来我一直在不断成长和奋斗,没有走捷径。”

他补充道:“我感到自豪的是,25 年来我一直在不断成长和奋斗,没有走捷径。”
支援してくれた方々のおかげで誇らしい成績を残せた

感谢所有支持我们的人,我们能够取得令人自豪的成绩。

感谢所有支持我们的人,我们能够取得令人自豪的成绩。
感謝の気持ちでいっぱい」と周囲への感謝の思いを伝えました

我充满了感激之情。”他说道,向周围的人表达了他的感激之情。

我充满了感激之情。”他说道,向周围的人表达了他的感激之情。
今後は、母校の近畿大学のコーチとして後進の指導に専念するということで「選手としての努力以上の努力をしたい

今后,他将在母校近畿大学担任教练,专注于教导年轻学生。

今后,他将在母校近畿大学担任教练,专注于教导年轻学生。
いつか教え子が金メダルを獲得したらそんなうれしいことはない」と指導者として歩む第2の人生のスタートを前に夢を膨らませている様子でした

“如果有一天我的一个学生赢得了金牌,我不会那么高兴,”他说,在开始他的第二次教练生涯时,他期待着自己的梦想。

“如果有一天我的一个学生赢得了金牌,我不会那么高兴,”他说,在开始他的第二次教练生涯时,他期待着自己的梦想。
恩師 近畿大学 山田監督「
古川は
努力の
選手 感謝している」
古川選手を入学当時から指導し続けた近畿大学の山田秀明監督は古川選手の肩に手を置き、「おつかれさん」とねぎらいのことばをかけました
山田監督は「ひとことで言えば、古川は努力の選手だと思う
夜の7時や8時まででも、誰よりも矢を射続けた選手だった
6大会も出たうえで、メダルを3つも取ってくれて感謝している」と話していました
古川選手の今後については「数年後には監督の座を譲りたいと考えている
そのためにも、高校の先生との信頼関係の構築から弓の調整にいたるまで、たくさん勉強してもらおうと思う」と自身の後任として育てていく考えを示しました