Logo
Luyện đọc
Bài học
Sổ tay
Từ điển
Thi JLPT
Video
Nâng cấp
Góp ý
Logo
Luyện đọc
Bài học
Sổ tay
Từ điển
Thi JLPT
Video
Nâng cấp
Góp ý
Todaii Japanese
Switch language – current: vi
Logo Japanese
[email protected]
(+84) 865 924 966
315 Truong Chinh, Ha Noi
www.todaiinews.com
DMCA.com Protection Status

Về Todaii Japanese

Câu chuyện thương hiệuCâu hỏi thường gặpHướng dẫn sử dụngQuy định & Chính sáchThông tin hoàn tiền

Hệ thống social

Logo facebookLogo instagram

Phiên bản ứng dụng

AppstoreGoogle play

Ứng dụng khác

Todaii German
Todaii English
Todaii Chinese
Todaii Korean
DMCA.com Protection Status

Bản quyền thuộc về công ty cổ phần công nghệ eUp

Copyright@2026

Từ điển

Chi tiết từ

于謹

523年(正光4年)、破六韓抜陵が乱を起こし、柔然がその反乱を支援すると、于謹は大行台僕射の元纂の下で鎧曹参軍事となり、柔然を攻撃した。柔然は北魏の大軍が迫るのを察知すると、塞外に逃げ出した。于謹は元纂の命を受けて2000騎を率いて追撃し、鬱対原にいたり、前後17戦して柔然

Từ liên quan

于

于」一字のみにしたという。 于定国 - 前漢の丞相。 于吉 - 後漢末の道士。 于禁 - 後漢末、三国時代の魏の武将。 于皇后(宣武順皇后)- 北魏の宣武帝の皇后。 于謹 - 北魏・西魏・北周の軍人。八柱国のひとり。 于志寧 - 唐の政治家。于謹の曾孫。 于謙 - 明の政治家。

謹呈

つつしんで物を差し上げること。 物を贈るときなどに用いる語。

謹慎

(1)言動を反省し, おこないをつつしむ・こと(さま)。 「~の意を表す」「しばらく~する」「性頗(スコブ)る~なれども/花柳春話(純一郎)」 (2)学校で, 生徒に与える罰則の一。 放校・退学・停学に次ぐ処分。 (3)江戸時代, 士分以上の者に科した刑罰の一。 住む所を定め, 入り口を閉鎖し, 自由な行動を許さなかった。

謹賀

つつしんでよろこびを申し述べること。

謹言

〔「つつしんで言う」の意〕 文書や手紙の終わりに書いて敬意を表す語。 「恐惶~」

謹聴

(1)つつしんで聞くこと。 また, 聞くことをへりくだっていう語。 拝聴。 「演説を~する」 (2)演説会などで静かに聞くことを促す語。 「~, ~」

謹厳

軽はずみなところがなく, まじめでおごそかな・こと(さま)。 「~に精神を保つて/良人の自白(尚江)」 ﹛派生﹜~さ(名)

謹製

つつしんで製造すること。 食品の製造者などが用いる語。

謹告

つつしんでお知らせする意で, 公示や広告の文章の冒頭に用いる語。

謹啓

〔「つつしんで申し上げる」の意〕 手紙の最初に用いる挨拶(アイサツ)の言葉。 拝啓。

謹書

つつしんで書くこと。 また, その書画。

謹直

つつしみ深く, 正直でまじめな・こと(さま)。 「~な人」「極めて~に働く/鉄仮面(涙香)」 ﹛派生﹜~さ(名)

謹む

〔「慎(ツツ)む」と同源〕 (1)あやまちのないように, 行動を控えめにする。 《慎》「軽挙妄動を~・む」「言葉を~・む」 (2)度がすぎないようにする。 《慎》「酒を~・む」 (3)神仏・貴人などの前でかしこまった態度をとる。 《謹》「~・んで承る」「余り~・み給て, 今は目も見せ給はねば/狭衣 4」 → つつしんで (4)斎戒する。 物忌みする。 「伊予の守の朝臣の家に~・む事侍りて/源氏(帚木)」

細謹

こまかなことに気を配ること。 「君家の存亡, ~論ずべき時にあらず/桐一葉(逍遥)」

薛謹

謹(せつ きん、401年 - 444年)は、後秦から北魏にかけての人物。字は法順。本貫は河東郡汾陰県。 薛弁の子として生まれた。容貌は魁偉で、史伝に通じた。 東晋の劉裕が後秦を滅ぼすと、薛謹は劉裕に召されて相府行参軍となった。まもなく記室参軍に転じた。 父の薛弁が北魏に亡命しようと、ひそかに薛謹

謹話

謹話(きんわ)とは、つつしんで話をすること。また、その話の内容のこと。 もとは、皇室に関することを述べる場合に、内閣総理大臣謹話(ないかくそうりだいじんきんわ)のように話し手の名前などのあとにつけて用いた語である。 衆議院議長謹話、参議院議長謹話、最高裁判所長官謹話、都道府県知事謹話などがある。

于禁

于 禁(う きん、? - 黄初2年(221年))は、中国後漢末期から三国時代の武将。字は文則(ぶんそく)。兗州泰山郡鉅平県(現在の山東省泰安市岱岳区)の人。子は于圭。『三国志』魏志「張楽于張徐伝」に伝がある。 黄巾の乱に際して同郷の鮑信が義兵を募った時に、それに参加した。

鮮于

鮮于を氏としたという。 ほかに丁零にも鮮于姓があった。五胡十六国時代に趙王を名乗った鮮于乞や、定州丁零の鮮于台陽などの名が史書に見える。 鮮于輔 - 三国時代の魏の軍人。 鮮于丹 - 三国時代の呉の軍人。 鮮于修礼 - 北魏の反乱指導者。丁零族。 鮮于世栄 - 東魏・北斉の軍人。 鮮于枢(中国語版)

于斌

(当時はまだ省になっていなかった)に生まれた。字は野声。于家の祖籍は山東省昌邑県の于家荘で、清朝末に、曾祖父の于文成は闖関東により黒龍江省にやって来た。于斌が6歳の時、父親の于水源は亡くなり、7歳の時に母親の蕭氏もこの世を去った。このため于斌は祖父母に育てられたが、生活は豊かではなく、彼もまた他の