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Từ điển

Chi tiết từ

麻部

で規定されている文字が含まれています(詳細)。 ウィクショナリーに麻部の項目があります。 麻部(まぶ)、(旧漢字:麻部)は、漢字を部首により分類したグループの一つ。 康熙字典214部首では200番目に置かれる(11画の最後6番目、亥集の14番目)。 「麻(麻)」字はアサ科の一年草であるアサを意味する。

Từ liên quan

南部麻子

ている。明治10年(1877年)、八戸小学校の建築に対し当時の金額で500円もの献金を行ったり、三八城神社の創建の許可を得るなど、八戸地域へ積極的な支援を行った。明治11年(1878年)5月17日に実弟の利克(利剛の十一男)に家督を譲り、隠居する。隠居後も和歌をたしなみ、明治末には和歌の団体「菊園会」を結成した。

丈部真麻呂

入集。なお、『万葉集』巻20には遠江国の丈部氏の氏人として、ほかに真麻呂と同じ山名郡の丈部川相、佐野郡の丈部黒当の記載がある。 時々の花は咲けども何すれぞ母とふ花の咲き出来ずけむ(万葉集20-4323) ^ 筑紫に赴く途中に詠んだ歌。袋井中学校(静岡県袋井市川井)に歌碑がある。 中西進訳『万葉集 全訳注原文付』講談社、1978年。

麻薬取締部

麻薬取締部(まやくとりしまりぶ/英:Narcotics Control Department)は、厚生労働省の地方支分部局である地方厚生局(地方厚生支局を含む)に設置されている部署である。主に麻薬捜査を専門に行っている。分室や麻薬取締支所といった形で設置もされている。麻薬取締官(いわゆる麻薬

阿部仲麻呂

日本宣教学会常任理事。上智大学大学院神学研究科(神学)、日本カトリック神学院(哲学・神学)、桜美林大学などの兼任講師を務める。 国際日本文化研究センター客員研究員(仏教学)。公共哲学京都フォーラム・コメンテーター(公共哲学)。サレジオ会士である。 1968年、東京都出身。1982年、カトリックの洗礼

川部酒麻呂

さかまろ、生没年不詳)は、奈良時代の人物。姓はなし。官位は外従五位下・松浦郡員外主帳。 肥前国松浦郡の人。天平勝宝4年(752年)遣唐使第4船の舵取として唐に渡る。天平勝宝6年(754年)帰国の途中、海上で強い順風が吹いていた所、突如船尾から出火して艫に燃え広がる火災が発生。この際、酒麻呂は舵を回して船首を風上に向け、すぐ傍に火が燃え広

卜部平麻呂

臣氏族とし、卜部嶋足あるいは卜部宮守の子とする系図もある。 幼い頃から亀卜(亀甲を焼くことで現れる亀裂の形(卜兆)により吉凶を占うこと)を習得した。神祇官の卜部となり、亀卜により義疑を決するにあたって能力を発揮したという。卜術に優れていたことから、承和5年(838年)の遣唐使に加わり入唐する。翌年

丈部稲麻呂

丈部 稲麻呂(はせつかべ の いなまろ、生没年不詳)は、奈良時代の防人。 駿河国の人物。天平勝宝7年(755年)2月、防人として筑紫に派遣された際、筑紫に向かう道中で父母を思い詠んだ歌が『万葉集』に1首入集。 父母が 頭かき撫で 幸くあれて 言ひし言葉ぜ 忘れかねつる [脚注の使い方] ^ デジタル版

丈部竜麻呂

の 命(みこと)恐(かしこ)み おしてる 難波(なには)の国に あらたまの 年経(ふ)るまでに 白たへの 衣(ころも)も干さず 朝夕(あさよひ)に ありつる君は いかさまに 思ひいませか うつせみの 惜(を)しきこの世を 露霜の 置きて去(い)にけむ 時にあらずして 訳:「天雲の

矢田部黒麻呂

斎食(さいじき、服喪の間の食事は午後は抜く)を16年続け、終始かかさなかった。そこで宝亀3年(772年)11月、天皇はその雑徭を免じて孝行を顕彰した、とある。。これは賦役令17の「孝子順孫条」によるものである。 礼記の定める斎食

麻

(1)クワ科の一年草。 中央アジア原産。 渡来は古く, 古代から重要な繊維植物として栽培されてきた。 茎は直立し, 1~3メートルになる。 葉は三~九枚の小葉からなる掌状複葉で, 各小葉は披針形で縁に鋸歯(キヨシ)がある。 雌雄異株。 初夏, 淡緑黄色の雄穂, 緑色の雌穂をつける。 雌株からは麻薬がとれる。 茎の靭皮(ジンピ)を繊維として利用する。 皮をはいだ残りは「おがら」と呼ばれる。 種子(麻の実)からは油をとり, また鳥の飼料などにする。 大麻(タイマ)。 ﹝季﹞夏。 (2){(1)}に似た長い繊維を持つ植物。 アマ(亜麻)・チョマ(苧麻)・コウマ(黄麻・ジュート)・マニラ麻・サイザル麻など。 (3)大麻・苧麻・亜麻・ジュートなどからとる繊維。 またその繊維で製した糸・布など。 大麻・苧麻など靭皮繊維からとるものとマニラ麻・サイザル麻など葉脈繊維からとるものがある。 強靭で用途は広く, 衣料・綱・網・梱(コウリ)包布などとする。 <i>~の如(ゴト)・し</i> (麻糸がもつれ乱れるように)ひどく乱れているさま。 「海内~・く乱れ, 群雄割拠するの世に至りて/日本開化小史(卯吉)」 <i>~の中の蓬(ヨモギ)</i> 〔荀子(勧学)〕 曲がりくねる蓬でも, 麻の中ではまっすぐに育つように, 人も善人に交わればその感化を受けて自然に善人になることのたとえ。

麻

あさ。 複合語として用いることが多い。 「真(マ)~木綿(ユウ)」「真~むら」「打ち~」

麻

(1)アサの古名。 「~の畠あり/宇治拾遺 12」 (2)アサやカラムシの繊維を紡いだ糸。 「~をよりて/土左」

倭文部可良麻呂

常陸国の人物。天平勝宝7年(755年)2月、防人として筑紫に派遣された際詠んだ長歌が『万葉集』に1首入集。 足柄の み坂たまはり 顧みず 我は越え行く 荒し男も 立しや憚る 不破の関 越えて我は行く 馬の蹄 筑紫の崎に 留居て 我は斎はむ 諸は 幸くと申す 帰り来まてに [脚注の使い方] ^ a b 『万葉集』20巻-4372

和邇部大田麻呂

貞観7年(865年)10月26日卒去。享年68。最終官位は雅楽権大允外従五位下。 『日本三代実録』による。 天長年間初頭:雅楽百済笛師 天長年間:唐笛師 時期不詳:雅楽少属。雅楽大属 斉衡3年(856年) 日付不詳:雅楽権少允 時期不詳:正六位上。雅楽少允 貞観3年(861年) 正月21日:外従五位下

吉弥侯部真麻呂

延暦14年(795年)5月)は、奈良時代の俘囚。位階は外従五位下。 称徳朝の神護景雲元年(767年)10月、伊治城の築城終了の行賞にあたっての天皇の勅により、狄徒を馴服させた功により、外従五位下から外正五位下に叙せられている。ただし、この真麻呂が、以下の記述の真麻呂と同一人物であるのかは不明である。かりに同一人物だ

学生麻雀部連合

学生麻雀部連合(がくせいマージャンぶれんごう)は、国内46大学の麻雀部が加盟する日本の学生団体。 創設者は、プロ雀士の永野彰一(早稲田大学)、現会長。 学生麻雀部連合は、2010年8月に早稲田大学競技麻雀部と電気通信大学競技麻雀部によって発足した。 「賭けない麻雀」を掲げて活動している。関東と関西に

麻雀格闘倶楽部

各種称号についてはプレーヤーパネルの下部に表示される形で登録が可能。 プレーヤーパネルに関してはキャビネットの種類を問わず、他プレーヤーにも設定した内容が表示されている。 プレー中に任意でカスタムのON/OFFが可能。彩の華以前はニューキャビネット、スタンダードキャビネット共に変更可能であったが、ZERO以降はプレ

丈部路祖父麻呂

無事届いた。なお、流罪・死罪は太政官で審議して、書類を天皇に回覧することになってもいた。 天皇は、以下のように詔した。 「人の五常(=仁義礼智信)を稟(う)くるに仁義斯(こ)れ重く、士の百行(はくかう)有るに孝敬(かうけい)を先とす。今、祖父麻呂ら、身を没(しづ)めて奴(やっこ)と為り、父が犯せる罪

飛鳥部奈止麻呂

飛鳥部 奈止麻呂(あすかべ の なとまろ)は、奈良時代の官人。氏姓は安宿公・百済安宿公・飛鳥戸造・安宿戸造とも。官位は正五位上・出雲掾。 飛鳥部氏は河内国安宿郡を本拠とするとみられる百済系渡来氏族で、百済の24代王である末多王(東城王)の末裔とする。東大寺写経所経師に、安宿公広成(百済飛鳥戸伎美。河内国安宿郡の人)が見える。