JLPT N1 – Reading Exercise 08
三歳の息子を育てている。子供の振る舞いには、とにかく驚かされることばかりだ。こちらの心に余裕があれば彼は天使のように穏やかだが、仕事に追われて私がピリピリしていると、途端に積み木を放り投げたり、わざと飲み物をこぼしたりする。私が大きなスーツケースをクローゼットから出すと、それが「別れ」や「変化」を意味することを本能的に察するのか、急に足元にしがみついて離れなくなる。彼は言葉以前のレベルで、私の精神状態や微かな行動の変化に即座に反応を示す。子供の立場に立って、そこから見える世界を想像してみると、大人が当たり前だと思っている世界の「確かさ」が、いかに脆いものであるかがあぶり出されることがある。
ある日、図鑑で深海の生物特集を見ていた時のことだ。ページには、恐ろしい形相をしたチョウチンアンコウや巨大なダイオウイカが映し出されていたが、息子はそれを見ても怖がる様子もなく、ただ指で紙の感触を確かめたり、横に置いてある使い古したミニカーを転がしたりしていた。
彼は時として、現実の音には敏感に反応する。外で救急車のサイレンが鳴ると、不安そうに「うーうー」と真似をして私の顔を覗き込む。散歩中に近所の犬が吠えれば、びくっとして私の背後に隠れる。しかし、テレビの中でいくら猛獣が吠えていても、あるいは爆発シーンが流れていても、彼はそれを「ただの光の点滅」としてしか捉えていないかのように、平然とおやつを食べている。一方で、画面の中で風船が飛んでいくシーンには、まるで自分の宝物を失ったかのように必死に手を伸ばす。彼にとっての世界の優先順位は、大人の論理とは全く別の場所にあるようだ。
そんな彼が、絵本の中では親しげに語りかけているキリンやゾウの本物の映像を見ても、全くの無関心である。それが私にはとても _______ に映った。
彼は、この世界に「野生」という概念があることを知らない。弱肉強食も、絶滅危惧種という言葉も知らない。会ったことがないのだから。彼は目の前の公園の砂場と、毎日通う保育園の道は知っているが、国境や地図、経済といった概念は知らない。ましてや戦争など。世界が丸いことも、海の向こうに自分とは違う言葉を話す人々がいることも知らない。
でも、大人の私は本当にそれを「知っている」のだろうか。
私がもし「アフリカを知らない」と言ったら、多くの人が笑うだろう。いつ、どのように自分がその大陸の存在を認識したのか、明確な記憶はない。教科書で形を覚え、映像で広大な草原を見せられ、知識として脳に蓄積されたに過ぎない。つまり私は、他人が作った情報を受け取ったがゆえに、「世界を知っている」と錯覚しているだけではないのか。
私は、砂漠の本当の熱さを知らない。北極の氷が溶ける音も知らない。
知っているのは、いま隣で私の指を握りしめている息子の手が、温かいということだけだ。