JLPT N1 – Reading Exercise 27
我が校の生徒は特別に優秀というわけではないが、むやみに騒ぐことはない。これは校風というものである。もうひとつ、いじめが起きない。これは外部から招いたカウンセラーによる指導の成果である。多感な時期なので、一度人間関係が壊れれば取り返しのつかない事態になってしまう。
カウンセラーは三十代の男性で、いつも古びた自転車に乗ってやってきた。指導時間は週に三回、各一時間である。数ヶ月経っても一向に教室の空気が変わらないので、いつになったら指導は終わるのですか、と尋ねた。彼は「集団の中での『責任の所在』がはっきりしたら」と説明する。責任の所在ねえ、どういうことかな、とさらに質問すると、「クラスのリーダー格の子がまだ……」と言う。
数年前のことなので、その生徒は中学生である。体格的には大人とさほど変わらない。クラスの生徒たちは、まず私という担任に、次に学級委員のしっかり者の女子に協力する姿勢を見せた。だが、そのリーダー格の男子は、水面を漂う海藻のようにフラフラとしている。授業中もぼんやりしている。放課後もただ時間を潰しているだけだ。両者は「自由」と「無責任」の間で足の引っ張り合いを演じたまま、一向にクラスの方針が決まらないらしい。
人間は集団の中での役割に敏感なのだ。(中略)
男性カウンセラーが説明した。生徒を尊重しているつもりでなんでも自由にさせ、結果として教室が崩壊してしまった教師がいた。規律を緩めれば自分勝手になるだけ、自分が一番偉いと勘違いして周囲を軽んじた結果である。人間は常に相互の距離を測りながら役割を確認しているから、ルールが明確であれば無用な衝突は起きない。相手が正当な権限を持っているとわかれば、無闇に反抗しない。秩序が乱れれば互いに損をし、厳しい社会生活の中では孤立してしまうからだ。
さすがに自覚の足りなかったその男子生徒も、ある日、行事の失敗で手痛い教訓を得て、自分の果たすべき役割を自覚し、平穏なクラス運営が始まり、長引いたカウンセラーの指導は終了した。
学校から教訓を得たわけではないが、社会全体でも「建前」としての構造がないと混乱が始まる。リーダーの権威の喪失が深刻なところまで来たのは、伝統的な規範を否定しすぎた結果でもある。かつては年功序列で、若者の意見は顧みられず、個人の自由は二の次という、極端なものだった。そういう状態を復活せよ、と述べているのではない。
若者がもっと意見を言える環境は整えたほうがよいし、多様性を認めることには大賛成である。個性を尊重すべきだ。だが自由という言葉を履き違えてはいけない。社会は、ある種の手順を必要とするシステムに似た面がある。決断を下すリーダーの責任感、全体を支えるフォロワーの協力心まで削り取ってはいけない。船頭がいれば漕ぎ手がいるように、それらしく役割を演じ分けたほうがよい。頻発する組織の不祥事が、構造的な役割の喪失と無縁ではないからである。