ケンタッキー州ジェファーソン郡保安官事務所が作成した行方不明者チラシには、3歳当時のミシェル・ニュートンさんが水兵風の服を身にまとい、満面の笑みを浮かべてカメラに向かう姿が掲載されていた。このチラシには「ミシェルさんは母親によって連れ去られた」と明記され、事件の深刻さがうかがえる。
現在46歳となったミシェル・ニュートンさんは、長年にわたる苦難を経て、ようやく癒やしへの道を歩み始めている一方で、母親であるデブラ・ニュートン被告は監護権侵害の罪に問われている。事件は1983年春、デブラ被告が「新しい職を得て家族のための新居を整える」と主張し、ケンタッキー州からジョージア州へと転居したことに端を発する。父親のジョセフ・ニュートンさんは、当時娘を必死に捜索していたが、ジョージア州に到着した時にはすでに母娘の姿は消えていたという。
保安官事務所によれば、1984年から85年にかけて両親の間で最後の通話があったものの、その後母娘は消息を絶った。監護権侵害の訴追が速やかに行われたが、事件はやがて連邦捜査局(FBI)の「親による誘拐」最重要指名手配リストにも加えられることとなった。しかし2000年には、父親と連絡が取れなかったことを理由に事件は一度棄却され、2005年には不正確な情報を根拠として監護権侵害の訴追も取り消された。ミシェルさんも全米行方不明児童データベースから削除されるに至った。
転機が訪れたのは2016年であり、親族の一人が再調査を促したことにより事件は再び動き出した。今年、66歳となったデブラ被告がフロリダ州マリオン郡で別の名前を名乗って生活していることが判明した。匿名の情報提供を受け、最新の写真と1983年当時の写真が比較され、DNA鑑定の結果、フロリダ州の女性とデブラ被告の姉妹のDNAが99.9%一致したことから、身元が特定された。
警察が自宅を訪れた際、ミシェルさんは自分が行方不明者であり、本名がミシェル・マリー・ニュートンであると告げられ、衝撃を受けたという。その後、彼女は自身の本当の家族について知り、ジェファーソン郡保安官事務所に連絡した。保安官事務所幹部のヒーリー氏によれば、ミシェルさんは「失われたものの大きさを初めて実感し、自らが被害者であったと気づいた」と述べている。
父親のジョセフさんは「娘は常に心の中にいた」と語り、40年ぶりに再び娘を抱きしめた瞬間は言葉では表現しがたいと感慨を示した。ヒーリー氏は声明の中で、40年以上を経て事件解決に至ったことは、保安官事務所の「助けを求める家族を決して拒まない」という伝統的な理念と、卓越した捜査活動の賜物であると強調した。また、勇気ある情報提供者の重要性についても触れ、「一本の通報が人生を変えることを証明した事件である」と述べている。
デブラ被告は保釈金を支払った親族とともに出廷し、ケンタッキー州の法律に基づき監護権侵害の罪で訴追された。なお、同州ではこの種の重罪には時効が存在しない。法廷にはミシェルさんとジョセフさんも同席し、ミシェルさんは「どちらか一方を責めるつもりはなく、両親双方を支え、この困難な状況を乗り越え、全員が癒やされることを願っている」と述べ、家族再生への意志を示した。