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長嶋茂雄さんが、3日、亡くなったことを受け、深い師弟関係を築き、巨人や大リーグで活躍した松井秀喜さんが4日朝早く、アメリカから帰国し長嶋さんの自宅に弔問に訪れて「私に授けてくれた全てにありがとうございますと伝えさせていただきました」と話して恩師の死を悼みました。
松井さんは、1992年のドラフト会議で巨人を含む4球団から指名され、この年のオフに12年ぶりに監督に復帰した長嶋さんみずからがくじを引き交渉権を獲得し、巨人に入団しました。
その後、松井さんは「4番1000日計画」と銘打った計画のもと長嶋さんから英才教育を受けて球界を代表する強打者に成長し、監督と選手として9シーズンを過ごしました。
大リーグ、ヤンキースに移籍後もその師弟関係は続き、松井さんは日米通算507本のホームランを打つ球史に残る強打者となり、引退後の2013年にはそろって国民栄誉賞を受賞しました。
松井さんは長嶋さんが3日亡くなったことを受けて、4日朝早く、生活の拠点を置くアメリカから羽田空港に帰国しました。
スーツに黒のネクタイ姿の松井さんは午前5時ごろ、都内の長嶋さんの自宅へ弔問に訪れ、恩師の死を悼みました。
松井さんは報道陣の取材に応じまず訃報を聞いた際の心境について「ショックでした」と話しました。
そのうえで、「一番は感謝だけです。監督との出会い、縁がなければ松井秀喜という野球選手は違った野球人生だったと思う。私に授けてくれたすべてにありがとうございますと伝えさせていただきました」と思いを述べました。
そして今後に向けて「私にたくさんのことを授けてくれましたが、今後どのように次の世代に継承していくのか形は見えないが長嶋監督と生前、約束したこともあるのでここでは話せないがその約束は果たしたいと思う」と話しました。
【主な一問一答】
午前4時57分に長嶋さんの自宅を訪れた松井さんは、2時間あまりの弔問を終えたあと、報道陣の取材に応じました。主な一問一答です。
Q 長嶋さんとどのような時間を過ごされたのか?
A (長嶋)三奈さんが「2人きりでお話してください」と。2人きりでずっといろんな思い出を呼び起こしながらずっと過ごしていました。
Q 長嶋さんはどのような様子だった?
A 今にも目をあけそうなぐらい。意思のあるというふうに感じました。
Q 松井さんからはどのようなことばを?
A たくさんありすぎて今、説明しきれないぐらい話させていただきました。一番は感謝だけです。監督との出会い、縁がなければ松井秀喜という野球選手は違った野球人生だった。ご縁であのときドラフトのときですね。私を引いて下さった。まずそのスタートのことを思い浮かべて。その後の2人の時間と私に授けて下さったすべてにありがとうございますと伝えさせて頂きました。
Q 長嶋さんはどのような存在?
A ひとことでこういう存在でしたという表すのは難しいと思います。長嶋さんは1人なんですけど、私からするとたくさんの顔を持つ方なんです。それぐらいいろんな意味でたくさんのものを与えてくださった。そういう意味でたくさんの顔を持つ、顔を持つというのはおかしいですかね。そういう存在でした。
Q 一番の思い出は?
A 一番は難しいですね。本当にいろんな長嶋さん、いろんな監督の場面、監督と選手として、また監督をおやめになったあとも私はまだ選手を続けていた時の関係性もありますし、引退したあとの関係性、そのときそのときいろんな関係性があったので。難しいですね、ことばにするのは。
Q ふだんの松井さんは素振りをした時間が念頭に上がっていたと思うが。
A 長嶋監督といろんな時間を共有させてもらってその時その時。やっぱり素振りで会話した。素振りを通じて、野球選手としての大事な部分を授けて下さった。一松井秀喜という野球選手にもっとも大切なことを授けてくれましたし。そのことは一番幸運でもあり、一番感謝している部分でもあります。
Q どのような形で長嶋さんの意志を受け継いでいきたい?
A 私にたくさんのことを授けて下さいました。今後どういう形でまた次の世代に継承していくか、はっきりとした形は見えませんが、長嶋監督と生前約束したこともありますので、ここでは今はお話できないが、その約束は果たしたいなと思う。
Q 直近でお会いしたのはいつですか?
A 1月ですね。ことしの1月の上旬に帰国する機会があってその時にお会いしたのが最後ですかね。
Q 知らせを聞いたときは?
A もうショック。ショックというか、ちょっと、ショックでしたね。