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單字詳情

融州

南朝梁の大同年間に設置された東寧州を前身とする。東寧州は斉熙郡・黄水郡を管轄した。 589年(開皇9年)、隋が南朝陳を滅ぼすと、東寧州の属郡は廃止された。598年(開皇18年)、東寧州は融州と改称された。融州は義熙・臨牂・黄水の3県を管轄した。606年(大業2年)、融州は廃止され、その管轄区域

相關單字

融

能の一。 世阿弥作。 五番目物。 古名「塩竈(シオガマ)」。 旅の僧が六条河原の院の廃墟で休んでいると, 汐汲みの老人が現れ, ここは源融(ミナモトノトオル)が奥州塩竈の地を模して作った庭であると語り, 景色を賞し, 古事を語って消え失せる。 僧がまどろむと, 夢に融大臣が現れて舞い, 夜明けとともに消える。

融

⇒ 源融

融解

(1)とけること。 とかすこと。 (2)(加熱または圧力変化によって)固体が液体となる現象。 溶融。 ⇔ 凝固

融点

融解の起こり始める温度。 固体と液体とが平衡を保って存在する温度。 純粋な物質の融解点は, 一定の圧力のもとでは一定。 融解点。 ⇔ 凝固点

融剤

融解を促進するために加える物質。 化学分析や冶金・窯業などで用いる。 アルミニウムの電気精錬の際, 難溶融性のアルミナに加える氷晶石など。 フラックス。

融化

とけて変化すること。 とけ合って一つのものになること。 「自然。 人生。 神。 悉く吾に在りて~する処を得たると信ず/欺かざるの記(独歩)」

融く

〔「とく(解)」と同源〕 ※一※ (動カ五[四]) (1)かたまっていた物に液体を加えて液状にする。 とかす。 「小麦粉を水で~・く」「粉末を水に~・く」 (2)かきまぜて液状にする。 ほぐす。 「卵を~・く」 ‖可能‖ とける ※二※ (動カ下二) ⇒ とける

融氷

氷がとけること。

融和

うちとけて仲よくすること。 「次第に感情を~させられて/雁(鴎外)」

特融

特別に融資すること。

融合

とけあうこと。 とけて一つになること。 「二つの金属を~させる」「核~」

融資

資金を融通して貸し出すこと。 「銀行から~してもらう」「~を頼む」

熔融

「融解(ユウカイ)」に同じ。 「銅が~する」

溶融

「融解(ユウカイ)」に同じ。 「銅が~する」

金融

金銭の融通。 資金の需要と供給との関係。 金の流れ。

祝融

 312–313. ISBN 978-4-469-01261-3。(項見出しp312) ^ 「南方祝融,獸身人面,乘兩龍」 山海經 海外南經 ^ 「當其末年也,諸侯有共工氏,任智刑以強霸而不王,以水乘木,乃與祝融戰,不勝而怒。乃頭觸不周山崩,天柱折,地維𡙇」 三皇本紀 ^

孔融

の兄の孔褒と旧知の間柄であったため、孔褒を頼って逃げ込んだ。しかし生憎、孔褒は留守であった。孔融だけ居たが、その時まだ16歳であったため、張倹は侮って事情を話さなかった。孔融は困り切った張倹の様子を見て「兄は出かけていますが、私でもお相手ができないわけではありません」と言って引きとめた。その後、事が

笮融

広げたが、ついに敗北して逃走し、最後は付近の住民に捕らえられ殺されてしまった。 小説『三国志演義』では、笮融は劉繇の部将の一人となっており、史実の暴虐非道振りは全く影を潜めている。それどころか、孫策との戦いで敗走したために、劉繇に処刑されそうになった僚友の張英を弁護したりしている。しかしついには、孫

源融

源 融(みなもと の とおる)は、平安時代初期から前期にかけての貴族。嵯峨天皇の第十二皇子 (嵯峨第十二源氏)。嵯峨源氏融流初代。河原院、河原大臣と呼ばれた。 仁明朝の承和5年(838年)元服して正四位下に直叙され、承和6年(839年)侍従に任ぜられる。仁明朝末の承和15年(848年)右近衛中将に