JLPT N1 – Reading Exercise 64
現代社会では、「創造性の育成」が教育現場で強く求められている。子供たちに「独自の発想力」や「新しい価値を生み出す力」を身につけさせようと、保護者や教師が熱心に取り組んでいる。子供の立場からすれば、創造的であることを押し付けられているとも言える「1」状況だ。
しかし、本当に「創造性」とは何なのか、教える側も学ぶ側も、十分に考え抜いているだろうか。
そもそも、何をそんなに新しく生み出す必要があるのか。
私はここ数年、アートワークショップ(体験型の美術教室)を年間百回以上、全国各地で開催してきた。美術教育の専門家ではない私にこのような依頼が相次ぐのも、創造性教育の流行の一端だろう。
ただ、私がそうした場で子供たちに感じてほしいのは、技術的な巧拙よりも、「2」「未知と向き合うことの困難さ」だった。どうすれば独創的な作品ができるかではなく、自分の考えが他者に受け入れられないという痛切な経験を、まず第一に味わってほしいと考えてきた。
高校の美術部を指導して全国を回っていると、生徒の作品の多くが「自分の意図が他者に伝わる」ことを前提に制作されていることに気づく。
私は、創作を志す若者に、「3」芸術を生み出すとは、手紙を書くようなものだと説明する。「私はこう考えているのに、なぜあなたには伝わらないのか」という地点から、私たちの創造は始まる。もし完全に分かり合えるのなら、手紙など書く必要はないはずだ。
日本はもともと、安定した共同体の中で、「調和を重んじる文化」を築いてきた。誰もが顔見知りで、似た価値観を持っていれば、相手の気持ちを察しながら小さな社会を維持するための表現が発達するのは当然だ。それは日本独自の美点であり、否定すべきことではない。
明治以降の近代化も、価値観の多様化よりは、国家の大きな目標に従い、価値観を一つにまとめる方向が重視され、教育や社会制度も「4」このように設計されてきた。均質な社会は、急速な近代化には適していた。日本は明治の近代化と戦後復興という二度の奇跡を成し遂げた。
しかし、今や私たちは大きな国家目標を失い、個人がそれぞれの価値観で生き方を選択しなければならない時代に入っている。このような社会では、価値観を一つにまとめるよりも、異なる価値観をそのまま認め合い、どう調整して共同体を維持するかが重要な課題となる。
今、「5」創造性が重視されるのは、ここに理由がある。「調和の文化」から「多様性を認める文化」への転換を図ろうとしているのだ。しかし、ここに一つの落とし穴がある。
創造性とは、単なる技術や奇抜さのことではない。やみくもに新しいことを追い求めても、本当の意味で独創的になるわけではない。
自己と他者が根本的に異なる存在であること。人は一人ひとり異なる価値観や経験、表現手段を持っているということを、痛みを伴って理解している者だけが、本当の創造の領域に到達できるのだ。