JLPT N1 – Reading Exercise 97
自己のアイデンティティの役割は、心理学の教科書的には、社会の中で自分が何者であるかを一貫して認識することだと説明される。ある日突然、過去の記憶や他者とのつながりをすべて失ったことを考えると、それはよくわかる。自己についての教科書的な説明は、だから個人の性格や経歴といった要素そのものの具体的な説明である。しかし脳にとっての自己情報の役割は、個々のエピソードが果たす役割とは、違うはずである。脳はそうした断片的な情報の共通の処理装置でもあるからである。現代人の自己情報が脳で究極的に処理されて生じる、もっとも重要なことはなにか。
私はそれを自己像の構築だと考える。われわれはだれでも、ある特定の「自分」という枠組みを持っていると思っている。その世界では、SNSで批判されれば傷つき、その痛みはしばらく残る。スマートフォンの画面をすこし操作すれば自分の趣味のコミュニティがあり、そこでは見知らぬ人々が共通の話題で盛り上がっているのを見ることができる。そこから別のアプリに移動すれば、全く異なる価値観を持つ人々の議論に触れることができ、設定をすこし変えれば、また別の自分を演じられることがわかっている。
こうした身のまわりの自己像は、デジタルツールを使わない人々でも多かれ少なかれ、持っているはずである。たとえば私の祖父も、自分の生きる範囲で自己をそれなりに把握している。それはどうやら近所の老人会とテレビのニュースの範囲内らしい。そこまでは熱心に参加しているのを見ることがあるが、それ以上のネット上の流行などには、興味を示したことがないからである。この祖父にスマートフォンを持たせて、祖父の知らない情報空間へ連れ出そうとすると、ひどく混乱し、元の静かな生活へと逃げ帰ってしまう。
単純な自己像の一つとして、**「1」アルゴリズムによる選別**を挙げることができる。ネット上の検索エンジンは、特定のキーワードに反応して、その個人の関心を表示する。特定の情報の閲覧頻度が上がることは、その個人がその対象に執着している可能性を意味するからである。そこに「いいね」というわずかな反応が加わると、アルゴリズムは関連情報を次々と提示する。うまく提示されれば、利用者はその情報の渦に埋没する。そこが自分の好みに合う場所であり、あとは承認欲求が満たされれば、利用者は直ちにその空間に依存し始める。(中略)このように、個体がそれぞれの限られた情報源から、自己の心理的安定に必要な自己像を作っているであろうということは、情報の生態学的な観点からも説明できることである。
われわれ現代人が持っている自己像は、はるかに複雑である。しかしそうした自己像ができあがるについては、アルゴリズムの場合と根本的には同じように、そこにさまざまな情報入力があったはずである。それらの入力は、脳で処理され、しばしば保存される。ネットで検索したことも、情報としての入力である。誰かの投稿を読めば、文字として目から入ってくる。これは視覚系からの入力である。動画を見れば、聴覚と視覚から同時に入ってくる。こうしてデジタルデバイスから入るものを通して、われわれは自分が何者であるか、その像を作り出し、把握しようとする。
このようにして把握された自己は、個人の内面だけに閉じたものではない。ヒトはさらにネットワークを作り出す。言い方を変えれば、ネットワークはそうした自己像を、できるだけ共通のクラスタとしてまとめようとするものである。あるコミュニティの中では、人々はしばしば特定の価値観に対する好みを共有している。だからその集団は、共通の正義を持ち、人々はしばしば共通の反応を示す。同じハッシュタグの下では、参加者どうしはそうした自己像が一致している場合が多い。さもないとお互いに違和感を抱いたり、炎上したりする。特定の自己像を構成し、それを維持し、発展させること、それがデジタル社会とサイバー文化の役割である。ネットワークはじつは**「2」**である。