変異へんいウイルス拡大かくだいのインド「ははおそったコロナは全然ぜんぜんちが

Easy Japanese news
Jun 15, 2021 18:06 0
Furigana
Japanese newspaper
インド・ニューデリー。

86さいはははもうすぐわたし誕生たんじょう一緒いっしょいわのをたのしみにしていました。

しかし新型しんがたコロナウイルスに感染かんせんしてくなりました。

わたしたちきょうだい8にん養子ようしとしてむかえ、力強ちからづよきてきたはは

ほとんど外出がいしゅつすることもなく消毒しょうどく対策たいさく徹底てっていしていたのに…。

変異へんいウイルスが猛威もういをふるったインドでははくした、40だい女性じょせい証言しょうげんです。

取材しゅざいおうじてくれたのはインド・ニューデリーに伊東いとうめぐみしんさん(45)です。

ことし5つきははの陪こう(ますえ)さん(86)を新型しんがたコロナウイルスでくしました。

8にん養子ようしははとして

はは東京とうきょう出身しゅっしん

途上とじょうこく農業のうぎょう指導しどうおこなっていたちち二三夫ふみおさん・86)と一緒いっしょにラオス、バングラデシュをて、1970年代ねんだいにインドへわたりました。

ちちははどもさずかりませんでした。

8にんども養子ようしとして迎え入むかえいれ、育て上そだてあげました。

わたし生後せいご3か月かげつのときに、最初さいしょどもとしてバングラデシュの孤児こじいんから迎え入むかえいれられました。

伊東いとうめぐみしんさん

どもおもで、1ねんに10かいある家族かぞく誕生たんじょう毎回まいかいお母おかあさんがおいしく、おおきくきれいケーキんです。みんなあさからたのしみにしていました」

変異へんいウイルスきゅう拡大かくだい 連日れんじつ40まんにん以上いじょう感染かんせん確認かくにん

家族かぞくおだやからしかげとしたのが新型しんがたコロナウイルスです。

インドではこのはるから感染かんせんりょくつよ変異へんいウイルスがきゅう拡大かくだいしたのです。

5つき上旬じょうじゅんには連日れんじつ40まんにん以上いじょう感染かんせん確認かくにんされ、事態じたい深刻しんこくしました。

自宅じたくにこもっていたのに…

ちちはは感染かんせんふせため、自宅じたくにこもりました。

日課にっかだった散歩さんぽはやめる。

買い物かいものにもかない。

デリバリーでとどいたものは消毒しょうどくしてからなど細心さいしん注意ちゅういはらっていました。

しかしははが4月末げつまつからせきがはじめたため検査けんさしたところ、5つき4にち両親りょうしんともに感染かんせん判明はんめいしました。

当時とうじ、ニューデリーは感染かんせん拡大かくだいがピークとなっていました。

いている病床びょうしょうは、なかなかつかりませんでした。

それでも2にちに、100キロ以上いじょうはなれた病院びょういんにようやく入院にゅういんできました。

伊東いとうめぐみしんさん

最初さいしょ病院びょういんほうあぶないんじゃないか、元気げんきなときでも時々ときどきせきはていたからすぐなおんじゃないかとおもって自宅じたくやすんでいたんです。でもどんどんひどくなって、せきこむばかりになってきて」

本人ほんにんくるしくて『むねいた』ってし、ニューデリーちゅう病院びょういん自分じぶんたちでたったけど全部ぜんぶダメ。普段ふだんはすぐに病院びょういんにかかれるのに『なんで?』って」

病院びょういんから突然とつぜん医療いりょうよう酸素さんそがなくなる”

入院にゅういんから2にち

病院びょういんから突然とつぜん医療いりょうよう酸素さんそがなくなるとげられました。

しかたなくわたしたちできゅうきょさがした115キロはなれたべつ病院びょういん転院てんいんすることになりました。

このときおもらぬ事態じたい巻き込まきこまれます。

転院てんいんさき病院びょういんかう道中どうちゅうははせた救急きゅうきゅうしゃとトラックが衝突しょうとつしたのです。

事故じこ処理しょり時間じかんがかかり、救急きゅうきゅうしゃなかで、医療いりょうよう酸素さんそ一時いちじりなくなってしまいました。

伊東いとうめぐみしんさん

救急きゅうきゅうしゃなかお母おかあさんは、付き添つきそっていたおとうとにしがみついてあばれて『たすけて』ってったらしいんです。お母おかあさんひとにしがみつくようなひとではない、そのときはよっぽどくるしかったんだとおもいます」

自宅じたくからってきていた予備よび酸素さんそ使つかって吸入きゅうにゅうつづけました。

でも転院てんいんさき病院びょういん到着とうちゃくしたときには、はははすでに意識いしきうしなっていました。

感染かんせんから9にち死亡しぼう 火葬かそうテレビ電話でんわ

回復かいふくしたら我が家わがやもどりたい」

そうかたっていたはは

感染かんせんがわかってから9にちくなりました。

ケーキいてみんないわおう。

そうってたのしみにしていた、わたし誕生たんじょうの2にちまえでした。

はは病院びょういんちかしず火葬かそうされました。

感染かんせん対策たいさく火葬かそう立ち会たちあえたのはおとうとだけでした。

ちちわたしおとうと撮影さつえいしたテレビ電話でんわ見送みおくことしか出来できませんでした。

伊東いとうめぐみしんさん

おとうとだけが立ち会たちあったんで、わたしはテレビ電話でんわはいになるまでなん時間じかんじっとていました。はは持病じびょうはなく、あれだけルールまもって生活せいかつしていたにもかかわらず、なぜコロナにおそわれたのか。なぜコロナにてなかったのかその気持きも乗り越のりこえることはできません」

去年きょねんかかったコロナとはまるでちが

じつわたし去年きょねんなつ新型しんがたコロナに感染かんせんしていました。

でもくなったははくるしむ様子ようすて、変異へんいウイルスが拡大かくだいしているいまは、そのときの自分じぶんとはあきらかちがかんじました。

伊東いとうめぐみしんさん

わたしときは、1かいだけねつが375ふんまであがったけどすぐがって、からだのいたいちにちえました。『コロナって、この程度ていどならたやすいじゃないか』とおもったんです。でも今回こんかいははおそったコロナは全然ぜんぜんちがっていて、まったくべつ病気びょうきなんじゃないか、病名びょうめいえたほうがいいんじゃないかとおもいました」

一方いっぽうははとともに感染かんせん確認かくにんされたちち入院にゅういんしました。

2週間しゅうかんほどでなんとか回復かいふくしましたが、治療ちりょうつづいていたためはは見送みおくことはできませんでした。

伊東いとうめぐみしんさん

お母おかあさん入院にゅういんしようとしたときは、病院びょういんはまったくがなくてひとであふれていました。でも当時とうじ患者かんじゃみんなんでいなくなった』とって、そのいたところにお父おとうさん入院にゅういんできたんです。なんともえない気持きもです」

2週間しゅうかん家族かぞく親戚しんせき11にんひろがり、ははいのちうばった新型しんがたコロナ。

はは感染かんせん経路けいろ見当けんとうがつかず、そのこわさをかんじています。

伊東いとうめぐみしんさん

えない、姿すがたもにおいもない、かげもない。だけどなにかの隙間すきまから入り込はいりこんでおそってくるようなかんまるで毒ガスどくがすのようにかんじました」

わたしたちは自分じぶんたちでできることは全部ぜんぶやったとおも。コロナに感染かんせんしてしまったらしょうがない。とにかくはやことが大事だいじとしかいようがないです」

取材しゅざい:千葉ちばきょく 記者きしゃ 金子かねこひとみ)

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