16日夜9時前、日本からミャンマーに帰国するためチームメートとともにバスで関西空港に到着しましたが、支援にあたっている弁護士などによりますと、搭乗手続きをしたあとの出国審査で帰国を拒みチームを離れました。
そして、今後については日本の出入国在留管理庁に難民認定を申請する意向を示しているということです。
ピエ・リアン・アウン選手は、5月28日に千葉市で行われたサッカーワールドカップアジア2次予選の日本対ミャンマーの試合前、国歌斉唱の際に3本の指を立て、祖国でことし2月に起きたクーデター後、市民への弾圧を続ける軍に対する抗議の意思を示していました。
ミャンマー代表は来年のサッカーワールドカップカタール大会に向けたアジア2次予選のため5月22日に来日しました。
日本との試合後、大阪に移動して6月11日にキルギス、そして15日にタジキスタンと対戦し16日夜遅くの便で帰国の途につく予定でした。
そして、支援にあたっている在日ミャンマー人と抱き合うなどしたあと報道陣の取材に応じました。 この中でピエ・リアン・アウン選手は一連の行動を振り返り「出発ロビーで支援者に帰国のあいさつをしたが、出国審査場で『最後の最後まで頑張る』という気持ちが出た。勇気を出して審査官に英語で『ミャンマーに帰りたくない』という意思表示をした」と話しました。 そして帰国しなかった理由について「帰国すれば自分の安全と命が危ないので日本に残ることを決めた。ミャンマーの状況が変わるまでは日本に滞在したい」と述べました。 その一方で、自分の行動によってチームのメンバーや家族に迷惑がかかったり、危険が及んだりするかもしれないことを心配していると複雑な胸の内を語りました。 さらに先月の日本との試合前、軍への抗議の意思を示す3本の指を立てたことについては「当時、3本指を立てるのはとても勇気が必要で心配で不安だらけだったが今はそうした気持ちはない。これからミャンマーのことを多くの人に伝えていきたい」と述べました。
ミャンマー代表のゴールキーパーとして、日本で行われているサッカーワールドカップアジア2次予選に参加していました。 2012年にミャンマー第2の都市マンダレーを拠点とする国内リーグのヤダナボンFCに加入し、おととしからミャンマー代表に選ばれるようになりました。 今月行われたNHKのインタビューで、ピエ・リアン・アウン選手はミャンマーでことし2月に起きた軍によるクーデターのあと、仲間とともに最大都市ヤンゴンでの抗議デモに参加するなどしていたと話しました。 さらに今回、日本に遠征する代表チームのメンバーに選ばれたあとも試合の前後に何らかの方法で軍への抗議の意思を示そうと、ミャンマーにいた時から考えていたことを明らかにしていました。
3本の指を立てた日本戦の翌日、ピエ・リアン・アウン選手は代表チームの幹部に呼ばれ「何も心配せず日本での残り2試合に集中するように」とことばをかけられ、非難や叱責をされることはなかったと言います。 ただ、インタビューでは「私は軍を信用していない。帰国したら空港で逮捕することもできる。その場で逮捕しなくても猶予を与え1、2週間してから逮捕しに来ることもありうる。ミャンマーに帰るとなると、どこかに身を隠して遠くにいることでしか安全ではいられないと思う」と話し、帰国した場合、軍に何をされるか分からないという懸念を示していました。 その一方で「自分が行ったことは自分で責任をとる。自分がやったことの結果は引き受ける。でも、自分のせいで関係ない人が被害にあってほしくない」とも述べ、家族や友人を案じる気持ちとともに、その時は処罰を覚悟のうえで帰国する考えも示唆していました。
そして先月28日、千葉市で日本と対戦したあと大阪市に移動し6月11日にキルギス、15日にタジキスタンとそれぞれ対戦しましたがいずれも敗れ、2次予選での敗退が決まりました。 ミャンマーでことし2月にクーデターが起き軍による市民への弾圧が続く中、軍に抵抗して拘束されたり代表チームへの参加を辞退したりした選手もいますが、今回招集に応じ来日した選手たちに対しては「国ではなく、軍の代表だ」などと批判する声も、市民や在日ミャンマー人から上がっていました。 それでも日本戦の前の国歌斉唱の際、ピエ・リアン・アウン選手が軍への抗議の意思を示す3本の指を立てた行為はSNSを通じて拡散し、市民の間で共感とともに選手の安全を守る必要があるという声が上がっていました。 FIFA=国際サッカー連盟などで作る「国際サッカー評議会」が定める競技の規則では、試合などで競技者は政治的、宗教的または個人的なスローガンやメッセージ、あるいはイメージを見せてはならないとしていますが、今のところ選手への処分などは発表されていません。 一方、6月9日にはチームの用具担当を務める29歳の男性スタッフが大阪市内のホテルの部屋で死亡しているのが見つかりましたが、日本サッカー協会によりますと、事件性はなく病死とみられるということです。
申請者は原則として近くの出入国在留管理庁の施設に出向いて必要な書類を提出しなければなりませんが、審査で申請が認められれば難民としての保護を受けて日本で生活することができます。 しかし、日本で去年1年間で難民と認定されたのは47人でその認定率はおよそ1%にとどまり、審査に1年以上かかるケースもあるなど難民として認定されるのは簡単ではありません。 ただ、ミャンマーについてはことし2月のクーデター後の情勢を受け日本政府が5月、緊急の対応策を発表しています。 この中では、日本に在留しているおよそ3万5000人を対象に6か月か1年の滞在を認め就労を可能とする措置をとるとしているほか、難民と認定されないケースでも在留資格を付与するとしています。
「帰国すれば命が危ない」
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