小学生時代、私は東西線に揺られながら科学技術館へと足を運んだ記憶がある。
静電気によって髪が逆立つ実験や、ボタンを押すことで作動する装置など、理科の授業以上に興味深い体験がそこにはあった。
それから四十年以上の歳月が流れた2025年11月、私は同じ建物で開催されたアートフェア「EASTEAST_TOKYO 2025」を訪れることとなった。
かつての子供時代の思い出と、現代アートの実験的な場が交錯する感覚は、何とも言えない新鮮さをもたらした。
今回は、帰途にタクシーを利用できるほど成長した自分がそこにいた。
「効率と合理性からの脱却」を理念に掲げるEASTEAST_は、2020年にコロナ禍の東京・馬喰町で誕生した。
緊急事態宣言明け直後、わずか七つのギャラリーが集まった小規模なイベントとして始まったものの、2023年には科学技術館へと移転し、2025年には26組の出展者に加え、初めて海外ギャラリーも招くまでに成長した。
このフェアには、他のアートフェアとは一線を画す特徴がある。
出展料がほぼ無料で、ブースの大きさも全出展者に対して均等に割り当てられているため、資本力によるスペースの獲得という一般的な力学が働かないのである。
通常、実績のあるギャラリーほど大きなブースを使用し、展示の見栄えも相対的に優れて見えるものだが、EASTEAST_はあえて平等性を重視している。
ファウンダーである武田悠太氏は、日本橋横山町の衣料品問屋の四代目であり、かつてはアクセンチュアで戦略コンサルタントとして活躍した人物である。
効率と合理性の専門家である彼が、あえて「効率と合理性からの脱却」を掲げている点に、このフェアの本質的な逆説が見て取れる。
実際に会場を歩くと、小さなブースが生み出す親密な対話空間が広がっていた。
作品との距離が近いだけでなく、ギャラリー関係者やアーティスト本人とも自然と会話が生まれる雰囲気がある。
私は、鎌田友介という作家の作品の前で足を止めた。
東京の都市風景とブラジルの景色が、テレビの走査線のように帯状に切り刻まれ、貼り合わせられている。
都市の断片と異なる大陸の断片が交互に配置されており、「これは何が映っているのですか」と私は尋ねた。
鎌田氏は、日系ブラジル移民の住宅や、かつてアメリカの砂漠で焼夷弾実験のために建てられた「日本村」の調査を行っている。
彼は建築を国の文化やアイデンティティの形成要素と捉え、異なる土地に移植された日本家屋の記憶を写真という媒体で再構成している。
その行為は、歴史の断片を再び繋ぎ合わせ、建築とアートを架け橋とする試みであると言える。
別のブースでは、銅版画を手がけるアーティスト、チョン・ダウン氏と対話を重ねた。
もともとは絵画を描いていた彼女が、なぜ版画という技法に転向したのかという問いにも、丁寧に答えてくれた。
その会話の延長線上で、猫をモチーフにした版画に出会った。
作品の横には価格表が置かれていたが、商業的な意図を感じさせない価格設定であった。
私はその中から一枚の版画を購入した。
日本のアート市場は、世界シェアの約1%に過ぎない。
この現状を打破すべく、国際的なメガフェアに近づこうとする動きもあるが、EASTEAST_は異なる価値観を提示している。
「SNSやデジタル技術の発展によって、数値化できる価値ばかりが重視されているが、むしろ数値化できない価値にこそ目を向けたい」と武田氏は語る。
数値化できない価値とは何か。
それは「関係性」であると考えられる。
私たちは作品を購入する際、単なる物質的価値や投資対象としての利益だけでなく、作品と出会った瞬間の記憶や作者との対話、あるいはその作品が日常に存在すること自体の価値をも享受しているのではないだろうか。
EASTEAST_の出展者同士は資本力による序列が生まれないため、対等な関係を維持できる。
また、小規模なブースの構造が、来場者とアーティストの間に自然な会話を生み出し、その設計自体がフェアの思想を体現している。
数週間後、購入した猫の版画が自宅に届き、私はそれを仕事部屋の壁に飾った。
かつて科学技術館で静電気の実験に夢中だった自分が、同じ場所でアートを購入する大人になるとは想像もしていなかったはずだ。
四十年という歳月は人を変えるものの、何かに心を動かされ、それを手元に置きたいと思う感覚は、今も昔も変わらない。
効率を追求すれば、アート作品もオンラインで購入できるし、合理的に考えれば確実な投資対象を選ぶこともできる。
しかし、アーティストと出会い、対話を重ね、「この猫が良い」と思って購入する体験は、そうした最適化の枠組みを超えた価値である。
EASTEAST_が実験しているのは、まさにその「外側」にある価値を守ることであると言えるのではないだろうか。
可以說,EASTEAST_正在嘗試的,正是要守護那個「外部」的價值。