もとタレント上岡うえおか龍太郎りゅうたろうさん 死去しきょ 81さい 関西かんさい中心ちゅうしん活躍かつやく

Easy Japanese news
Jun 2, 2023 16:06 0
Furigana
テレビ番組ばんぐみ司会しかいなど関西かんさい中心ちゅうしん活躍かつやくした、もとタレント上岡うえおか龍太郎りゅうたろうさんが、はいがんはざまただしせい肺炎はいえんのため、大阪おおさか府内ふない病院びょういんで5つき19にちくなりました。81さいでした。

上岡うえおか龍太郎りゅうたろうさんは1942ねん京都きょうとまれ、1960ねん横山よこやまノックさんらとともにトリオ漫才まんざいの「漫画まんがトリオ」を結成けっせいすると、ノックさんのあかるく強烈きょうれつな「ボケ」に突っ込つっこれるスタイルで一躍いちやく人気にんきました。

1968ねんに「漫画まんがトリオ」の活動かつどう休止きゅうししてからは、タレントとしてすうおおテレビのバラエティー番組ばんぐみ司会しかいなどとして活躍かつやくし、辛口からくちコメントまじえた切れ味きれあじよいりゅうちょうはなしぶりしたしまれました。

とく、1988ねんから放送ほうそうはじまった民放みんぽうのバラエティー番組ばんぐみ探偵たんてい!ナイトスクープ」では、初代しょだい局長きょくちょうとしてするどツッコミやときせるきびしい意見いけんで、番組ばんぐみかおとして人気にんき不動ふどうのものにしました。

ほかにもトーク番組ばんぐみなど関西かんさい中心ちゅうしん幅広はばひろ活躍かつやくしていましたが、デビューから40周年しゅうねんむかえた2000ねん芸能げいのうかい引退いんたいしてからは、ほとんどおおやけ姿すがたせることはありませんでした。

上岡うえおか龍太郎りゅうたろうさんは、はいがんはざまただしせい肺炎はいえんのため、5つき19にち大阪おおさか府内ふない病院びょういんで81さいくなりました。

息子むすこ小林こばやしきよし太郎たろうさんげできたしあわ人生じんせい

上岡うえおか龍太郎りゅうたろうさんの息子むすこで、映画えいが監督かんとく小林こばやしきよし太郎たろうさんは、「お世話おせわになった方々かたがたにも突然とつぜんお知おしらせとなってしまったことをふかお詫おわいたします。昨年さくねんあきごろ積極せっきょくてき治療ちりょうじゅつがなく本人ほんにん延命えんめいもとめていない、とらされたときすこ覚悟かくごしておりましたが、あれよあれよというきゅう展開てんかいははわたしまだ気持きもちいついていない状態じょうたいです。とにかく矛盾むじゅんかたまりのようなひとでした。ちちなんてそんなものかもしれませんが、本心ほんしんうかがことはまでついにかなわなかったようなもします。よわせず格好かっこうつけて口先くちさきさんすん……。うんえんめぐまれてげできたしあわ人生じんせいだったとおもいます。 えんさづけてくださった皆様みなさまかたふか感謝かんしゃいたします」とするコメントしました。

かつらざこばさん元気げんきにされてるとおもってた とてもショック

上岡うえおか龍太郎りゅうたろうさんがくなったことについて、落語らくごかつらざこばさんは「ながことお目おめにかかっていませんが、お元気げんきにされてるとおもってましたので、とてもショックです。上岡うえおかにいさん大好だいすほうでしたが、みなでワーワーってても、どこかでこれ以上いじょうはいってはいけないように、なぜぼく勝手かってかんじていました。もちろんご本人ほんにんいつもカッコよく自然しぜんたいで、そんなことはかんがえてなかったでしょうね。またさびしくなります」とコメントしています。

和田わだアキ子あきこさんむねがいっぱいで言葉ことばになりません」

上岡うえおか龍太郎りゅうたろうさんが司会しかいつとめたテレビのバラエティー番組ばんぐみ「ラブアタック」に1978ねんから出演しゅつえんしていたという歌手かしゅ和田わだアキ子あきこさんは、当時とうじこの番組ばんぐみ唯一ゆいいつレギュラー番組ばんぐみだったということで、「むねがいっぱいで言葉ことばになりません。上岡うえおかさんには本当ほんとう可愛かわいがっていただきました。たびに『お前おまええらな!頑張がんばってるな!』と、いつもめてくれました。わたし誕生たんじょうには、毎年まいとしお祝おいわていただき、いつもわるふざけして、少年しょうねんのようにはしゃいでわらっている笑顔えがおわすれられません。本当ほんとう残念ざんねんです。かなしくて仕方しかたありません」などコメントしています。

大阪おおさか死去しきょしむこえ「しゃべりの天才てんさい

大阪おおさかお笑おわら発信はっしんで、ミナミにある吉本よしもと興業こうぎょうの「なんばグランド花月なんばぐらんどかげつ」のまえでは、上岡うえおかさんしむこえかれました。

兵庫ひょうごけんからおとずれた50だい女性じょせいは「くなったといておどろきました。りゅうちょうテレビはなしている姿すがたがよみがえります。はっきりものをところが気持きもちよかったです」とはなしていました。

名古屋なごやからおとずれた60だい男性だんせいは「お笑おわらかい神様かみさまみたいなひとでした」とはなしていました。

東大阪ひがしおおさか70だい男性だんせいは「はなしがうまくてべんのたつひとで、しゃべりの天才てんさいでした。しいひとをなくしました」とはなしていました。

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