とにかくそとしゅつ」とえばよかった…つまくしいまなおくるしみ

Easy Japanese news
Mar 1, 2024 12:03 2
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地震じしんくなった、竹園たけぞの波津はつえださん(59)です。

最初さいしょ直後ちょくごは、まだ携帯けいたい電話でんわでやりとりができていました。

おっと親義ちかよしさん(58)はいまもそのときのことを思い出おもいだいます。

最初さいしょ電話でんわで『そとて』ってえば、ていたとおもんです。『とにかくそとしゅつ』ってえば」

携帯けいたい電話でんわらしても

輪島わじま河井かわいまち僧侶そうりょ竹園たけぞの親義ちかよしさんは、地震じしんがあった元日がんじつちょうど外出がいしゅつさきから帰宅きたくしたところでした。

はげしいたのは、まだくるまなかにいるときでした。

車内しゃないから自宅じたくねたてらと、どうおおきなおとててくずれました。

つま波津はつえださん建物たてものなかにいるはずでした。

そのすこまえ最初さいしょがあった直後ちょくご波津はつえださん携帯けいたい電話でんわかけると、すこやり取やりとができていました。

はげしいおさまったあと、波津はつえださんのふだんよくいる場所ばしょかってなんなんこえをかけつづけました。

んでるうち返事へんじあるかなとおもって、ずっとんでいました」

しかし返事へんじはありませんでした。

波津はつえださん携帯けいたい電話でんわらしても、もうことはありませんでした。

自宅じたくねたお寺おてらだい規模きぼ火災かさいきた「朝市あさいちどお」にちか火の手ひのてせまっていました。

よるには避難ひなんせざるをなくなり、翌日よくじつかえってきてまた波津はつえださん呼び続よびつづけました。

それでもやはり返事へんじはありませんでした。

波津はつえださんすうにちくなった状態じょうたいつかりました。

あまもの一緒いっしょべる時間じかん

親義ちかよしさん波津はつえださんは5ねんまえ結婚けっこんしました。

2にんともあまもの大好だいすで、一緒いっしょべる時間じかんしあわだったといいます。

てら仕事しごといそがしかったということですが、波津はつえださん法要ほうようときにはなんじゅうにんもの食事しょくじ用意よういなど手伝てつだってくれたということです。

無理むりをかけてた。こっちわがままばかりって。あまり感謝かんしゃのことばをつたえてこなかったとおも

親義ちかよしさんいまはなれた場所ばしょ避難ひなんし、しゅうに1かいてら様子ようす確認かくにんするためにもどっています。

2つき28にちも、のこされている食器しょっき衣類いるいなどかたづけにもどりました。

このは、建物たてものから波津はつえださんていたどてらがつかりました。

しかしているだけでつらいおもになり、処分しょぶんすることにしました。

だい規模きぼ火災かさいけてしまった「朝市あさいちどおなど、2か月かげつぎても周囲しゅうい様子ようす地震じしんきた当時とうじほとんどわっていません。

親義ちかよしさんはそうしたわらない景色けしきにすると、地震じしん当時とうじのことがゆめてきてくるしいということです。

まだことばにできないおも

周囲しゅういには家族かぞくくしたひともいます。

僧侶そうりょとして、そうしたひとたちのつらいおも必要ひつようあるかんがえていますが、いまはまだ自分じぶんこころ余裕よゆうがないとかんじています。

つまには、最初さいしょ電話でんわで『そとて』ってえば、ていたとおもんです。『とにかくそとしゅつ』とえばよかったかもしれない。いえ家族かぞくまちうしなって、本当ほんとうそのとうとさがわかる。本当ほんとうくなってとうとさがわかりますね」

それでも波津はつえださんへのおもは、いまもまだうまくことばにできないといます。

「ことばにうまくできないですね。ことばに置き換おきかえても、それがうそっぽいがする。むずかしいな。一緒いっしょにいられたことは、価値かちのあったことだとえるように、かな。これからも、感謝かんしゃしていきたいとおもいます」

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