伊丹万作は、戦後の映画界における戦争責任者の追放運動に、自らの名が挙げられたと聞き、困惑を隠しきれなかった。
板谷萬作聽說在戰後電影界的排除戰爭責任者運動中自己的名字被提及,感到難以掩飾困惑。
彼の驚きは、単に自身が糾弾されたことだけではなく、戦争責任の所在そのものに対する日本人の集団的な錯覚にあった。
他的驚訝不僅僅在於自己被指責,更在於所有日本人對於戰爭責任本質所懷有的集體幻想。
多くの人が「騙された」と口を揃える一方で、「騙した」と自白する者はほとんどいないという現状にこそ、問題の本質が潜んでいる。
許多人異口同聲地說:「我們被騙了」,但幾乎沒有人坦白承認「是我騙了別人」。這種現狀正是問題的本質所在。
民間人は軍や官僚に騙されたと考えがちだが、実際には、騙した者と騙された者の区別は曖昧であり、狡猾な一握りの人間が一億の国民を騙し通せるはずもないのだ。
一般民眾常常認為自己被軍隊或官僚欺騙,但事實上,欺騙者與被欺騙者之間的界線非常模糊,只有極少數狡猾的人是不可能欺騙數億國民的。
事実、騙す側に回っていた人間の数は、私たちが想像する以上にはるかに多かったに違いない。
事實上,支持詐騙犯的人數,確實比我們想像的還要多。
更に言えば、人々は明確に「騙し手」と「騙され手」とに分かれていたわけではなく、一人の人間が被害者から加害者へと瞬時に姿を変えるような相互的な欺瞞が蔓延していたのである。
此外,並不是所有人都能明確地劃分為「詐欺師」與「受害者」,由於相互欺騙的情況普遍存在,一個人也可能在瞬間從受害者變成加害者。
その無自覚な共犯関係こそが、日本社会の盲点であった。
戦時下の行政の機能不全、新聞報道の愚劣さ、ラジオ放送の滑稽さ、そして町会、隣組、婦人会といった民間組織の熱心な協力——これらはすべて、国民自身が自発的に「騙す側」に加担した証拠に他ならない。
戰時中的行政機能癱瘓、媒體的愚蠢、廣播的滑稽、町內會、婦女會、自治會等市民團體的積極合作——這一切,正是國民自身自發加入「欺騙一方」的證據。
たとえば、服装の規制にしても、それを徹底したのは政府や警察ではなく、同胞自身であった。
例如,即使是服裝的管理,徹底執行的並不是政府或警察,而是同一國民自己。
ゲートルを巻かなければ外出すら許されないという風潮は、法による強制ではなく、国民が自ら作り出した同調圧力に過ぎなかった。
不能不纏上護膝就外出,並不是法律強制的,而只是居民們自己產生的同儕壓力罷了。
伊丹は、自らの体験を挙げながら、病気ゆえに戦闘帽を持たなかったにもかかわらず、外出時に普通の帽子をかぶっただけで、まるで国賊を見るかのような目で睨まれたことを忘れないという。
板見先生分享了自己的經歷,他表示因為生病無法戴上戰鬥用頭盔,但僅僅在外出時戴上普通帽子,就被人以看待叛徒的眼神對待,這讓他難以忘懷。
服装とは本来、実用的かつ美的な要請に従って決まるものであって、それ自体が思想の表現であるわけではない。
服裝本來應該根據實用需求與美感來決定,而不應該成為思想的表現。
しかし当時の人々は、服装を思想表現と錯覚しあるいは思想を偽装する最も容易な手段として利用したに過ぎないのではなかろうか。
然而,當時的人們或許誤以為衣服是思想的表現,也有可能只是把它當作偽裝自己思想最簡單的方法來利用而已。