息子が
突然仕事を
辞め、
自室にひきこもりました。
再就職先を見つけても、数日で辞めて帰ってきました。
私は息子を怒鳴り付けました。
「お前を家においてはおけない。
出ていけ」
息子は黙って、泣いていました。
それから19年。
息子はひきこもったまま50
歳になり、
私は80
歳が
目前に。
兒子一直宅在家裡,轉眼已經五十歲了,而我也快要八十歲了。
「私が死ぬ前に、どうにかしなければ…」
そして私たちはふたたび歩みを進めることができました。
「在我死之前,必須想個辦法……」於是我們又能再次邁步前行了。
私自身が変わることで、息子が“本当の気持ち”を話してくれたからでした。
因為我自己改變了,兒子才向我說出了「真正的心情」。
突然の退職 理由はわからず
早朝6時。
山口県に住む長谷川慎一さん(54・仮名)は仕事に出かけていきます。
住在山口縣的長谷川慎一先生(54歲・化名)要出門去工作。
慎一さんは、去年までの20年余りのあいだ、部屋からほとんど出ないひきこもり状態でした。
慎一先生在去年的二十多年裡,幾乎都處於足不出戶的隱居狀態。
ひきこもったのは、31歳の時。
首都圏の大学を卒業後、Uターンして就職した地元企業を辞めたことがきっかけでした。
在首都圈的大學畢業後,因為辭去了回鄉就職的當地企業,這成了契機。
誰にも相談はしませんでした。
父親の昭宏さんは、慎一さんに仕事を辞めた理由を聞きましたが、答えはありませんでした。
父親昭宏先生詢問慎一先生辭職的原因,但沒有得到回答。
それまで反抗期もなく素直に育ったと感じていただけに信じられない気持ちで、息子を「恥ずかしい」とさえ思ったといいます。
在那之前一直覺得兒子沒有經歷過叛逆期,也很聽話,所以當時感到難以置信,甚至覺得兒子「很丟臉」。
昭宏さん
「もう何度も何度も『外へ出て働け』と言い続けていました。
昭宏先生:「我已經一再地說了很多次『出去外面工作吧』。」
慎一がいかに
家族に
迷惑かけてるかということを
叱責しました。
本人を
責める以外に、ひきこもりから
抜け出させる
方法を
思いつきませんでした」
父は怒り 息子はただ、泣いた
時には昭宏さんは、伸一さんを無理に部屋からつれ出し地元のハローワークに行き、仕事を探させました。
除了責備自己之外,父親想不到讓兒子擺脫隱居的方法。當父親生氣、兒子只是哭泣時,昭宏先生會強行把伸一先生從房間帶出,帶他去當地的就業服務中心找工作。
こうしたことを続けた結果、コンビニのアルバイトに出ました。
しかし数日後、辞めて帰ってきました。
また、昭宏さんに相談はありませんでした。
怒りは頂点に達し、慎一さんを怒鳴り付けました。
「もうおまえを家においてはおけない。出て行け」
慎一さんはなにも言わず、ただ、泣いていました。
そして、また、部屋に閉じこもりました。
ひきこもり状態は解消されないまま19年がたった2021年。
到2021年,隱居狀態已經持續了19年,仍未得到解決。
慎一さんは50歳、昭宏さんは78歳になりました。
80歳を目前にしたことで「自分が死ぬ前に息子を就職させなければ」という思いがさらに強くなり、支援の手を探し回りました。
由於即將年滿80歲,「在自己去世之前一定要讓兒子找到工作」的想法變得更加強烈,因此四處尋找援助之手。
そんなとき、地元の自治体の広報誌に載っていたひきこもりの家族向けの支援講座に出会いました。
就在那時,我遇到了在當地自治體的宣傳雜誌上刊登的,針對隱蔽族家庭舉辦的支援講座。
出会ったのは“家族支援”
講座を主催するのは、山口県を拠点に活動しているNPO法人です。
我們相遇的契機是由以山口縣為據點活動的NPO法人主辦的「家庭支援」講座。
20年前から活動を続け、この10年で600人あまりが相談に訪れ、およそ100人がひきこもり状態から抜け出しました。
自20年前開始持續進行活動,在這10年間有超過600人前來諮詢,約有100人成功擺脫了隱居狀態。
このNPOが重要視するのは、独自の講座を通して家族の考えや行動を見直していく方法です。
這個非營利組織所重視的是,通過獨特的課程來重新審視家庭的想法與行動的方法。
家族がひきこもり本人の考えや行動を十分に理解することができるようになれば、対応の仕方や行動が変わり、再び信頼し合える間柄になるとしています。
如果家人能夠充分理解隱居者本人的想法和行動,應對方式和行為也會隨之改變,雙方就能再次成為彼此信賴的關係。
信頼しあえれば、ひきこもり本人が、悩みや本音を家族に話すことができ、それが社会とつながる一歩になったり、行政による本人への直接支援にもつながりやすくなったりするといいます。
如果能彼此信任,據說隱居在家的人本人就能將煩惱和真心話告訴家人,這不僅能成為與社會連結的一步,也更容易促成政府對本人進行直接支援。
娘はなぜ怒った? 全員で考える
講座は3日間かけて集中的に行われ、家族の参加者が、ひきこもりの息子や娘などへの対応で実際に悩んだ場面を打ち明け、それを題材に進めていきます。
女兒為什麼生氣?全員參與的講座會集中三天舉行,參加的家庭成員會坦白自己在應對家中隱居的兒子或女兒等問題時,實際遇到的煩惱場面,並以此作為討論的題材進行。
この日は、長期間ひきこもる娘と、家事が原因で言い争いになったという母親からの相談を事例にしました。
這一天,我以一位因家事爭執而與長期宅在家的女兒發生爭吵的母親來作為諮詢案例。
相談者
「最近家事をするようになったものの、やり方をアドバイスしたら手が付けられないほどに怒りだしました。
諮詢者:「最近開始做家事了,但是我給了一些建議,結果對方卻氣得不可收拾。」
もう疲れ
果てました」
ここで重要なのは、悩みを打ち明けただけで終わらないことです。
我已經筋疲力盡了」這裡重要的是,不要只停留在傾訴煩惱這一步。
20年間ひきこもり支援に取り組む、NPOの代表で講師の山根俊恵さんがアドバイス。
致力於隱居族支援20年的NPO代表兼講師山根俊惠女士給予的建議
それを参考にしながら、なぜ娘が怒ったのかを全員で考えます。
参加者
「娘さんは、家事をやっていることをまずは認めてほしかったなのかな」
別の参加者
「いい部分に目を向けるということが足りなかったかもしれない」
さまざまな意見が出ると、相談した母親は、ある娘の言葉を思い出しました。
參加者:「女兒是不是首先希望能被認可自己有做家事呢?」另一位參加者:「或許我們不夠注意她的優點。」當各種意見湧現時,前來諮詢的母親想起了女兒曾說過的一句話。
相談者
「娘は、『お母さんは私の言動に対して否定から入るよね。
私のことを
もっと認めてほしい』と
言っていました」
講師
「そうした心の叫びをお母さんはスルーしてしまったと言うことですよね。
她說:「我希望你能更多地認可我。」 講師:「也就是說,媽媽忽略了這樣的內心呼喊吧。」
共感を
すっ飛ばして、
指摘をして
しまうから
本人からしたらすべてを
否定された
気持ちになってしまいますね」
“子どもの心の痛み” 理解する姿勢を
講師の言葉で、娘のこれまでの行動を振り返った母親は、娘がひきこもる前に娘に求めていた自分の行動に原因があったかもしれないと気がつきました。
因為跳過了共鳴,直接進行指摘,對當事人來說會感覺到自己的一切都被否定了呢。這位母親透過講師的話語,反思了女兒過去的行動,並以理解「孩子心靈的痛苦」的態度,意識到在女兒變得封閉之前,自己對女兒的要求或許才是導致問題的原因。
相談者
「本当に恥ずかしいのですが、社会人として働き始めても、帰るときの連絡をさせていました。
諮詢者:「真的很不好意思,但即使開始作為社會人士工作,我還是會在回家的時候讓家人聯絡我。」
学生時代から、
娘になにかあったら
危ないと
行動を
束縛していました。
從學生時代開始,我就因為擔心女兒會遇到危險,而對她的行動加以約束。
娘は
今やっと、『
嫌だったことを、
嫌だ』と
伝えてくれているのに、
表面的な
反抗だけを
見て、
言い争ってしまいました」
講座では、ひきこもる人の苦しい胸の内に耳を傾けてもらうことに注力しています。
女兒現在終於能夠告訴我「她討厭的事情就是討厭」,但我卻只看到了她表面的反抗,結果和她爭吵了起來。在講座中,我們致力於傾聽隱居者內心的痛苦。
NPO「ふらっとコミュニティー」 山根俊恵代表理事
「子どもと心が通い合わないという相談をよく受けます。
NPO「平易社區」山根俊惠代表理事:「我們經常收到無法與孩子心靈相通的諮詢。」
それは、
言い方は
悪いですが、“
親を
敵”だと
思っていることが
少なくありません。
老實說,這麼說可能不好聽,但他們常常把「父母當成敵人」。
子どもが
転ばないようにと
親が
先回りして、さまざまな
障害物を
取り除いてまわることは
逆効果です。
父母為了避免孩子跌倒而事先幫他們掃除各種障礙物,反而會產生反效果。
子どもが
どんな心の
痛みを
抱えているのか、どんな
生きづらさが
あるのかを
理解する
姿勢を
示さないと、
子どもと
心は
通いません。
如果不表現出想要理解孩子內心承受著怎樣的痛苦、經歷著怎樣的生活困難的態度,就無法與孩子的心靈相通。
本人の
意思を
尊重し、
本人の
希望に
応じて
必要な
分だけ
手を
差し伸べて
いくことが、
親の
姿勢として
大事なことです」
この講座を受けた昭宏さんが気づいたことも、息子の声に耳を傾けず、理解しようとしてこなかった自分の姿でした。
尊重本人意願,根據本人希望適度伸出援手,這是作為父母非常重要的態度。」參加這個課程的昭宏先生所察覺到的,也是自己過去未曾傾聽兒子的聲音、未曾試圖理解他的自己。
昭宏さんは当時の日記に、こう記していました。
息子の心の声に耳を澄ます
「息子のことを、もっと理解したい」
それからは、少しでも話すきっかけをつかもうと、『ドライブや買いものに行かないか』と、声をかけることからはじめました。
傾聽兒子的心聲,「我想更了解兒子」。從那之後,我開始主動邀請他「要不要一起去兜風或購物?」試著抓住哪怕一點點可以對話的契機。
最初はうまくいかないもありましたが、ある日息子がつぶやいた「チェーン店のうどん屋が近くにできたようだ」というひと言に反応し、外食に誘ったことから、徐々に会話ができるようになりました。
一開始雖然有些事情不太順利,但有一天兒子隨口說了一句「好像附近開了一家連鎖烏龍麵店」,我聽到後就邀他一起外出用餐,從那時起我們漸漸能夠開始對話了。
そして、2人の距離を縮めたのがマッサージです。
ひきこもる前にはたびたびあった特別な時間でした。
慎一さんのスマートフォンでお笑い番組を見て、一緒に笑います。
在慎一先生的智慧型手機上一起看搞笑節目,一起大笑。
ついに明かされる 息子の胸の内
こうしたことを続けたある日、慎一さんが仕事を辞めた理由を語り始めました。
終於揭曉 兒子內心的想法。有一天,在這樣的事情持續下去時,慎一先生開始談起他辭職的理由。
慎一さん
「職場の上司は私がミスをした時だけ勢いよく怒鳴る。
慎一先生:「我的上司只有在我犯錯的時候才會大聲斥責我。」
それが
一年近く続き、なんで
俺だけ
怒られるのかと
思い悩んで、
辞めたんです」
そして、ついに、知りたいと願い続けた息子の“苦しみの正体”を聞きました。
這樣的情況持續了將近一年,我一直苦惱著為什麼只有我會被罵,最後就辭職了。」然後,我終於聽到了那個一直渴望知道的兒子「痛苦的真相」。
慎一さん
「仕事を辞めた当初、面接を何社も受けたがまったく決まらなかった。
慎一先生:「剛辭掉工作的時候,雖然參加了很多公司的面試,但完全沒有被錄取。」
悔しく、
恥ずかしく、ひきこもってしまった。
仕事もせず
家にいて、
申し訳ないと
思っています」
“すべて、息子に任せよう”
息子の苦しみを知った昭宏さんは、日記にこう記しました。
我沒有工作,只是待在家裡,感到很抱歉。」“一切都交給兒子吧。”知道兒子痛苦的昭宏先生,在日記裡這樣寫道。
こうした昭宏さんの変化は、信一さんの気持ちにも影響をもたらしました。
慎一さん
「家にいることが楽になりました。
そうすると
徐々に、“
自分の
進む道を
探したらいいんじゃないか”という
感じに
変わりました」
その後、信一さんは地元の会社で働き始めました。
於是漸漸地,變成了「是不是應該去尋找自己要走的道路呢」這樣的感覺。之後,信一先生開始在家鄉的公司工作。
親に言われたからではない、自分の意思で決めた就職です。
這不是因為父母說了什麼,而是我依自己的意願決定的就職。
慎一さん
「よし、これならやってみようと思えました。
ようやく、
自分のやれるものが
見つかったんです」
昭宏さん
「イエス、ノーしか会話がなかった数年前の息子との関係を思えば、今は夢のようで、感無量です。
終於,我找到了自己能做的事情。」昭宏先生說:「想到幾年前我和兒子的對話只有是與否,現在就像夢一樣,感慨萬千。
息子は
誠実な
男です。
多くは
望まず、
自信をもって
生きて
行ってもらえれば
それでいいと
思っています」。
我認為只要你能有自信地生活,不要有太多的奢望,那就足夠了。