遺族に加え、患者の治療にあたった医療者や一般の人など、230人あまりが参加し、静かに祈りをささげました。
厳格な感染対策が行われた影響で、大切な人の看取りや葬儀がままならなかった遺族も数多くいます。
2年前の3月、87歳だった父親を新型コロナで亡くしました。
感染がわかった当時は会話もできていましたが、治療のため病院に移った直後に、体調が急激に悪化。
感染対策のため、女性は病室に入ることはできませんでした。 ようやく顔を見られたのは、医師から死亡を告げられ、渡されたタブレット端末の画面越しでした。 父親はその日のうちに火葬され、骨を拾うことも、葬儀をすることもできなかったといいます。
「父の棺が霊きゅう車から出てきても、そばに近寄ることすらできませんでした。防護服を着た火葬場の職員に『近寄らないでください』と止められてしまって。なぜこんな目に遭わなきゃいけないのか、やりきれない怒りや悔しさに加え、父に対して申し訳ない気持ちでいっぱいでした」
2年がたった今も、父親の死を受け止めきれずにいるといいます。 女性 「人間っていつかは死ぬから、父親はたまたまその原因がコロナだった。しかたがないと割り切ろうと思っていますが、やるせない思いはいまも消えません」
龍谷大学社会的孤立回復支援研究センターの、黒川雅代子センター長です。 黒川さんは、新型コロナの遺族の支援を2年前から続けてきました。 今回、西本願寺での追悼法要を企画したほか、遺族たちに呼びかけて、月に1度、「分かち合いの会」を大阪で開いてきました。 遺族たちに共通するのは、身近な人の死を十分悼むことができなかったという後悔の気持ちだといいます。
「大切な人の死を理解するために一番重要な時間やプロセスが抜け落ちてしまうことで、”あいまいな喪失”につながってしまう。そうすると、残された人はなかなか先に進めなくなってしまうのです」 ベッドサイドで行われる看取り。 親戚などと故人について語り合う葬儀。 コロナ禍で、大切な人との別れの時間は失われていました。 遺族が大切な人の死を受け止め切れないなか、マスクの着用が個人の判断に委ねられるなど、社会は日常を取り戻そうとしています。 黒川さんは、遺族と社会との距離が広がることを懸念しています。 黒川センター長 「新型コロナで亡くなった人は、国の政策によって看取りが許されず、十分な弔いもできなかったという面があると思います。平時であれば当然守られるべき死の尊厳が、守られてこなかったということです。遺族が先に進めない状況のなかで、社会はコロナ禍前の状態に急速に戻ろうとしている。遺族の気持ちと社会との間に溝ができて、それが今後さらに深まっていかないか、懸念しています」
ちょうど3年前の3月11日、WHO=世界保健機関は、新型コロナウイルスが世界的な大流行になっているという認識を初めて示しました。 あれから3年たち、新型コロナに感染して亡くなった人は、国内で7万人を超えています。 法要の会場に、父親をコロナで亡くし、葬儀ができなかった、兵庫県の女性の姿がありました。 祈りをささげるその手には、父親の遺影が握られていました。
「こういった大きな場所でみんなで祈ってもらうことで、改めて私はひとりじゃないんだと感じました。法要で区切りをつけることで、私の中では気持ちがひとつ進んだような気がしています」 法要を企画した黒川さんは、コロナで亡くなった人を社会全体で悼む機会を設けることが、遺族への支援につながると考えています。
「今、社会の関心は、マスクをとるとらないとか、新型コロナが5類に移行することに移っていますが、流行が終わったわけではありません。そして、新型コロナで大切な人を亡くした遺族には、特有の悲しみがあります。社会が日常に向かう今こそ、そうした遺族が孤立しないように、思いを寄せ、支援していくことが大切だと思います」
新型コロナで亡くなった人の葬儀については、ことし1月、国が新しいガイドラインを公表し、感染対策をした上で亡くなった人に触れることができるようになるなど、少しずつ変わってきています。 しかし病院では今でも、コロナの患者を看取ることが難しい状況が続いています。 コロナ禍によって大切な人を失った遺族。その死を受け止めきれていない遺族の中には、急速に日常を取り戻していく社会から、取り残されてしまったと感じる人もいるのではないか。 遺族への支援とともに、身近な人との別れの時間を、コロナ禍前のように大切にできる社会を望みたいと思います。
失われた別れの時間
“あいまいな喪失”に苦しむ遺族
“日常に向かう今こそ 遺族が孤立しないよう”
社会全体で別れの時間を大切に