アウシュビッツ強制収容所はナチス・ドイツがポーランド南部に建設し、ユダヤ人の大量虐殺、ホロコーストの中心的な役割を担った大規模な施設です。
ガス室などでおよそ110万人が虐殺され、このうちおよそ100万人がユダヤ人です。
27日はアウシュビッツ強制収容所が旧ソビエト軍によって解放された1945年1月27日から80年の節目となり、収容所の跡地で追悼式典が開かれます。
式典には生き延びた人やその家族のほかドイツのシュタインマイヤー大統領、フランスのマクロン大統領、それにイギリスのチャールズ国王などおよそ50か国の代表が出席する予定です。
収容所の跡地にはこの週末も多くの人が足を運び、このうちイギリスから訪れた男性は「犠牲になった人たちへ追悼の思いを示し、何が起きたかを目にするために来た。二度と起きないことを願う」と話していました。
またイギリスから訪れた女性は「何よりも人が他者に対してこのような行いをしたことに怒りを感じた。そして形を変えて今も続いていることに不安を感じる」と話し、世界で紛争や人道危機が相次いでいることに懸念を示していました。
アウシュビッツ強制収容所とは
ホロコーストで中核的な役割
アウシュビッツ強制収容所はナチス・ドイツが、ポーランド南部に建設した最大規模の強制収容所です。
収容所は3つの主要な施設で構成され、最初のものは1940年に建設されました。
ガス室を備えた「絶滅収容所」とも呼ばれ、ヨーロッパのユダヤ人の絶滅を目指したホロコーストの中核的な役割を担いました。
強制収容所にはヨーロッパ各地のユダヤ人が連行され、高齢者や病人、子連れの女性は到着してまもなくガス室で殺害されました。
ナチス・ドイツは、収容したユダヤ人にガス室で殺害された遺体から金歯などを取り除く作業や焼却処理も強制しました。
収容所の入り口にはドイツ語で「働けば自由になる」と書かれた看板が掲げられましたが、働けるとみなされた人は工場の建設などの強制労働に従事させられ、満足な食事もなく日常的に虐待を受け尊厳を奪われていきました。
犠牲者 約110万人 “死の行進”の犠牲も
アウシュビッツでの犠牲者はおよそ110万人に上り、そのうちおよそ100万人がユダヤ人です。
またナチス・ドイツは1945年の1月、旧ソビエト軍の進軍を受け、多くのユダヤ人をほかの収容所へ移動させます。
移送の列車に乗るため数十キロ離れた街へは徒歩で移動させられ、真冬の行進から脱落した人はその場で銃殺されたことなどから「死の行進」と呼ばれています。
その後、1945年1月27日、旧ソビエト軍によってアウシュビッツ強制収容所は解放されました。
当時、強制収容所にはおよそ7000人がいて、多くの人が衰弱してひん死の状態だったということです。
アウシュビッツ強制収容所は第2次世界大戦後は博物館となり、世界各地から大勢の人が見学に訪れています。博物館によりますと去年は183万人が訪れました。