元代磁器の大規模発見
シンガポール沖において、14世紀に沈没したと考えられる船から、元代に中国で製造された大量の磁器が発見された。この発見は、モンゴル帝国支配下の中国における陶磁器生産およびその流通の実態を示すものとして、学術的にも極めて重要な意義を持っていると言える。
調査を主導した海洋考古学者マイケル・フレッカー氏らの研究チームは、4年に及ぶ綿密な現場調査を経て、積荷の残骸を慎重に回収した。その結果、総重量約3.5トンにも及ぶ陶磁器の破片が発見され、そのうち136キロは青と白の繊細な文様で知られる青花磁器であった。特筆すべきは、数点の磁器が完全もしくはほぼ完全な形で保存されていたことであり、当時の技術水準の高さを如実に物語っている。
しかしながら、現場は浅い水深にもかかわらず、強い潮流および視界不良といった過酷な環境下にあったため、潜水調査は4週間に1度程度しか実施できなかったという。フレッカー氏は「潜水できたとしても、潮流に流されて海底を転がることや、暗闇の中で手探りで作業を行うことが多々あった」と述懐している。
発見された船体は中世中国で広く用いられていた木造帆船であり、長年の海中滞留によってほとんどが分解されていた。貨物の大半も破片となっていたが、完全な形で残された磁器の中には、四本爪の竜や菊の花に囲まれた鳳凰、さらには蓮池で泳ぐオシドリなど、元代特有の意匠が明瞭に認められた。
特に、オシドリの文様は、元の皇帝トク・テムル(文宗)が在位した1328~32年に皇帝専用として用いられたものであり、沈没船の年代推定に重要な手がかりを与えている。その後、皇帝の崩御とともに文様の使用制限は解除され、民間窯でも同様の磁器が大量に生産され、主に輸出されたと考えられている。しかし、約20年後には紅巾の乱により宮廷窯が閉鎖され、一部の窯で生産が続いたとしても、元の滅亡とともに1368年以降は海上交易が厳しく制限された。したがって、当該沈没船は1320年代末から1371年までの間に沈没した可能性が高いと推察される。
ロンドン大学東洋アフリカ研究所のシェーン・マッコースランド教授によれば、元代の磁器は当時ユーラシア各地の有力者の間で非常に高く評価されていたという。青花磁器はその透光性や強度の高さから「驚異的な素材」と称され、さらに「毒を盛るとひびが入る」といった伝説も存在したことから、権力者がこぞって求めた理由の一端がうかがえる。
また、青花磁器は中国の職人がペルシャ産コバルトを用いて製作し、モンゴル帝国の支配下で陸海のシルクロードを通じて広範囲に輸出された。このことは、元代中国が文化的・技術的に著しく発展していたことを示唆しており、従来のモンゴル支配に対する否定的なイメージとは対照的である。
本沈没船は中国東部沿岸の泉州港から出航したと見られ、福建省や浙江省、江西省といった工芸の中心地に近接していたことも確認された。14世紀のテマセク(現シンガポール)が国際的な自由貿易港として機能していたことは従来から知られていたが、今回の発見によって、当時の交易規模や地元産品の流通状況など、より具体的な経済活動の実態が明らかになった。
今回の研究成果は2023年6月、陶磁器研究の専門誌『ジャーナル・オブ・インターナショナル・セラミック・スタディーズ』に発表されている。