そのうえで日ソ共同宣言を基礎に平和条約交渉を加速するとした安倍元総理大臣とプーチン大統領による2018年のシンガポールでの合意などを踏まえ、粘り強く交渉を進めていく考えを強調しました。
そして「国民一人一人が関心と理解を深め、政府と国民が一丸となって取り組むことが不可欠だ。高齢になる元島民の方々の思いをしっかりと胸に刻み、取り組みを進めていく」と述べました。
大会では「北方四島がロシアによって法的根拠のないまま76年にわたって占拠され続けていることは許されない」などとして四島の返還実現を求めるアピールを採択しました。
元島民の代表としてあいさつした奥泉さんは「帰りゆく 日のあるなれや 択捉島の わが生れし村(あれし) トシルリの地に」というみずから詠んだ短歌を披露しました。 奥泉さんは、択捉島北部の太平洋側にある蘂取村のトシルリという集落で生まれました。 祖父が最初に住み着いて開拓した集落で、一家はノリの漁をして生計を立てていたといいます。 1945年8月に旧ソビエト軍が侵攻し、その2年後、1947年9月に奥泉さん一家は島から引き揚げました。 当時2歳だった妹は引き揚げる途中に脱水症状となり亡くなったということです。 樺太経由で函館に渡り、その後、岩手県などを転々として、現在は釧路市で暮らしています。 過去に3回、自由訪問などの枠組みで故郷のトシルリを目指し、岸まで5メートルのところまで近づくことはできましたが、悪天候で波が高かったりコンブが船に絡まったりして上陸できませんでした。 今に至るまで一度も故郷の土を踏むことは叶わないままです。 奥泉さんは、7歳のときに引き揚げたため島の記憶はほとんどありませんが、故郷に帰れずに亡くなった祖父や父の無念な気持ちも込めて、択捉島を題材にした短歌を100首、詠んできました。 このうち「流れゆく 星に願いは ただひとつ ふるさと千島よ わがエトロフよ」という短歌は37年前に初めて詠んだ歌で、島に帰りたいという当時の強い願いを表現したということです。 奥泉さんは、北方四島への交流事業が再開されれば、参加して、故郷トシルリの生家跡で短歌を詠みたいと考えています。 奥泉さんは、大会でのあいさつを終えたあと「亡き家族の思いが乗り移ったような気がして胸がいっぱいになりました。故郷で最後の歌を詠むことがいちばんの願いです」と話していました。
元島民代表 奥泉さん みずから詠んだ短歌披露