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虢公翰

虢公 翰(かくこう かん、生没年不詳)は、西虢の君主で、周の王族。清の梁玉縄は、『古今人表考』で虢公翰を虢石父の子と見なせるとしている。 紀元前771年、周の幽王が犬戎のために殺害された。申侯・曾侯および許の文公ら東方の諸侯は申国で周の太子の宜臼を擁立し、これを平王とした。いっぽう虢公翰

Related Words

東虢

国君に封じた。その中で虢叔が封じられた雍地を西虢、虢仲が封じられた制地(現在の河南省鄭州市滎陽市)を東虢と呼ばれた。この両諸侯国は周王室の東西両面の屏障として作用した。 紀元前767年、東虢は鄭によって滅亡した。 虢仲 虢恵叔大林 - 《虢叔旅鐘》に見える。 虢叔旅 - 虢恵叔の子。《虢叔旅鐘》に見える。

虢州

虢州(かくしゅう)は、中国にかつて存在した州。隋代から元代にかけて、現在の河南省三門峡市一帯に設置された。 西魏の大統年間に設置された東義州を前身とする。 隋初には、東義州は下部に1郡3県を管轄した。582年(開皇2年)に商州邑陽県及び陝州弘農県は東義州に移管された。583年(開皇3年)、東義州は

西虢

西虢は紀元前1046年に成立した。殷を滅ぼした周の武王が父の文王の土地を2人の叔父に封地として与えた。虢仲に与えられた制の地が東虢、虢叔に与えられた雍の地が西虢として知られるようになった。西虢の公は周の朝廷で要職を歴任した。 東虢 小虢 仮道伐虢 ^ 陳槃 (2009年11月). 《春秋大事表列国爵姓及存滅表撰異》. 上海市:

小虢

庶族の諸侯国。紀元前687年、秦の武公によって滅亡した。『史記正義』が引く『輿地志』の記載によると、遊牧民族が西虢の故地を占領して、建立した国家とある。しかし、張筱衡はこの説に否定的な意見である。 ^ 『読史方輿紀要』巻五十五・陝西四・鳳翔府:桃虢城,在(宝鶏)県東五十里。古虢君之支

虢仲

第二に虢仲が西虢に、虢叔が東虢に封じられた説。 《郡国志》では「滎陽有虢亭,虢叔国」。 杜預《左伝正義》隠公元年の注に「虢叔,東虢君也,恃岩険而不修徳,鄭滅之……虢国今滎陽県」。 《太平御覧》巻一百五十九,《太平環字記》巻六虢州《帝王世紀》の記載には「封虢叔于東虢,即城皋是也」。

虢叔

第二に虢仲が西虢に、虢叔が東虢に封じられた説。 《郡国志》では「滎陽有虢亭,虢叔国」。 杜預《左伝正義》隠公元年の注に「虢叔,東虢君也,恃岩険而不修徳,鄭滅之……虢国今滎陽県」。 《太平御覧》巻一百五十九,《太平環字記》巻六虢州《帝王世紀》の記載には「封虢叔于東虢,即城皋是也」。

虢石父

周の幽王が虢石父を上卿とし、祭公を司徒とし、尹球を大夫とした。石父はよくへつらって利を好み、人民に対して収奪を加えたので、国人はみな彼を怨んだ。石父は幽王に驪山の烽火台に登るよう勧め、守兵に命じて烽火に点火させ、たわむれに諸侯を召集させた。褒姒が大笑いしたので、幽王は千金を与えて石父を賞した。最後には西周の滅亡を導いた。彼自身は犬戎の先鋒隊によって殺害された。

来翰

人から来た手紙。 来書。 来信。

書翰

手紙。 書状。

宸翰

天子直筆の文書。 宸筆。 親翰。

朶翰

他人の手紙を敬っていう語。 朶雲。

翰林

〔「翰」は筆, 「林」は多いことの意〕 (1)学者の仲間。 文人の仲間。 (2)「翰林院」「翰林学士」の略。

翰長

「官長{(2)}」に同じ。

手翰

手紙。

翰墨

(1)筆と墨。 (2)書画・詩文を書くこと。 また, 詩文や書画。 (3)文芸に関すること。 文事。

貴翰

相手の手紙を敬っていう語。 お手紙。 「~拝読」

王翰

王 翰(おう かん)は、中国・唐の詩人。字は子羽。并州晋陽県の出身。 豪放な性格で、酒を好み、家に名馬と美妓を集めて、狩猟や宴会に日を送っていた。睿宗の景雲2年(711年)、進士に及第し、張説に認められて駕部員外郎に任ぜられたが、説の失脚とともに汝州刺史として都を追われ、次いで仙州別駕に左遷されたう

翰苑

都大学から影印出版された。1954年に国宝に指定された。1977年に、菅原道真の1075年忌事業として、竹内理三による釈文・訓読文が付けられて刊行された。 現存の写本は誤字や脱文が非常に多く読みにくいものだが、現存しない文献を多数引用し、また現存する文献であっても本文が異なっていることが多いために

仮道伐虢

攻め滅ぼすことを指す。 晋に滅ぼされた虞(ぐ)と虢(かく)の故事による言葉である。 虞(ぐ)と虢(かく)という小国は、晋に隣接していた。晋の献公はこの二国を攻め滅ぼしたいと思ったが、一国なら容易でも二国に連携されると攻めるのは難しい。そこで虞の君主である虞公へ、晋の国宝の名馬と宝玉を送り「虢を攻め