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Détails du Mot

無名氏

[むめいし]
(1)名前のわからない人。 名前の書いていない人。 失名氏。
「~の投書」
(2)有名でない人。
「~の作品」

Mots Associés

氏名

名字。 姓。

氏名

苗字と名前。 氏(ウジ)と名。 姓名。 「~を書く」「~を名乗る」

無名

(1)名前がないこと。 名前のわからないこと。 名前を記していないこと。 「~の花」「~戦士の墓」 (2)名前が世間に広く知られていないこと。 有名でないこと。 ⇔ 有名 「~の作家」 (3)名義・名分の立たないこと。 「渠(カレ)にあつては~の師(=大義ノナイ出兵)であるが此方では義戦である/社会百面相(魯庵)」

無懐氏

陶潜『五柳先生伝』:「銜觴賦詩,以楽其志。無懐氏之民歟,葛天氏之民歟」 ^ 宋 羅泌『路史』禅通紀三・無懐氏:「無懐氏,帝太昊之先。其撫世也,以道存生,以徳安刑……当世之人甘其食,楽其俗,安其居而重其生」 ^ a b 『史記国字解』 第1巻 早稲田大学出版部 1919年 22-24頁(三皇本紀) ^ 『史記国字解』 第2巻

源氏名

源氏名とは、『源氏物語』にちなんで女性に付けられた(あるいは女性が名乗った)名前のことである。源氏名を歴史的に見ると、元来は『源氏物語』の巻名で、最初は名歌の題材や投扇興の点数の名称に使ったり、後に女官や遊女が自らの出世、輝かしい未来を願い、源氏のように勝負に勝ちたいと本名を隠し源氏名を名乗ったことがことの始まりで

山名氏

昭和前期に山名男爵家の邸宅は東京市本郷区富士前町にあった。 山名義範 山名義節 山名重国 山名重村 山名義長 山名義俊 山名政氏 山名時氏 山名師義 山名時義 山名時熙 山名持豊(山名宗全) 山名教豊:但馬守護。 山名政豊:但馬守護。 山名致豊:但馬守護。 山名誠豊:但馬守護。致豊の弟。 山名

名和氏

宇土城を棄て本国へ帰還した。こうして空城となった宇土城へ入るのが、宇土為光の娘婿であった名和顕忠である(宇土名和氏初代)。以後、対外的には「宇土殿」「伯耆殿」と称された。 顕忠は菊池系宇土氏の時代に阿蘇氏へ割譲された郡浦庄の回復を試みているが、阿蘇氏の抵抗を排除することができないままに推移し、郡浦

椎名氏

年)東照宮伊賀路を渡御のとき嚮導したてまつり、天和のころ御広敷の伊賀者となり、これより4代にして朝成にいたる」とある。千葉氏の族と称する。家紋は「源氏車の轂に三つ巴」「三つ巴」。 椎名氏(しいなし)は、越中新川郡に勢力のあった一族。室町時代に分郡守護代を務めた。 越中国の椎名氏の出自は千葉氏流の椎名氏の一族とされている。

氏名権

氏名権(しめいけん)とは、氏名を他人に使用させず、排他的に占有しうる権利であり、人格権の一つである。 ドイツ民法(BGB)では、実定法上の個別的人格権の一つとして、第12条「氏名権」("§12 BGB Namensrecht." ナーメンスレヒト)を定めており、氏名権侵害に対し同823条(§823

蘆名氏

相模蘆名氏と会津蘆名氏の二つの系統が存在する。通し字は前者は「為」、後者は「盛」。 三浦義明の弟為清が所持している蘆名の地にちなんで蘆名姓を名乗ったことに始まる。その息子為景の子為久は相模国大住郡石田郷(現神奈川県伊勢原市石田)を領していたが、木曾義仲を討ち取り、褒章と

無名指

くすりゆび。

無名抄

密抄』など。約80段からなる。全1巻。6種類以上の諸本が存在するが、その違いは後の人による付加部分の違いに由来する。 歌論としては、幽玄論、題詠論、本歌取りなどの技術論などを記述している。そのほかにも、先人の逸話や同時代の歌人に対する論評など多岐にわたる内容を持ち、随筆風な記述である。後に醒睡笑などに取り入られた逸話を含んでいる。

無名塾

無名塾(むめいじゅく)は、日本の俳優養成所。主宰は俳優の仲代達矢。創立者は仲代の妻であった宮崎恭子である。所在地は東京都世田谷区岡本。 1975年3月、仲代達矢の自宅稽古場に集う若い俳優たちの間で自発的にスタート。1977年より塾生の公募を開始。 学費が無料、実力派の俳優である仲代達矢の指導が直接

無印源氏

いてはどれだけの版が存在するのか不明な点も多い。また源氏物語のような複数冊からなる作品の場合にはひと組の刊本の中に本来別の刊本であったものの一部が混じり込んでしまっている場合もあり、問題をより複雑にしている。 清水婦久子『源氏物語版本の研究』研究叢書292 、和泉書院、2003年(平成15年)3月1日。

山名氏清

って勝利するという武功をあげ(平尾合戦)、義満から感状を賜る(『後太平記』巻9「河内国平尾合戦之事并亀六之術事」)。 元中6年/康応元年(1389年)、時義が死去しその後を時義の子・時熙が継いだ。康暦の政変で管領・細川頼之が失脚し、山名氏の強大化を懸念していたと考えられる3代将軍・足利義満は、時義

蘆名盛氏

蘆名 盛氏(あしな もりうじ)は、戦国時代の陸奥国の武将・戦国大名。蘆名氏第16代当主。 大永元年(1521年)、第15代当主・蘆名盛舜の子として生まれる。 天文6年(1537年)には伊達稙宗の娘を正室に迎え、天文10年(1541年)に父・盛舜から家督を譲られた。

創氏改名

総督府下の行政機関が設定創氏しない者に対し、様々な許認可や職業上、また子弟の就学等の面で不利益を与え、圧力を加えて届出を強要し、創氏反対の言説を取り締まった結果であるとしている。 創氏の夫婦同姓への抵抗というより、創氏を揶揄するような「犬の子」を氏として提出しようとする者もいた。慶尚南道東莱邑の檜

瀬名氏俊

うじとし)は、戦国時代の武将。遠江今川氏の流れを汲む瀬名氏の当主で、駿河今川氏に仕えた。別名は貞綱と伝わる。 『寛政重修諸家譜』には「氏俊」で載せられており、父は瀬名氏貞、母は堀越貞基の娘。 今川氏親の娘を妻とする。なお、実弟の関口親永の妻(築山殿の母)を今川氏の出とする話は、氏俊の妻の話との混同ではないかとする説が出されている。

山名氏之

を任命して分国の統治を行った。晩年の氏之は法名の「源賛」を名乗るようになり、応永31年(1424年)10月23日に久米郡定光寺に「伯耆国久米郡在庁富成跡」を寄進したのを最後に没したものと見られる。ちなみに子の熙之には家督を譲らず、孫の教之に直接譲ったことが明らかになっている。