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天皇皇后両陛下は7日、太平洋戦争末期の激戦地、小笠原諸島の硫黄島を訪問し、戦後80年に当たって戦没者を慰霊されます。
硫黄島は太平洋戦争中、国内では沖縄とともに激しい地上戦が行われた島で、日本側はおよそ2万1900人が戦死し、アメリカ側もおよそ6800人が戦死しました。
それから80年。両陛下は、政府専用機で羽田空港を出発して、午後、およそ1200キロ離れた硫黄島を初めて訪問されます。
そして、上皇ご夫妻が戦後50年を翌年に控えた平成6年に訪ねられた旧日本軍の戦没者の慰霊碑と日米両軍の犠牲者の慰霊碑で、花を供えたあと水をかけて火山島の激戦で飢えと渇きに苦しんだ犠牲者の霊を慰められます。
硫黄島では戦時下に島民のほとんどが強制的に疎開させられましたが、軍属として徴用されるなどした男性およそ100人が残り守備隊と運命をともにしていて、両陛下は、戦闘で命を落とした島民などの慰霊塔が建てられている墓地公園も訪ねて花を供えて拝礼されます。
さらに、自衛隊基地で旧日本軍の戦没者の遺族や元島民の子孫らの団体の関係者と懇談し、夜、皇居に戻られます。
ことしは戦没者の慰霊などのため、広島、長崎、沖縄も訪問する見通しで、7日は、戦後80年に当たって先の大戦の象徴的な地域を巡られる中で最初の訪問となります。
両陛下の今回の訪問に、戦没者の遺族は特別な思いを寄せています。
その1人、東京 昭島市に住む栗林快枝さん(66)は、陸軍中将として硫黄島の守備隊を率いて戦い壮烈な最期を遂げた栗林忠道さんの孫です。
栗林中将は、守備隊の司令官として硫黄島に赴任した昭和19年6月から連絡が途絶えるまでの8か月間一度も島を出ることはなく、この間、本土の家族に手紙を送り続けていました。
祖母と父から受け継ぎ大切に保管している41通の手紙のうち最初の手紙には、他人に見せたりしゃべったりしてはならないと前置きしたあと、高温多湿で水や食料が乏しい島での過酷な生活について「不毛の原野で穴居生活している訳で、考え様に依っては地獄の生活で生まれて以来初めてです」などと記されています。
また、硫黄島が敵に取られれば本土が空襲されるため、自分や部下は生還を期せず戦い抜くとしたうえで、残される妻子を気遣うことばがつづられています。
祖母や父は生前、戦争や栗林中将について語ることはほとんどなかったということで、快枝さんは「2人ともつらかったので、あえて話さなかったのだと思います。ただ、小笠原諸島が返還された時に祖父が『今、帰ったよ』と言って枕元に立っていたと祖母が話していたのは鮮明に覚えています」と振り返ります。
アメリカ軍上陸のひと月ほど前の日付の手紙には「遺骨は帰らぬだろうから」などと書かれていましたが、祖母が塗りつぶしてしまったため、父親がのちに読み取って書き添えたということで、快枝さんは「死というのはもちろん悲しいことだが、死んだ後遺骨も帰らないというのは2重3重につらい思いをしたのだと思います。半数に当たる1万人以上の遺骨が本土に戻れていないので、滑走路の下をどうするかなど大変なこともあると思いますが、1人でも多く帰ってきてほしいと強く思っています」と語りました。
そのうえで、今回の両陛下の訪問について「大変な激戦の中で亡くなられた方々の供養になると感じますし、英霊の皆さんが安らかにお眠りいただきますよう心から祈っていただければありがたいと思います。とにかく戦争をしてはいけないということを伝えていかなければならない。自分を含めた戦争を知らない世代に、戦争は絶対にしてはいけないのだという気持ちになってもらいたいです」と話していました。