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단어 상세정보

別当宣

別当宣(べっとうせん)とは、正式には検非違使別当宣(けびいしべっとうせん)と称し、検非違使別当の口頭命令(宣)を検非違使庁の官人が発給した命令文書のことである。庁宣(ちょうせん)とも。 検非違使別当は太政官の議政官の中から天皇によって直接任命された役職で、天皇に直属して天皇及び太政官と検非違使庁との連絡にあた

관련 단어

別当

〔本官をもつ人が他の職務の統轄に当たるときに補任される職名〕 (1)令外の官衙(カンガ)(検非違使庁・蔵人所など)の長官。 (2)平安時代以降, 院・親王家・摂関家などの政所の長官。 また, 政所の一部局(文殿・厩司など)の長官もいう。 (3)鎌倉幕府の政所・侍所・公文所などの長官。 (4)東大寺・興福寺・四天王寺などの諸大寺で, 三綱の上位にあって寺務を総裁した者。 (5)神宮寺(宇佐・鶴岡・石清水など)で, 庶務をつかさどる者。 検校に次ぐ。 (6)盲人の官位の一。 四階級の第二で, 検校の下。 (7)(院の厩の別当から転じて)馬を飼育する人。 馬丁。

別当寺

別当寺(べっとうじ)とは、専ら神仏習合が行われていた江戸時代以前に、神社を管理するために置かれた寺のこと。神前読経など神社の祭祀を仏式で行い、その主催者を別当(社僧の長のこと)と呼んだことから、別当の居る寺を別当寺と称した。神宮寺(じんぐうじ)、神護寺(じんごじ)、宮寺(ぐうじ、みやでら)なども同義。

高別当

日本 > 群馬県 > 安中市 > 高別当 高別当(こうべつとう)は、群馬県安中市の地名。郵便番号は379-0132。面積は0.77km2(2010年現在)。 九十九川と碓氷川の合流点付近で、両川に挟まれて位置している。 戦国時代頃からある地名であり、江戸時代になると安中藩領だった。 1889年4月1日

当別町

神居尻山(947m) 隈根尻山(971m) 主な川 石狩川 当別川 篠津川 篠津運河 パンケチュウベシナイ川 材木川 主な湖 当別ふくろう湖(当別ダム) 主な池 青山貯水池(青山ダム) 石狩振興局 札幌市(北区、東区) 石狩市 江別市 石狩郡:新篠津村 空知総合振興局 樺戸郡:月形町 樺戸郡:浦臼町 樺戸郡:新十津川町

当別駅

町名より。 開業時点では「他に同音の駅(引用注:渡島当別駅)がある為」として、旧国名の「石狩」を冠していたが、当別町では「(駅が所在する)自治体名を石狩市と誤認している町外の方が多い」として、札沼線北海道医療大学駅以北の路線廃止に関連し、当駅と石狩太美駅の駅名から「石狩

当別川

当別川(とうべつがわ)は、北海道石狩郡当別町を流れる石狩川水系石狩川支流の一級河川である。流域は当別町の町域とほぼ重なる。 アイヌ語の「トペッ(to-pet)」(沼・川)が原義であり、現在は水田地帯となった流域に、かつて多くの沼があったことによる名であると考えられている。

別当薫

別当 薫(べっとう かおる、1920年8月23日 - 1999年4月16日)は、兵庫県西宮市出身のプロ野球選手(外野手)・コーチ・監督、解説者。 セ・パ両リーグ分立前後に走れる長距離砲として活躍した外野手で、1948年から1953年まで6年連続でベストナイン外野手に選ばれた。1948年に阪神に入団し

当別町立当別中学校

当別町立当別中学校(とうべつちょうりつとうべつちゅうがっこう)は、北海道石狩郡当別町下川町125-11にあった公立中学校。 校舎は鉄筋コンクリートの二階建て。 校章は六角形で雪の結晶をあらわし、北海道の学校であることを示している。まわりには「当」、中央に「中」の字を置くことで当別中学校を示している。

熊野別当

進された紀伊国内2ケ郡の田畠百余町であった。 熊野別当を世襲した熊野別当家は、後に新宮に本拠を置く新宮別当家と本宮と田辺を拠点とする田辺別当家に分裂しつつ、別当職を務めた。承久3年(1221年)に起こった承久の乱において、別当家は鎌倉幕府方と上皇方に分裂しその勢力を衰退させたが、それ以後も熊野別当

蔵人別当

を指揮する立場にあるが、所内の実務全般は蔵人頭が責任を負い、蔵人別当は対外的な代表者の地位として蔵人頭の任免や昇殿定、蔵人所の管轄下に置かれた所の人事などに関与したが、実際の実務には携わらなかった。 定員は1名。殿上人を束ねる役目なので「殿上の別当」とも言う。詔勅を

当別断層

当別断層(とうべつだんそう)は、北海道石狩郡当別町に走る断層。 北海道石狩郡当別町青山奥二番川より、同じ当別町本中小屋にかけておおよそ南北に沿って存在する断層で、長さは20kmである。 当別断層の平均的な上下のずれは、1000年で、10cmから20cmほどである。最も新しい活動は、11,000年前以降、2

別当賀駅

別当賀駅(べっとがえき)は、北海道根室市別当賀にある北海道旅客鉄道(JR北海道)根室本線(花咲線)の駅である。電報略号はトカ。事務管理コードは▲110450。 1920年(大正9年)11月10日:鉄道省釧路本線厚床駅 - 西和田駅間延伸に伴い開業、一般駅。 1979年(昭和54年)7月15日:貨物取扱い廃止。

当別町立西当別中学校

当別町立西当別中学校(とうべつちょうりつにしとうべつちゅうがっこう)は、北海道石狩郡当別町獅子内5134-1にある公立中学校。2学期制。北緯43度11分51秒 東経141度27分9秒に位置する。 校舎は鉄筋コンクリートの二階建て。体育館は木造。かつては校舎南部にプールを併設していた。 1947年(昭和22年)5月

当別町立西当別小学校

当別町立西当別小学校(とべつちょうりつ にしとうべつしょうがっこう)は、北海道石狩郡当別町太美町にある公立小学校。 校舎は鉄筋コンクリートの3階建て。 1951年(昭和26年) 8月1日 - 当別町立西当別小学校設立認可。 11月24日 - 新校舎が落成し、移転。 12月10日 - 校章制定。 12月25日

別聚符宣抄

別聚符宣抄(べっしゅうふせんしょう)は、延喜2年(902年)から天禄2年(971年)の間に発給された太政官符・宣旨を収録した法令集。 本書は、広橋家旧蔵本(東洋文庫旧蔵岩崎文庫本)が唯一の伝本であり、表紙等を欠く枯葉本である。故に、内外題・奥書も伝わっていないため、本来の書名は不明である。以前は『符宣抄

御匣殿別当

御匣殿別当(みくしげとののべっとう)とは、平安時代中期から院政期においての、後宮における女官の官名。御匣殿の長官。 御匣殿は、後宮十二司の体制が崩壊した後、10世紀初め頃までに縫殿寮から分離して設立されたもので、内蔵寮で調進する以外の天皇の衣服などの裁縫をする部署。貞観殿の中にあった。

青山 (当別町)

、地区の人々を悩ませるものは生活苦以外にもあった。樺戸集治監の脱走者が、必ずと言っていいほど青山を通るのである。凶悪な犯罪者たちは食糧と衣類を要求し、断れば乱暴を働くものだから、住民たちは素直に要求に従ったうえで早く立ち去らせた。また先に脱監の知らせが届いた際は、明かりを消して数班に分かれ、斥候を出

皇嘉門院別当

皇嘉門院別当(こうかもんいんのべっとう:生没年不詳)は、平安時代末期の女流歌人。父は源俊隆。大蔵卿源師隆の孫にあたる。 崇徳天皇の中宮皇嘉門院藤原聖子(摂政藤原忠通の娘)に仕えた。皇嘉門院聖子が忠通の子で兼実の姉であることから、1175年(安元元年)の『右大臣兼実家歌合』や1178年(治承2年)の『

肥後別当定慶

に特色があり、日本の仏像彫刻史上、まれに見る個性の強い作風を示している。 石龕寺(兵庫)の金剛力士像の銘記に、仁治3年(1242年)、59歳であったことが記されており、生年は逆算して元暦元年(1184年)ということになる。石龕寺金剛力士像の銘に「大仏師南方派肥後法橋」とあることから、奈良(南方)の仏