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단어 상세정보

別聚符宣抄

別聚符宣抄(べっしゅうふせんしょう)は、延喜2年(902年)から天禄2年(971年)の間に発給された太政官符・宣旨を収録した法令集。 本書は、広橋家旧蔵本(東洋文庫旧蔵岩崎文庫本)が唯一の伝本であり、表紙等を欠く枯葉本である。故に、内外題・奥書も伝わっていないため、本来の書名は不明である。以前は『符宣抄

관련 단어

類聚符宣抄

類聚符宣抄(るいじゅうふせんしょう)は、天平9年(737年)から寛治7年(1093年)までの間の太政官符・宣旨・解状を、部目別に分類して編集した法令集である。別名『左丞抄』。 編者・成立年代について、平安時代末期の保安2年(1121年)、3年に書写された最古の写本(現宮内庁書陵部所蔵)が、小槻官務

別符

別符(べっぷ)とは、中世日本の土地制度において、国司・院庁より発給された対象地の支配・徴税に関する特例を認める文書を指す。「別納免符」・「別納徴符」の略。またその対象地自体を指す。別符の対象になった名のことを「別名」と称した。 その対象地は、公領や荘園において、従来の支配地域の他に新たな開発を認めた

新抄格勅符抄

『新抄格勅符抄』(しんしょうきゃくちょくふしょう)は、平安時代に書かれた法制書。全1巻。 神社・寺院の封戸について列記した大同元年(806年)の太政官牒をはじめとする奈良時代以後の皇親・諸臣・神社・寺院の封戸に関する規定、長保元年令及びその改訂を載せた太政官符などを収める。奈良・平安期の封戸・神封

和名類聚抄

24部128門より成り、各部は次の順に配列されている。 天地部=天文・気象・神霊・水・土石 人倫部=人間・家族 形體部=体の各部 疾病部=病気 術藝部=武芸・武具 居處部=住居・道路 舟車部=船・車 珍寳部=金銀・玉石 布帛部=布 装束部=衣類 飮食部=食物 器皿部=器・皿 燈火部=燈火 調度部=日用品 羽族部=鳥 毛群部=獣一般 牛馬部=牛・馬

類聚雑要抄

障子帳の雑事も「土居四枝、長さ八尺六寸、厚さ三寸、弘さ四寸半、面の弘さ五分、樋の弘さ七分、同深さ六分」などと非常に細かく、その工料の記載まである。その記述の中に「銅細工散位正則」などとあり、最高級の銅細工師は従五位下ぐらいの位階を持っていたことが判る。 三巻

類聚名義抄

類聚名義抄(るいじゅみょうぎしょう、るいじゅうみょうぎしょう)は、11世紀末から12世紀頃に日本で成立した、漢字を引くための辞書(字書)。名義抄(みょうぎしょう)とも。 「仏」「法」「僧」の3篇に分類している。編者は明らかでないが、法相宗の学僧という説が有力視されている。初撰本は6帖構成とみられる。

三別抄

20世紀後半に、沖縄県浦添市にある琉球王国時代の王墓、浦添ようどれで高麗瓦が発掘された。この瓦の文様は、三別抄が珍島に造営した龍蔵城跡から出土した瓦の文様と類似している。浦添ようどれの瓦には「癸酉年高麗瓦匠造」という刻印があるが、癸酉年は1153年、1273年、13

別当宣

別当宣(べっとうせん)とは、正式には検非違使別当宣(けびいしべっとうせん)と称し、検非違使別当の口頭命令(宣)を検非違使庁の官人が発給した命令文書のことである。庁宣(ちょうせん)とも。 検非違使別当は太政官の議政官の中から天皇によって直接任命された役職で、天皇に直属して天皇及び太政官と検非違使庁との連絡にあた

抄

(1)書物などの一部分を抜き出して書くこと。 抜き書き。 (2)難しい語句などを抜き出して注釈をつけること, またその書。 「史記の~」 (3)尺貫法で, 容積の単位。 勺(シヤク)の一〇分の一。 《抄》

類聚

同種類のものを集めること。 また, その集めたもの。 類集。 るいじゅう。

類聚

⇒ るいじゅ(類聚)

聚落

人の集まった村落。 集落。

聚楽

「聚楽第」の略。

聚散

「集散」に同じ。

聚斂

(1)集めて取り込むこと。 (2)きびしく租税を取り立てること。 <i>~の臣あらんより寧(ムシ)ろ盗臣あれ</i> 〔大学〕 重税を取り立てて, 人民の反感・反抗を招く臣よりも, 公の財産を盗んで私腹をこやす臣の方がましである。 政治の根本は財貨よりも民心を得ることにあることをいう。

聚富

厚田区の日本海沿岸は江戸時代からニシン・サケ・マスの漁場として栄えていたが、聚富の沿岸は遠浅の砂浜で船着き場を確保し難いためか、漁師が定住した記録は皆無である。サケやマスの漁季には漁師の親方が番屋を建てて漁業を営んでいた記録はあるが、あくまで一時的な居住でしかない。

費聚

費 聚(ひ じゅ、1326年 - 1390年)は、元末から明初の軍人。字は子英。泗州五河県の人。朱元璋に仕えて、明建国の功臣となった。 朱元璋と濠州で出会う。朱元璋は費聚を気に入り、深い交友関係を持った。定遠の張家堡は民兵を有し、どの勢力にも属していなかった。郭子興はこれを自陣営に引き入れたいと考

陸聚

陸 聚(りく しゅう、生年不詳 - 1390年)は、元末明初の軍人。 元の枢密院同知となった。1352年(至正12年)、元の丞相トクトが紅巾の芝麻李(李二)を徐州で撃破すると、彭大らは濠州に逃れた。陸聚は徐州で流亡の人々を安撫し、城を修繕して州境を守り、反乱軍に侵犯させなかった。

崔聚

1427年)は、明代の軍人。本貫は安慶府懐寧県。 1399年(建文元年)、燕王朱棣の起兵に従った。1410年(永楽8年)、永楽帝(朱棣)の漠北遠征に従軍し、広漠戍で敵を破った。1420年(永楽18年)、紫荊関を守備した。永楽年間に河南都指揮僉事となった。1425年(洪熙元年)、左軍都督僉事に累進した。142