ある本ほんに次つぎのように書かかれていた。「このごろの若者わかもので気きに入いらないことの一ひとつは、とかく小ちいさく固かたまりたがることだ。特定とくていの仲間なかまとだけつきあって、ややこしいことを避さけたがる。これには、『他人たにんに迷惑めいわくをかけない』という、奇妙きみょうな道徳どうとくが行いきわたりすぎているのではないか。『他人たにんに迷惑めいわくをかけない人間にんげん』というのを、やたらと持もちあげることに、ぼくはおおいに不満ふまんなのである。元来がんらい、人間にんげんが入いりみだれて暮くらすのに、他人たにんにまったく迷惑めいわくをかけてないなんて、とても信しんじられない。むしろ、迷惑めいわくをかけあうことこそ、人間にんげんの社会性しゃかいせいと言いえるぐらいだ。それに、社会的しゃかいてき弱者じゃくしゃにとって、この『迷惑めいわくをかけるな』は差別さべつとして作用さようすることが多おおい。問題もんだいは、迷惑めいわくをかけていることに鈍感どんかんになるな、ということだろう。」私わたしも「人ひとに迷惑めいわくをかけてはいけない」と教おしえられてきた。実じつはこれは、互たがいに助たすけ合あって生活せいかつしているという前提ぜんていがあるからこそ言いえる言葉ことばなのだ。人間関係にんげんかんけいが希薄きはくな社会しゃかいより感謝かんしゃの気持きもちを持もちながら迷惑めいわくをかけあえる社会しゃかいのほうが、ずっと居心地いごこちがいい。
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